36:一座の誘い1(ラチェットの提案)

 霞みがかった空に二つの月が上る。ぼんやりと月明かりに照らされた町は、幻想的な色合いを残していた。公演の余韻に浸ったまま、グスタフたちは打ち上げと称して、いつもより豪勢な食事を取った。

 一座の定宿二階にある食堂は、夜になれば酒場に変わる。ほろ酔いのグスタフが、上機嫌で、がははと笑った。


「それにしても、よくあんな逸材を見つけたな。我が娘ながら、関心するよ」


 ラチェットこだわりの窓際の席には様々な料理が並び、汚れた皿は隣のテーブルに積み上げられていた。グスタフの言葉に、メグは胸を張った。


「そうでしょ。やっぱり私の思った通り、ニースの歌は素晴らしかったわ。お父さん、今日のご褒美に、新しい靴を買ってくれてもいいと思うんだけど」

「靴か。そうだな」


 グスタフとジーナは、木製の大ジョッキで麦酒を飲んでいた。メグの言葉に、すっかり酔いが回ったジーナが、あははと笑った。


「あらー。メグちゃんたら、さすがねー。しっかりおねだりポイント抑えちゃってー」

「もうっ。お母さんたら、飲み過ぎよ!」


 メグは文句を言いながら、果実水に口を付けた。ジーナは麦酒を飲みながら、メグやグスタフに絡み続ける。

 いつも以上に陽気なジーナの様子に呆れながら、マルコムは料理を小皿に取り分けると、窓の外をじっと見つめるラチェットに語りかけた。


「ラチェット。そろそろ話してくれないか。俺はこんな所じゃなく、さっさと可愛い子ちゃんの所に行きたいんだが」


 マルコムの話に、グスタフが寂しそうに口を尖らせた。


「マルコム。お前は今日ぐらい私たちと公演の成功を祝ったらどうだ。あんなに純粋な少年の歌を聴いた後なのに、女のことしか考えてないのか」


 一緒に酒を飲もうとしないマルコムにグスタフがいじける傍らで、ジーナは上機嫌にジョッキをあおった。


「さーっすが、マルコム! 逃げない、ぶれない、諦めなーい! 女たらしは違うわねー!」

「もうっ。お母さん、本当に飲み過ぎよ。いい加減やめてよ」

「メグちゃん、ゆるしてー。あと一杯だけー」


 頭を抱えたメグがジーナのジョッキを無理やり取り上げたので、女性二人は言い合いを始めた。ラチェットは酒の騒ぎが落ち着くまで馬車の見張りをするつもりのようで、窓の外を見つめたまま静かにグラスを傾けていた。

 マルコムはグスタフの言葉に苦笑し、肩をすくめた。


「グスタフよ、そう言うなって。俺は酒が弱いんだから、仕方ないだろ。女の子と楽しく夜を過ごした方が、俺にとっては祝いになるんだよ。グスタフはとっくの昔にわかってるだろ?」

