下宿生は女子大生

北風 嵐

第1話

「下宿賄い付き」「間借り」なん、てきょうみあるのだろうか。

私らの学生時代、寮に入るか、下宿賄い付きがほとんどだった。アパートを借りて自炊するものもあったが、これは女子学生に多かった。男は外食がもっぱらであった。


アパートで自炊。共同炊事場なんてあった。2階なら廊下の中ほどに少し出っ張ってあった。学生時代のわが友が、味噌汁に入れるネギを切っていた。ぶきっちょな手つきに、隣の部屋の女性が切ってくれた。そのうちにおかずのおすそ分け。いっそ一緒に食べません。友は料理をしなくてよくなった。一緒に食べるは「一緒に住みません」になり、家賃だって半分になったと喜んだ。卒業と同時に、オサラバするつもりが、そうは問屋が卸さない。一緒に住むは「子供が出来る」につながり、とうとう女性の術中にはまってしまった。ネギなんて切って貰うものではない。


私の住んでいるところは、神戸市でも市街地から少し山側に入る。沿線にローカルな私鉄が走っている。神戸は六甲山系に囲まれた海沿いに広がった街である。人口急増期この沿線しか住宅開発するしかなかった。ポートアイランドを埋め立てて造った跡地にニュータウンが出来、地下鉄も通って今はそちらの方が人気が高い。学園都市とか令名して大学もたくさん出来ている。


私の住んでいる街は市街地より3度は違う。よって、夏は涼しく、冬は寒い。開発されだした頃、大手電器店がひと夏過ぎて閉店した。理由はクーラーが1台しか売れなかったのである。今は家も立て込んでどこもクーラーを付けている。幸い我が家は土壁を使った田舎造りなので、夏でも扇風機でなんとか凌げる。夏は快適なのだが冬はいけない。雪が降っているので長靴で出社した女性が下の市街地に降り立つと、雪がなく無粋な靴を履いている者はいなくて恥ずかしかった、と語ったことがある。下に住む人からは『チロリン村』と冷かされている。


そんな私の街にも大学が下の市街地から移ってきた。下を売った値段でより広い土地が手当出来て、広いキャンパスが学生募集の売りになるのである。中、高校からの女子の一貫校であるが、出来たのは大学だけである。幼児教育科というのがあって、保母さんや養護教員の養成に定評があるというのである。駅の乗降がにわかに色めいて華やかになった。

通学には駅から坂道を10分ほど歩く。我が家の前の道は大学に近道になるのだが、坂が急で登校時は遅刻しそうな子たちだけが息せき切っている。帰りはかなりな学生が三々五々お喋りをしながら帰る。


駅前といっても、パチンコ屋は一軒、居酒屋は二軒ほどしかない寂しいものである。私はここで新婚時代の2年間を過ごした。仕事の関係でほとんどを大阪で過ごした。この家で独居していた母に介護の手がいるようになって、仕事を引いた私が帰って来た。丁度その頃息子に子供が出来て、妻はこれ幸いと「あなたはお母様、私は共稼ぎの子供を応援しなくっちゃ」と、大津の息子の家に居ついてしまった。かれこれ2年ほど拙い介護をしたのであるが、母も亡くなり、この家で一人で住むことになった(させられた)。


たまに駅前の居酒屋に行くのであるが、カウンターが一杯だったのでテーブル席で競馬予想をしながら飲んでいた。

「おじさん、お邪魔していい」と声をかけられた。

若い娘である。他の席も一杯で断る理由もない。

「おじさん、食べているそれ何?」と訊いて来た。

「豚足、ブタの足」

「ええ^食べられるんや、どんな味?」

「食べたほうが早い。一つ食べてみ」と皿を差し出した。

「へー」と言いながら、口に入れた。

「ゼラチンが多くて口当たりがいいやろう」と私が説明。

「うん、でも私はおでんを注文する」どうも、口には合わなかったようである。

「さっきのお礼。一つ取って」と、おでんの皿を差し出した。私は小皿を貰い、こんにゃくを貰った。昔、こんにゃくを貰って…ここで語りだすと長くなる。(関心ある人は、私の下手な詩「アニヨン酒場」でも読んで)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る