20:羊の気持ち2(マシューの友達)

 マーサの考えた通り、マシューの牧場の羊毛は、瞬く間に町で人気となった。もっと売ってくれという者が後を立たず、来年分の予約希望者まで現れ始めた。

 しかし、年老いたマシューが羊を増やすことは出来ない。まだ幼いニースを人足として数えるのも、とても無理だ。あまりの人気に、マシューは注文を断らねばならないほどだった。


 穏やかな春の陽気が、牧場を包む。春風を感じながら、二人の壮年の男がマシューの家を訪ねた。マシューは、微笑んで二人を迎え入れた。


「ヨハン、ウスコ。そろそろ来ると思ったよ」


 ヨハンは、マシューの羊毛を買い取り、毛糸や絨毯に加工している職人だ。小洒落た服を着たヨハンは、マシューの言葉に、ふっと笑った。


「よう、マシュー。お見通しってわけか」

「お前さんたちも、毛の秘密を聞きに来たんだろう」

「まあな。先客がいたのか」

「お前さんたちで五回目だ。もう慣れたよ」

「そりゃ、遅れを取っちまったな」


 羊毛の販売量が増やせないのならと、品質向上の秘訣を尋ねる者が出始めていた。マシューは聞かれる度に、を伝えていた。

 二人の会話にウスコが、くたびれた帽子を脱ぎながら声を挟んだ。


「そんなに人気なのか。だから羊がみんな裸だったんだな。一人でよくやるよ」


 ウスコは、マシューと同じ羊飼いだ。毛刈りの大変さを、よく知っている。ウスコの言葉に、マシューは頭を振った。


「いや。わしはもう、一人じゃなくてな」

「なんだ、誰か雇ったのか?」

「そうじゃない。孫が一人、来てくれたんだ」


 マシューの話に、ヨハンが、ああと頷いた。


「そういや、マーサがそんなことを言ってたな」


 マーサは、ニースが町の人々と打ち解けられるよう、陰ながら支えていた。ニースが町へお使いに行く際に付き添ったり、女友達との茶会や、町の子どもを集めた食事会を催すなどして、ニースを皆に紹介していたのだ。

 マシューが孫を一人預かっており、その孫の容姿は珍しいという話は、町の隅々まで広まっていた。


 マシューの孫は黒くて珍しいという噂を聞いて、町長など裕福な人々の中には、歌い手ではないかと考える者もいた。マーサはそういった人々にも、ニースはただ黒いだけだと、しっかりやった。

 マーサの説明に意を唱えるものなど、この町にはいない。そんなことをしたら、自分の家で女性陣から追加ではめになるからだ。

 マーサは料理上手で有名だった。レシピをまとめた本は、多くの人の手で書き写され、王宮図書館に置かれているほどだ。マーサの料理を教わった町の女たちは、男たちの胃袋をしっかりと掴んでいた。人は食べねば生きられぬ。男たちにとって妻の機嫌は死活問題だった。


 マーサから聞いた話を思い出し、ウスコが問いかけた。


「まだ小さいって聞いたが、役に立つのか?」


 マシューは、はははと笑った。


「良い子なんだよ。あとで紹介しよう」


 マシューは二人に茶を出し、慣れた様子で秘訣を話した。話を聞いたウスコは、驚き声を挟んだ。


「羊の気分を良くさせる? それで羊毛が良くなったっていうのか」

「ああ、そうだ。ウスコも聞いたことぐらいあるだろう? 悩んでばかりいると髪の毛が薄くなるって話。それの逆ってことだ」


 ヨハンが、からかうような目をウスコに向けた。


「ウスコが知らないわけないよな。お前いつも毛生え薬でいいのがないか探してるもんな」

「余計なお世話だってんだよ。ヨハンまでマシューと一緒になってからかいやがって」


 二人の言い合いに、マシューは、はははと笑った。


「ヨハンと違って、わしはからかってるわけじゃないぞ。本当にそれで、毛の質が上がったんだからな」

「はっ。どうだか」


 仏頂面のウスコを横目に、ヨハンは頷いた。


「羊を育てたマシューが言うんだ。俺は信じるよ」

「俺だって、それは信じるさ。俺が疑ってるのは、マシューがからかってないってことだ」


 ヨハンは慰めるように、ウスコの肩を叩いた。


「なあ、ウスコ。お前も逃げ出したカミさんのことなんか忘れて、楽しく生きていればまた生えてくるって」

「この野郎。お前だって、そんなに余裕あるわけじゃねえだろうがよ」

「そんなに怒るなよ。図星じゃないならな」

「くそっ。ずる賢い野郎だぜ」


 反論したくとも出来なくなったウスコから、ヨハンはマシューに目を向けた。


「それで? 具体的に何をして、羊のご機嫌取りをしたんだ?」

「簡単なことだ。羊が喜ぶことをしてやったのさ」


 ウスコは、まだぶつぶつと何やら呟いていたが、まばらに生えている髪をひと撫でして整えると、声を挟んだ。


「羊が喜ぶことって、何をだよ?」


 ウスコが興味深げに尋ねた時、ちょうどニースが水を飲みに家へ帰ってきた。春の間は、仔羊たちがはぐれないように家のすぐそばで放牧しているため、羊をシェリーに任せて気軽に家へ来れるのだ。

 マシューは、裏口から入ってきたニースに声をかけた。


「おお、ちょうど良かった。ニース、よかったらをやってくれんか」

「うん。いいよ。お水を飲むからちょっと待ってね」


 ニースは返事を返すと、ヨハンとウスコにぺこりとお辞儀をした。二人は、ニースの黒い容姿に驚きつつも微笑みを返した。

 水を飲むニースを見ながら、ヨハンはマシューに問いかけた。


「あの子が、お前の孫か?」

「ああ、そうだ。とてもいい子でな、羊の世話も手伝ってくれるんだ」


 ウスコが、感慨深げに声を挟んだ。


「あんなに小さいのになぁ。リンドが小さかった頃を思い出すぜ。あのリンドが、もう母親かぁ」


 ウスコは、小さい頃のリンドを知っている。マシューが狩人を辞め羊飼いになる時に、仕事を教えたのもウスコだった。

 ニースは喉を潤すと、ヨハンとウスコに挨拶をした。


「はじめまして。孫のニースです。ええと……」

「ああ、俺はヨハン。毛糸や絨毯を作って暮らしてる。そんで、隣のこいつは……」

「俺はウスコだ。マシューと同じ羊飼いだよ。よろしくな、ニース」


 ウスコは、ニッと笑って言葉を継いだ。


「お前さん、もう羊飼いの仕事を手伝っているんだって? リンドも小さな頃は羊と遊ぶのが好きだったが、手伝いはしなかったよ。偉いなぁ」

「ありがとうございます」


 ニースは照れくささを感じて、はにかんだ。マシューが、にこやかに声を挟んだ。


「ニース、すまないな。いつものように頼むよ」

「はい。おじいちゃん」


 ヨハンとウスコは、何が始まるのかとワクワクしながらニースを見つめた。ニースはじっと見つめられて恥ずかしかったが、すでに何度かやったことだ。もうすっかり慣れていた。

 ニースは、ふぅと息を吐き、羊に聞かせるのと同じように歌い始めた。

 ヨハンとウスコは、ニースの声が奏でる澄んだ音色に驚いたが、すぐに耳を澄ませて聴き入った。二人の頬が、自然と緩む。二人は身をもって、歌の楽しさを感じていた。

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