「ったく……。お前が酒が飲めたらなぁ。ジーナはすぐ酔っ払うし、私は寂しいよ」


 文句を言いながら酔って寝てしまったジーナに、グスタフは上着をかけた。その様子にマルコムは切なげに微笑むと、ラチェットに話を向けた。


「それで、ラチェット。いったいニースに何を話しに行くんだ?」


 ラチェットは、ようやく落ち着いてきたテーブルをちらりと見て、答えた。


「みなさんに話す前に確認したいんですけど……。ニースは“調子外れ”で間違いないですよね?」

「ああ、そのはずだ」


 マルコムが頷きを返すと、ラチェットは果実水で口を湿らせ、問いかけた。


「“調子外れ”って、どういう存在か、みなさんは知ってますか?」


 メグが、肩をすくめ自信なさげに答えた。


「私はあまり知らないわ。ニースが、歌の力がないって言ってたから、たぶんそういうことなんだと思うけど」


 メグは、興味がなさそうにチーズに手を伸ばす。しかしラチェットは気にするそぶりもなく、眼鏡をくいと上げて手を組み、真剣な眼差しで話を続けた。


「そう。メグの言う通り。歌を歌っても、歌の力が発揮されないのが“調子外れ”です。ですがこれは、本当に歌の力がないってことじゃないんですよ」

「……どういうことだ?」


 マルコムだけでなく、グスタフも眉をひそめ身を乗り出した。ラチェットは、二人に分かるように説明をした。


「よく誤解されるみたいなんですが、“調子外れ”っていうのは、歌の力がない歌い手のことではなく、歌の力を歌い手のことなんです」


 ラチェットは、自分ので聞いた話を皆に伝えた。


「歌い手には、身体に必ずが備わっているそうです。その器官がある人間は、歌の力を持ち、歌い手となる。そして、黒い色を持つ人間には、必ずその器官があるそうです。僕もあまり詳しくはないんですけどね」


 マルコムは、確かめるように問いかけた。


「……ということは、黒い色を持つニースには、ちゃんと歌の力があるってことか?」

「そうです。ただ、“調子外れ”が歌の力を発揮するためには、特別な訓練が必要らしいんです。ほとんどの歌い手は、自然と出来るようになるらしいんですが、稀に簡単には出来ない歌い手がいるそうなんです。それが、“調子外れ”なんですよ」


 グスタフとマルコムが納得したように頷く中、メグはチーズを飲み込むと、興味深げに声を挟んだ。


「じゃあ、ニースも歌の力を使えるようになるかもしれないってこと?」

「そう。それだよ、メグ。僕はその話がしたかったんだ」


 何の話かと、グスタフたちは顔を見合わせ、首を傾げた。ラチェットは穏やかに言葉を継いだ。


って学校を知っていますか、座長」

「ああ。確かジーナのライバルだった踊り子が、舞踏科で教鞭をとってるはずだ」


 グスタフの言葉に、マルコムが思い出したように声を挟んだ。


「そうそう。ビアンカがいる所だ。すごい美人で、大人気の踊り子だった。懐かしいなぁ。何度も口説いたが、頑なに断られたのを思い出すよ」


 メグがマルコムに、軽蔑の眼差しを送った。


「そんな昔から、マルコムって女たらしだったのね。そのビアンカって人のこと尊敬するわ。マルコムのしつこさを追い払ったんでしょ?」

「お嬢、人聞きの悪いことを言わないでくれ」


 二人の会話に、ラチェットは苦笑いを浮かべて、話を続けた。


「まあ、とにかく。そのアルモニア音楽院に数年前に招かれた教授が、“調子外れ”を治す特別な訓練を編み出した人だって話を思い出したんですよ」

「ほう。それはすごいな。だが、その教授と明日の訪問に何の関係が……っ!」


 間の抜けた声を出したグスタフに、メグが肘鉄を食わせた。グスタフはわざとらしく泣き真似をしながら非難の声をあげた。


「痛いぞ、メグ! お父さんは悲しい!」

「泣き真似したって無駄よ! まったくもうっ。お父さんは、ほんっとうに鈍いわね!」


 グスタフは、メグからさらに追加で肘鉄を食わされ、声にならない悲鳴をあげてうずくまった。メグは気にする様子もなく、バンと勢いよくテーブルに手をつき、ラチェットに顔をずいと近づけた。


