LINE09:Syncope

 7月も終わりが近い。

 遥の調査によって「最新型うつ」が加速度的に拡大していることが浮き彫りになってきた。

 新しく分かったことは、初期に罹患したと思われる人々はOrionが運営している最大手携帯キャリアと契約していたことだ。その数か月後くらいからは、それ以外のキャリアの契約者も最新型うつ―つまりavenue中毒のような状態になり始めている。

 その他の変化としては、優斗や竹村の他に別クラスや他学年で欠席がちだった人々もavenue上でなら普通に会話が出来ることが分かった。

 連絡が取れるようになってひとまずは安心なのだが、未だに直接会えたという話は聞かない。そのため僕個人の考えでは根本的には何も解決していないのではないかと思っている。


 ハッキングという手段はとても褒められたものではないが、こういった方法でもなければここまでの情報は得られなかっただろう。

 とはいえ一介の中高生でしかない僕と遥でこの状況を解決させることなどできるのだろうか?

 もし仮にこの洗脳のような事案がOrionによって意図的に引き起こされているものだとしたら、世界最大の企業を相手に僕たち二人で何かしようというのは現実的ではない。あれだけの規模の企業だ、下手に動いたら最悪の場合消されてしまうかもしれない。

 つい先週まで平和に高校生してただけなのにまさかこんな心配をする羽目になるとは。

 少なくとも現在持っている情報は合法的に得たものではなく公表することすら難しい。僕たちはとりあえず個人でできる範囲のことから対策をしていくしかなかった。


 遥は今日もPCに向かって情報収集をしている。

 この間叱りつけておいて何なのだが、もはや遥のハッキング無しでは能動的に情報を集めるのは難しく、現在はほぼ黙認状態になってしまっている。

 自分が情けないが、こうでもしなければ優斗や竹村を救う手立てが見つからないのが現状だ。

 遥はavenue上のアカウントの個人情報抜き取りの他、LINKの会話履歴を閲覧するというさらに危険な不正アクセスに手を出している。もはや完全に犯罪である。

 彼女曰く「今のシステム程度ならハッキングもアクセスログの除去も簡単だけど、LINKのセキュリティって日々進化してるみたい。Orionのエンジニアは腕がいいね、燃えるぜ」だそうだ。本当にこの子の将来が心配だ。


 そうして得た情報としては、最新型うつの患者はavenueへのログイン頻度が増えるにつれ、現実の本体の症状が悪化している傾向があるかもしれないということだった。

 悪化って?と僕は遥に質問する。


「比較的初期に罹患したっぽい20代の女の人とその回りの人の会話ログを覗いたんだけど。やっぱり音信不通だったみたいで周りの友達が心配して自宅まで押し掛けたみたいなのね」


 僕と優斗で竹村の家に行った時と同じだ。


「その頃には多分罹患してからかなりの時間が経ってたみたいなんだけど……寝込んでてほとんど会話も出来なかったって」


 肌が粟立つような感覚と悪寒がした。

 もし症状の悪化が事実だとすれば今すぐにでも二人にavenueへのアクセスをやめさせなければならない。効果があるのかは分からないが今できることはこれくらいしかないのだ。

 赤坂にメッセージを送る。僕は今から優斗の家に行く、赤坂は竹村の家に行ってもしavenueをやっていたら多少強引でもいい、アクセスを遮断してくれないか。


 赤坂から返信が届く。当たり前だが状況が飲み込めていないようだ。僕は僕で冷静さを欠いていてうまく説明が出来ていない。

 後で説明する、avenueは危ないんだ、PCや携帯の電源を切るとかでいい、とにかく竹村をavenueから離してくれ、と赤坂に伝えると「よく分からないけど大変な事態なんだね、了解」と返信が来る。ありがとう、赤坂もavenueには触るなよ、と僕は返信する。

出発前、遥にもうひとつ質問をする。その20代の女性の今の状況は?


