出石城跡にて童女と戯れる その2
「クスクスクス、また人間が迷い込んだのね」
鈴を転がすような声が木霊する。
風が木の葉を揺らす音に混じって、しかしその声は澄んだ音で心に直接語りかけてくるかのようだった。
「どこを見てるの。そっちじゃないよ」
その幼き声は含み笑いとともに真上から浴びせられた。
見上げると、鳥居の上に腰掛ける童女の姿があった。日本人形のような和装で、顔は狐の面をつけていて表情などは読み取れないが、声の調子と見下ろす様子から人を小馬鹿にしているのは間違いない。
足をパタパタ動かしているが、楽しいからなのか、退屈だからかは判断つかない。
背格好から小学生、それも高学年ではないくらいだろう。
ボクが怪訝な顔で見上げていると、その子は唐傘を広げてパラシュートのようにふんわりと降りてくる。タンポポの綿毛のように自由に風に舞い、好きな場所へ着地できるようだ。螺旋状に旋回しながらボクのすぐ隣に降り立った。
「ねえ、遊びましょう」
狐のお面がこちらを見つめている。
無邪気な声とは対照的な無表情の瞳がなんだか不気味であり、しかし蠱惑的でもある。
朱色の袖がボクの腕を引っ張る。
鳥居と同化しそうな朱い着物は、むしろ鳥居がひとりでに踊りだしたかのような印象を受ける。この童女は鳥居の擬人化した姿なのだろうか。
そんなことを考えていると、その子が掴んでいた手をぱっと離す。
「鬼ごっこ。ほら、アナタが鬼ね」
声の調子は軽やかで、純粋に遊びたがっているようだった。
両足で軽く跳んで階段を一段登る。その後は軽い身のこなしで小さな歩幅にもかかわらず、左右の足であっという間に階段を駆け上がる。
「大人をナメるなよっ!」
啖呵を切って威勢よく階段を駆け上がる。
正確に言えば大人ではないかもしれないが、選挙権があればもう大人と言って差し支えないだろう。
小学生相手に本気を出す大人。
姉なら容赦ないだろう。
「そんなんじゃ捕まえられないわよ?」
ボクは運動が得意な方ではない。
イメージした姿は忍者のように華麗な身のこなしで階段を駆け上がる姿であったが、現実は蛙跳びのようで一段昇っては両足を揃え、また次の段へと同じ足を踏み出して登っていく。
この子と同じような調子で登っていっては確実に踏み外して怪我をする。
「あらあら。さっきの勢いはどうしたのかしら」
ボクがようやく童女のもとに到着した頃には息を絶え絶えで顔をあげることすらままならなかった。
目の前に居るはずの彼女がずいぶん遠くに居るような気がした。
調子を整えて顔を上げる。
狐の面が笑っている。気が、した。
「くっ」
触れようと手を伸ばした。
捕まえようとした瞬間。
朱い着物が風になびいて彼女の体はふっと宙に舞う。
声を上げる暇もないままその身は落ちていく。
「――っ!?」
仰向けに落ちていくその背中には唐傘が見えた。
持ち手を変えると傘が彼女を覆い、落下は着地へと変わる。
稲荷参道は定期的に休憩所のような小さな広場が道中にあり、彼女はそこに降り立ったのだ。
良かった。
胸をなでおろして彼女を見ると、こちらをじっと見上げている。
……あまり満足している風ではない。
「鬼ごっこは駄目ね。アナタには捕まらない自信があるもの。だからかくれんぼに変更しましょ。ほら、こっちに来てご覧なさい。それまでに隠れるから、見つけられたらアナタの勝ちね」
そう言うと小さな体は手前の茂みに潜り込んでその姿を見失う。
「むむぅ……」
バカにしやがって。
大人(自称・二回目)をナメるなよ。
上りよりは軽快なステップでさきほどの広場を目指す。といっても軽快なのは自分の脳内だけで、実際はそこまで早くもないし、なんなら同じくらい息切れしている。
昔からあまり活発ではなかったので、こうやって鬼ごっこやかくれんぼ自体あまり経験がない。ザ・今どきの子供である。
そのため実は内心ちょっと楽しかったりもするのだが、反面思ったより体力を使うので長丁場だと辛いということも判明した。
広場まで降りてきたが、当然かくれんぼなので童女の姿はない。
「うふふっ」
笑い声が木霊する。
あちこちから反響して聞こえるようで、居場所を探る手がかりにはなりそうにない。
休憩所のトイレの後ろや自販機の裏、ベンチの周辺も見て回ったがどこにもその姿はない。
参道とは別の降り口もあるのだが、そちらに向かうと
「そっちじゃないよ」
とゲームのようなセリフが聞こえてくる。
親切だな、おい。
「あんな派手な着物なのに、見つからないなんてことは――そうか」
朱い着物。
鳥居と見間違えそうになったじゃないか。
きっと下りてくる道中、実は鳥居の裏に隠れていたのを見逃していたのだ。
急いで稲荷参道に戻り、鳥居の柱を見上げる。すると一つだけ小さな影がさっと動いたように見えた。
間違いない。そこに彼女は居る。
ボクは膝に手を置きながら、それでも顔を見上げて影を見逃さないように、その場所を見失わないように階段を登っていく。
次の広場の手前、鳥居の後ろに童女の着物の裾がちょこんと見え隠れしていた。
頭かくしてなんとやら。
その裾を指先でつまむ。
「みーつけたっ!」
もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。
かくれんぼの鬼をして、こんな当たり前の言葉を言ったのは。
「あら、残念。見つかっちゃったのね」
残念と言う割には嬉しそうな声を上げ、童女は楽しそうに姿を見せる。
狐の面は笑っていた。
表情など見せないと思っていたそのお面が、いつの間にか表情豊かに見えたのはボクの気持ちが変化したからなのだろうか。
果たして、そのお面の下にはどんな表情が隠されているのだろう。
ボクは無性に見えないその表情が気になりだした。
ゆっくりと、お面に手を伸ばす。
「もう遊びはおしまいかしら」
その声からは表情を読み取れない。
お面を掴む。木製でザラザラとした触感。固くてしっかりしている。
お面を手前に傾けて手に力を入れた瞬間、何かの影がボクの指を這う。
そしてそれは手の甲に現れた。
「う、うわわっ!!」
朱い無数の節足が蠢いていた。
「じっとしてなさい」
姉の声に我に返る。
ボクが強張って動けないでいたら、手の甲についていたムカデを姉がさっと払い除けた。
「アンタ相変わらず虫が苦手なのね」
「もうヤダ。死ぬ」
「アンタ何回死んでるのよ」
何度もやり取りされている会話である。
「良い運動になったし、そろそろ本命の温泉に向かいましょうか」
「長い道草だった」
「いや、アンタも食い付いてたじゃないの」
幻想的な異世界への扉はまたしても閉ざされ、時計台が鳴らす時報の音と蕎麦の匂い漂う現世へと引き戻された。
ムカデは死ぬほど嫌いになった。
この嫌な感情を洗い流せるのは、やはり温泉くらいのものだ。
温泉に入るまでは死ぬわけにはいかない。
「今日もまた異世界へ行けなかった」
車は北上し、城崎温泉を目指す。
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