「つ・ま・り! そのアルモニア音楽院まで、ニースを連れて行ってあげよう。そういうことよね、ラチェット?」


 陶器の皿がガチャリと音を立て、ランプの炎がゆらりと揺れた。ラチェットは、頬を染めて視線を外そうとしたが、メグはラチェットを逃がさなかった。

 なおも見つめるメグを前に、顔を真っ赤にしながら、ラチェットは答えた。


「そ、そういうことだよ、メグ。ニースの歌は素晴らしい。その辺の楽器よりすごいんだ。僕は、ニースのために歌の曲を書きたいと思ってる」

「やっぱりそうなのね。歌うための曲、いいじゃない。楽しみだわ」


 返事に満足したメグは、椅子に座り直した。頬杖をつき、ニヤニヤと二人を眺めていたマルコムが、笑みを浮かべた。


「なるほどなぁ。確かに、ニースの歌はすごかった。お嬢の踊りと合わせなくても、立派な演目に出来る。今日の売り上げを見れば、人気も間違いなしなのは言うまでもない」


 落ち着きを取り戻そうと、ラチェットは、ふぅと息を吐いて頷いた。


「マルコムさんの言う通りです。ニースは学校へ着けば歌の力を取り戻せる。ニースを旅に誘えれば、僕たちにも大きな利益になる。僕は、これを提案したいんです」


 ラチェットの言葉に、メグはキラキラと瞳を輝かせて、何度も頷いた。


「私は賛成よ。ニースの歌をもっと聞いてみたいもの。私、あの子のこと好きよ。弟が出来たみたいで楽しい旅になりそう!」


 メグが嬉しそうに話すのを、ラチェットは苦笑いを浮かべ聞いていたが、という単語がメグの口から出ると相好を崩した。

 マルコムの顔が、さらにニヤニヤを増した所で、ようやく痛みが和らいだのか、グスタフが会話へと戻ってきた。


「そういうことなら、私も賛成だ。一座の利益になるのは間違いないからな。ただ、ニースくん本人がどう考えるかが問題だが」

「そうですね。ニース本人の気持ちが一番大事です。ニースのおじいさんも、許可してくれるかはわかりません」


 やる気になったグスタフたちは、音楽院へ向かうための旅路について話し始めた。


「アルモニア音楽院があるのは、南のバトス大陸だからなぁ。俺たちは南じゃなく東のルテノー大陸に行くわけだから、遠回りになるな」


 マルコムの言葉に、メグは記憶を手繰り寄せた。


「でも、ルテノー大陸を南下して行くと、戦争している国があるんじゃなかった?」


 グスタフが、再びジョッキに手を伸ばしながら頷いた。


「メグの言う通り、あの辺りは今は戦時中だな。砂漠のところでやり合ってる。まあ、そこは海を行けばいい。砂漠を迂回するぐらいなら、船代もさしてかからないだろう」

「あらー、そういうことなら大丈夫だと思うわー」


 寝ていたはずのジーナが突然声を挟んだので、グスタフたちは悲鳴を上げそうになったが、必死に堪えた。

 ジーナは酔いが覚めたようで、ハッキリと話した。


「この前、王都が陥落しそうって聞いたのよー。私たちがルテノー大陸を南下する頃には、戦争も終わってると思うわよー」


 ジーナは、皆が口を押さえて黙り込んでいる事に首を傾げながらも、にこやかに話を続けた。


「ここからだと、途中の町で色々興行しながらのんびり行くわけだからー。砂漠に差し掛かるのは一年半後ぐらいかしらねー? ラチェットも、そのぐらいかかれば、戦争はさすがに終わると思わないー?」


 話を向けられたラチェットは、ずり落ちた眼鏡をかけ直し、答えた。


「え、ええ。そうですね。ジーナさん……どこから聞いてたんです?」

「メグちゃんがグスタフに肘鉄食らわせたあたりからかしらー?」


 ジーナの返事を聞いて、グスタフが、しゅんと肩を落とした。


「ジーナ、気づいてたならメグを止めてくれ……」


 涙目になるグスタフの背中を、ジーナは、はははと笑いながらバシバシと叩いた。グスタフは背中の痛みに、再び声にならない悲鳴をあげた。

 ラチェットは同情の眼差しを向けながら、話を続けた。


「まあ、とにかく、明日ニースとニースのおじいさんに話してみるしかないです」


 ラチェットの話に、メグが微笑んだ。


「そうね。明日は私も一緒に行くわ」

「ありがとう、メグ。座長たちは、どうします?」

「うぅ……座長の私が行かないわけに行くまい。私も行くよ」


 涙を拭いながら答えたグスタフを横目に、マルコムは肩をすくめた。


「俺は今回は遠慮しておくよ。手品の仕込みもあるし、明日の昼間は忙しいからな」

「それなら、私が馬車の見張りをしておくわー。ニースくんのこと、頼んだわよー」


 微笑んだジーナの隣で、気を取り直したグスタフが、からかうような笑みをマルコムに向けた。


「マルコムは、手品の仕込みだけじゃないだろう。ほかになよ」

「もうっ。お父さんたら、娘の前で何言ってんのよ!」


 メグがグスタフにトドメの一撃を加えると、打ち上げ兼話し合いは御開きとなった。なぜ乙女のメグが、グスタフに突っ込みを入れられるほど、になってしまったのかと、ラチェットはため息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る