12:新しい家族2(マーサとシェリー)
家へ入ったニースの後を、シェリーが尻尾を振ってついてきた。シェリーは普段、犬小屋で寝ているが、紐で繋がれているわけではない。狼など羊を狙う野生の獣が来た際、すぐに追い払えるよう放し飼いにされていた。
ニースはマーサに勧められ、椅子に座った。椅子のそばには暖炉があるが、今はまだ秋のため、火はついていなかった。床には羊毛で作られた絨毯が敷かれていた。
シェリーは、とてとてと椅子へ近づき、ニースの匂いを嗅いだ。ニースが興味深げに見つめていると、シェリーは賢そうな目で見つめ返し、ニースの手をぺろぺろと舐めはじめた。ニースはくすぐったさを感じながら、シェリーを撫でた。
シェリーの体は大きく、立ち上がれば五歳のニースと同じ高さになりそうだ。シェリーは毛が長く、耳や体の毛は黒いが、首回りの毛は襟巻きを巻いたように白く、四つの足の先と鼻の頭の部分も白かった。
柔らかな毛を撫でたニースは、シェリーの温もりを感じた。三角の耳は気持ちよさそうにへにゃりと垂れて、フサフサした黒い尻尾は嬉しそうにびゅんびゅんと振られた。
「あらあら、シェリーに気に入られたのね。シェリー、ニースに優しくしてあげてね」
飲み物を運んで来たマーサは、シェリーにじゃれつかれているニースを見て笑った。シェリーは心得たとばかりに、わんと吠え、ニースの手を離れると足元に伏せた。
ニースはマーサからマグカップを受け取り、口をつけた。中にはヤギの乳が入っていた。
「マシューのところでは羊しか飼っていないけど、この町ではヤギを育てている家も多いのよ。しぼりたてのヤギのミルクは美味しいでしょう? 王都の人たちはチーズしか知らないと思うけど、ミルクもなかなか美味しいのよ」
「はい。とっても美味しいです」
マーサの言葉にニースはにっこりと笑みを返し、ヤギの乳を飲み干した。一息ついたニースは、マシューの手伝いをしようと立ち上がった。
「ぼく、あんまり疲れてないから、おじいちゃんのお手伝いをしてきますね」
「あら、そう? あまり無理しないでね」
「はい。ありがとうございます」
外へ向かうニースの後ろを、再びとてとてとシェリーが追う。ニースを見送り、マーサは笑みをこぼした。
――ニースは優しいわね。良い子で良かったわ。
マーサは、マシューの亡くなった妻ペネロペと仲が良かった。
マシューが育てた羊の毛を、マーサはフェルトにして町の商会へ下ろしている。マシューと家同士の付き合いがあったマーサは、ペネロペが亡くなった後にマシューが一人暮らしを続けているのを見て心配していた。
マシューの娘リンドは、ペネロペが亡くなった際に実家へ帰ると言ったが、マシューは断っていた。マシューは、自分の世話のために、リンドを連れ戻すのを嫌がっていた。
ニースは楽しそうに笑いながら、マシューと荷を下ろし始めた。窓越しに見ていたマーサは、ほっと胸を撫で下ろし、台所へ向かった。
――マシューも嬉しそうね。これでようやく、安心出来るわ。
マシューには、リンドのほかに子はいない。マシューは一人暮らしも気ままでいいもんだと笑っていたが、マーサは誤魔化されなかった。
一人で暮らしているマシューを、何かと気にかけていたマーサは、マシューが孫を連れて来ると聞いて喜んだ。家と羊のことは任せろと、マシューを快く送り出していた。
孫のニースは話に聞いていた通り、髪も目も肌も全部黒くて珍しかったが、マーサにとってそれは些細なことだった。しっかりしていて賢そうな心優しいニースが、マシューと共に暮らしてくれる。マーサはそれだけで心から安心出来た。
――新鮮なヤギのミルクで美味しいシチューを作りましょう。パンには
自分の作った料理を食べて、ニースが笑う姿を思い浮かべながら、マーサは料理を始めた。
マーサの美味しいご飯でお腹を満たした後、ニースは荷物の整理をした。ニースの部屋はマシューの家の二階に与えられた。昔リンドが使っていたという部屋は、マーサの手で綺麗に整えられていた。
部屋は、伯爵家にあったニースの部屋よりずっと狭く、置かれている家具やベッドも簡素なものだ。しかしニースは、見た事のない部屋に喜んだ。
マーサの手を借り、ニースが荷物の整理をしている間に、マシューは羊の様子を見に行った。
約二ヶ月もの間家を空けたのは、マシューが羊の牧畜を生業として以来初めてのことだった。リンドの結婚式の時ですら、今は亡き妻ペネロペと共に馬を走らせ、一ヶ月ほどで伯爵領と行き来したのだ。幼いニースを連れた今回の旅は、普通に馬車を走らせるより、ずっと時間がかかっていた。
夕暮れが近くなると、マシューはシェリーを使って羊を集めた。羊は家の裏手にある羊舎に集められる。羊たちはそこで集まって夜を明かすのだ。
山には狼や熊などの肉食獣がいる。牧場全体をぐるりと囲むように頑丈な柵が張り巡らされているが、何かの拍子で壊れて獣が侵入しないとも限らない。
マシューの牧羊犬シェリーは、獣の襲来を知らせたり、獣を吠え立てて怯ませる事は出来ても、直接闘える犬種ではない。夜の間、放牧をしないのは、羊を守るために必要なことだった。
荷物の整理を終えたニースが、部屋の窓から外を見ると、シェリーが器用に羊たちを集めるのが見えた。
――シェリーすごい! あんなにたくさんの羊を、上手に集めてる……!
シェリーが羊の動きをよく見ながら誘導していく姿に、ニースは感動した。もっと近くで見ようと、ニースはマシューの元へ向かった。
マシューは羊舎に集めた羊に、水をやっていた。もこもことした毛を纏い、のんびりと寛ぐ羊たちの姿を、ニースは可愛いと感じた。
――ぼくもおじいちゃんのお手伝いを、出来るようになりたいな。
羊たちの世話をするマシューの姿は、とても楽しそうだった。ニースは、自分もマシューのように、羊と仲良くなりたいと、心から願った。
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