21:羊の気持ち2(歌は音楽)

 柔らかな春の日差しが、窓辺に煌めく。ニースが歌い終えると、マシューが満面の笑みで拍手をした。それを見て、ヨハンとウスコも拍手を送った。


「いやあ、素晴らしい声だった。初めて聞いたが、これなら羊だって喜んで当然だな」

「ああ、本当にすごかったぜ。鳥の鳴き声みたいな、なんていうかこう……」


 喉元まで出かかった言葉をうまく言えないウスコに、マシューが笑った。


「楽器の演奏みたいだろう。旅の一座の」

「そうそう、それだそれ。マシュー、よく分かったな」

「わしも初めて聞いた時に、そう思ったんだよ」


 話を聞いたヨハンは、町にやって来る様々な旅芸人を思い返した。


「なるほどなぁ。確かに言われてみれば似ているな」


 呟いたヨハンに、ウスコは、ニヤリと笑みを浮かべた。


「お前の方が色んな旅芸人を見てるってのに、気付かなかったのか?」

「お前が言わなきゃ、俺だって気付いたさ」

「よく言うぜ。まあお前は、音楽っていうより女の尻しか見てないからな。どうせ踊り子ぐらいしか、覚えてねえんだろ」

「お前だって似たようなもんだろ。昔来た、ハリカの妖精って踊り子に、相当熱を入れてたじゃねえか」


 突然喧嘩を始めた二人に、ニースは唖然とした。マシューが宥めるように、声を挟んだ。


「まあまあ、二人とも。ニースがびっくりしてるから、落ち着け」


 ウスコとヨハンは、はっとして気まずそうに笑った。


「いや、すまねえな。つい話が脱線しちまった」

「全く、ウスコが余計なこと言うからだろうが」

「なんだと……って、ここでまた喧嘩したんじゃ芸がないよなぁ」

「お前と喧嘩するためにここに来たわけじゃないからな」

「それは俺も同じだよ」


 ウスコは苦笑し、改めてニースに目を向けた。


「いや、しかし本当に凄かったぜ。俺なんか、聴いてて鳥肌立っちまったぐらいだ」


 ウスコに褒められて、ニースは、くすぐったさを感じた。はにかむニースに、ヨハンが問いかけた。


「で、ニースがやったそれは、一体何なんだ?」

「ぼくは、歌を歌っただけです」


 ニースの答えに、二人は首を傾げた。


「歌?」

「歌って、たしか歌い手様が使うやつじゃなかったか?」

「えっと、その歌い手の歌と同じなんですけど、違うっていうか……」


 どう説明したらいいかと戸惑うニースに、マシューは微笑んだ。


「ここからは、わしが説明しよう。ニース、ありがとうな。羊たちの世話に戻ってくれるか?」

「うん。分かったよ、おじいちゃん」


 ニースは、ほっと安堵して、ぺこりと頭を下げた。


「それでは、ぼくは仕事に戻ります。お二人とも、ごゆっくり」


 ニースは裏口から家を出る。ニースの背を見送り、ウスコとヨハンは感心して呟いた。


「まだあんなに小さいのに、ずいぶん立派な挨拶するもんだなぁ」

「本当にな。どこかの誰かとは全然違うよ」

「言ってろ!」


 ウスコはヨハンのからかいを無視し、マシューに問いかけた。


「ところで、マシュー。さっきの話の続きだが、歌い手様の歌と同じだけど違うって、どういうことだ?」


 マシューはウスコに、分かりやすく説明を始めた。


「歌い手様は、歌の力を使って、わしらには出来ない凄いことをするのは知ってるだろう?」

「ああ。知ってる。それで?」

「ニースは歌を歌えるが、ニースの歌には、歌の力がないらしいんだ」


 にわかには理解できない話に、ウスコとヨハンは、ぽかんと口を開けた。


「特別な力がない歌い手様もいるのか」

「初めて聞いたよ」

「ああ。なんでも“調子外れ”と言うものらしい。わしも詳しいことは知らんが、たまにあるらしいんだ」


 マシューの話に二人は、ニースのこれまでの苦労を想像して、切なさを感じた。


「なるほどなぁ。それでリンドは、マシューに預けたわけか。あるはずの力がないなんて、大きな街じゃ色々いじめられそうだもんな」

「そうだなぁ。マーサもそれで、あんなに色々気遣ってたんだな」

「そういうことだ。羊毛は、歌の力関係なしに質が良くなったんだ。だからわしとマーサは、羊の気分が関係してるんだと思ったんだ」


 マシューの話を聞いて、ウスコとヨハンは納得した。


「そういうことなら、わかったぜ。羊の気分を良くする、か。羊が喜ぶようなことが他に何かないか、俺も探してみるよ」

「ああ。俺も手伝おう。ニースの歌で気分が良くなるなら、楽器の演奏を聞かせても効果ありそうだな」

「お、それはいい考えだな。ちょっとお前、俺んとこの羊のために、演奏家の手配してくれよ」

「いつもなら断るところだが、今回ばかりは仕方ないな。商売のためだ。演奏家を呼ぶのはちょいとばかし金がかかるが、試してみよう」


 二人がニースの心の傷を開くことなく、自分たちで工夫しようとする姿を見て、マシューは安堵した。三人は羊の気分を良くするために、他にどんな方法があるのかを考え始めた。


 マシューから話を聞いた人々は、思い思いに羊を育てる環境を整えていった。そうして町の牧場の至る所で、定期的に音楽家による演奏が行われるようになった。マッサージやスキンシップ、語りかけなども行われるようになり、羊の飼料や水の質を良くし、衛生環境の改善も行われた。

 一年後には、クフロトラブラの町全体の羊毛の品質が上がった。また、羊毛だけでなく、羊肉や羊乳の味も良くなった。ニースとマシューが発端となり、町は豊かになっていった。

 音響飼育が町に根付くのと同時に、町の人々はニースの歌をとして受け入れていった。ニースが“調子外れ”であることを、人々が気にすることはなかった。

 温かな町の人々と羊に囲まれて、ニースは健やかに成長していった。

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