第43話 父と娘

トゥーリの父親——ウェルが処刑のためにカーティオへと手を拘束され連行されるとき、トゥーリは今の彼女からは考えられないほど取り乱し、泣き叫んだ。彼女の叫び声は屋敷内に響き渡った。


「お父様、行かないで!なんで……なんで魔王様に逆らったりなんてしたの!私はっ、どうでもいい人間の安全よりもお父様に生きていてほしかった!」


彼女はの大粒の涙を瞳からあふれさせ、ウェルの服の裾にしがみついた。


「ちっ、離せ小娘!貴様も連行するぞ」


ウェルを連行しようとしていた衛兵の一人が悪態をつきながらトゥーリと蹴り飛ばすと、彼女はきゃあと言いながら床にしりもちをついた。


「娘に手を出すのはやめてください!私から言って聞かせますので」


ウェルがそう衛兵に懇願するが、衛兵は気にも留めずにトゥーリの髪をつかみ持ち上げた。


「いいかお前の父親はなぁ、帝国を導く魔王様を支える義務のある貴族様であるにもかかわらず、あろうことか魔王様に逆らったんだぞ。しかも逆らった内容も、人間なんぞと仲良くしましょうときたもんだ。傑作だよなぁ、ゴミムシと仲良くなんかできるわけないだろ」


後ろに控えていた衛兵が腕をつかみ、やりすぎだとたしなめるも、その腕を振り払い言った。そして、嗜虐的な笑みを浮かべて言った。


「いーや、駄目だね。こいつは自分の父親がどうなるべきか知るべきだ。いいか、お前の父親はなぁ、帝都の広場で民から石を投げられ、罵詈雑言を浴びせられながら首を斬られて死ぬんだよ」


トゥーリは憎悪、いや殺意のこもった目で衛兵をにらみつけた。


「……なんだよその眼は。なんだ?俺に逆らおうっていうの……あぁぁぁぁぁ」


話している途中で、衛兵は突然叫び声をあげ始めた。それと同時に彼の体が光だし、まばゆい光がその場を包んだ。クロウが、いやネブラが目を開けると、そこには恐怖に顔を引きつらせ先ほどの衛兵が描かれた絵画があった。そして、トゥーリがその絵に手をかざすと中から、先ほどの衛兵が、まるで沼から這い出てくるように絵の中から出てきた。だが先ほどの衛兵の邪悪な目つきではなく、その瞳には光がなかった。そして、トゥーリがウェルを拘束する衛兵の方をキッと見ると、うつろな目をした衛兵はゆっくりと彼らに近づいていき、そして腰に下げた剣に手をかけた。


「やめなさい!」


屋敷にウェルの張り上げた声が響く。父親のそんな声を聴いたのが初めてだったのだろう、トゥーリはびくっとしてとっさに下を向いた。ウェルは手を縛られたまま彼女の足元にかがみこんで、彼女をまっすぐに見た。


「トゥーリ、魔法を解きなさい。魔法をこんなことに使っちゃいけないよ」


「だって、だってこいつがお父様のことを侮辱したんだもの!」


瞳に涙を浮かべながらトゥーリは訴えた。そんな様子の愛娘にウェルは優しく微笑みかけた。


「私のために怒ってくれてありがとう。でもね、憎しみに塗りつぶされてはいけないよ。憎しみは人に不幸しかもたらさないんだ」


「……私には誰も憎まないなんて無理よ。お母様はショックで倒れてしまったし、お父様は——」


彼女の絞り出すような言葉を聴いて、ウェルは優しく、だが悲しみに満ちた表情でトゥーリに語り掛けた。


「君のそばから離れなければならなくなったこと、君を悲しませたことは本当に済まないと思っている。だけどね、こう言うと君は怒るかもしれないが、私は間違ったことをしたとは思っていないんだよ。今の魔王様の考え方ではだれも幸せになんかなれない、待っているのは虚しさだけだよ」


「間違っているとかいないとかなんてどうでもいい!ただ、私は——」


ぎゅっと目をつぶり叫ぶ少女の頭を、ウェルは縛られた手のままゆっくりと撫でた。


「人にはね、命を賭してでも信念を曲げてはいけない時があると、私は思う。それはきっと、ただ漫然と長い時を生きるよりも重要なことなんだ。今のトゥーリには分からないかもしれないが、きっとわかるときが来ると私は信じているよ。ほら、彼を解放してあげなさい」


その言葉を聞いてもトゥーリの表情は晴れることはなかった。だが、彼女は父親の最後の頼みを拒むことは出来なかった。


彼女が震える手を絵画の方へと向けると、再び絵画が輝きだした。そして、唐突にその光は絵画と共に消え、そこには恐怖の表情を浮かべた衛兵が尻もちをついていた。彼の分身は徐々に透明になり、彼が絵画から解放されて数秒後には完全に消えてしまっていた。


「こ……こんなことをしてただで済むと思っているのか!」


足を震わせながら衛兵は腰の剣を抜き、座り込むトゥーリへと向けた。ひっ、と身をすくませる彼女であったが、ウェルは大丈夫だよと彼女に優しくささやくと、衛兵とトゥーリの間に立ちふさがった。


「娘に代わって無礼をお詫び申し上げます。ですが、子供がしたことです。その責は、親である私がとります」


「それで納得できるわけないだろうが!」


衛兵はそう言って、ウェルの胸ぐらをつかんだ。だが、ウェルがひるむことはなく、衛兵をその静かに燃える青い瞳で見た。衛兵はその瞳に威圧されたようで、手を離すと一歩後ろへと下がった。


「おい、いい加減にしろ。連行する時刻はとうに過ぎてるんだ。急がないと、我々が罰を受ける羽目になるぞ」


仲間の衛兵が、ウェルともめていた衛兵の腕をつかんだ。


「チッ、分かったよ。ほら行くぞ、罪人」


衛兵はしぶしぶといった様子で、ウェルを連行し去っていった。これが、トゥーリが父親と会話した最後の記憶であった。そして悪いことは重なるもので、体調を崩していたトゥーリの母親も、ウェルが処刑された5日後に病死した。


彼女はこの世で最も大切だった存在を一瞬で失ってしまった。そしてそれは少女の心を壊すには十分すぎる出来事であった。

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