「多分変わってない、avenueにいる……」



 僕はふた駅分なら電車を待っている時間がもったいないと判断し、電動自転車を飛ばして優斗の家へ向かう。

 橋を渡り、通行人を避けながらマンションを目指す。

 優斗の家に行くのはしばらくぶりだ。こんな用事ではなく遊びに行くんだったら良かったのだが。

 本間家のマンション前の保育園では園児たちが少しずつ帰宅を始めていた。

 妹の奈央ちゃんは確かここの保育園のはずだったが、少なくとも園児たちの中に奈央ちゃんの姿はない。

 僕は自転車を止めて階段を上り、部屋の前でチャイムを鳴らしてみるが応答はない。少し抵抗があったが鍵が開いているか試してみるとあっけなくドアは開いた。

 遥のハッキングといい、最近は危ない橋を渡るような行為ばかりだな、と思いつつごめんください、と声をかけてみる。

 相変わらず返答はないので部屋に踏み入ってみた瞬間、饐えた匂いが鼻をついたこれは腐臭だ、本格的に嫌な予感がする。

 電気はついているが、誰かがいる雰囲気が無い。もはや祈るような気持ちで少しずつ奥に踏み入っていく。

 リビングの扉を開けると、優斗の弟の真也君が倒れていた。

 僕は真也君!と珍しく大声を上げて名前を呼びながら駆け寄り、彼の体を少し揺さぶりながら大丈夫かと問いかける。

 真也君は虚ろな目でこちらを見つめ「修君……?」と力なく返事をした。

 良かった、生きている。だがこれはただ事ではない。

 優斗は?奈央ちゃんは?と彼に問いかけるが反応が薄く、真也君は部屋の奥を指さしてあっち、とだけ答えた。

 僕はその場に真也君を楽な姿勢で寝かせ、待っててね、すぐ救急車を呼ぶから、と伝えて急いで優斗の部屋に向かう。


 ドアを開けると、優斗はPCデスクに突っ伏すような姿で気を失っていた。


 救急車とパトカーの赤色灯が夜の住宅街を照らす。

 僕は優斗と両親、奈央ちゃんを発見したのちすぐに救急車と警察を呼んだ。

 事情聴取には「優斗と連絡が取れなくて心配だったので悪いとは思ったが家に踏み入った」と説明しておいた。


 優斗の両親と奈央ちゃんは別の部屋で倒れていた。真也君と奈央ちゃんはなんとか受け答え出来ていたが、優斗と両親ふたりは生きてはいるものの問いかけにまるで反応が無かった。

 これから病院で検査をするのだろうが、僕には彼らが回復するのをただ待つことしかできない。

 今は混乱して何をすればいいのかも分からない。SNSアプリが人をあんな状態にする?そんなことを警察や医療機関に話したところでまともに取り合ってくれるとは思えないし、僕自身も信じられないし信じたくもない。

 洗脳というくらいならかろうじてあり得るかもしれないとは思うが、あの状態はうつとかそういうレベルではない。あれはまるで廃人……そもそも回復する見込みはあるのだろうか、そこまで考えて僕は思考を放棄した。

優斗が廃人になってもう戻らないかもしれない、などと一瞬考えたら悪心がして吐きそうになった。


 茫然と自転車を押しながら、自宅のそばまでたどり着くとここでも赤色灯が回っていた。

 そうだ、竹村……。赤坂は竹村の家に行ったんじゃなかったか。僕が頼んだんだ。

 考えたくないことを頭から振り払おうとするがうまく行かない。自転車を押す手が震える、先程より酷い動悸と悪心で目眩がする。


 警察から事情聴取を受けている赤坂が視界に入ると、僕はその場にへたり込み、支えを失った自転車ががしゃんと音を立てた。


あの後赤坂とは何を話したのかあまり覚えていない。

 彼女も僕と同じように憔悴しきっていてとてもお互いに話ができるような状態ではなかった。ただ二人とも、同じようなものを目の当たりにしたことだけは分かった。

 あれから二日が経ったが優斗と竹村の件がニュース等で流れる様子はない。遥によると掲示板での噂話程度にはなっているが報道機関による発信はないとのことだ。

 あれだけの事件なのに報道されないのは不自然な気もしたが、そんなことを考えられる余裕はなかった。

 遥は「分かってると思うけど念のためavenueにはアクセスしないように」と僕に忠告したが、それ以前に僕にはavenueどころか調べものをしたり考え事をする気力すら起きなかった。遥なりに気を遣ってくれたのか、この二日間彼女はとてもおとなしく過ごしていた。

 ようやく落ち着きを取り戻してきた僕は少しずつ情報を整理し始めた。


 ノックをして遥の部屋に入る。

 しゅー君、大丈夫なのと遥は心配そうな顔をしている。

 ありがとう、とりあえずはもう大丈夫だよ。僕は整理した情報を遥に伝え始める。

 本間家、そしておそらく竹村家でも全員が倒れていた。あの症状は伝染する可能性が高い。現在のところ原因は不明だが、avenueが関係していると見て間違いないだろう。

 優斗は最初の一週間は登校してテストを受けていたが、その後もう一週間程度であの状態に陥った。

 では真也くんと奈央ちゃんは?優斗より少し後に何かしらの原因と接触していないだろうか。逆に優斗の両親がavenueに頻繁にアクセスし始めたタイミングはないか?

 そのあたりの検証を遥に頼むことにした。遥はまかせて、と少し微笑んだ。もうハッキングは違法だからなどと言っている場合ではない。

 この前は叱ったのに結局頼ることになってごめんな、と僕は言ったが遥はもうPCに向かって作業を始めていて、僕の声は聞こえていないようだった。


 遥の部屋を出て、僕はあの日の状況を改めて確認しておきたいと思い、LINKで赤坂にメッセージを送る。既読はつかない。

 これがただ単にふさぎこんでいるだけならいいのだが、竹村や優斗の症状が頭をよぎる。僕は少し赤坂が心配になり、直接会いに行くことにした。

 少なくとも一昨日の時点で彼女の様子におかしい点はなかった。普通に考えれば親御さんも健在だろう、家宅に侵入するような真似はしなくて済むはずだ。


 赤坂の自宅の最寄駅は知っているが正確な住所は分からないのでLINKのグループトーク上で聞いてみる。

 普段であればいきなり女子の住所を聞くのには抵抗があるが、ここ最近の件を引き合いに出し赤坂と連絡が取れない旨を伝えるとすぐに住所を教えてもらえた。駅からもさほど離れていない、うちから15分といったところだな。

 絶望していても仕方がない。今は何かが吹っ切れたような気分で、使命感のようなものが僕を突き動かしている。

 僕は一昨日と同じように自転車を駆り、赤坂の住む街を目指した。


 赤坂家に辿り着きインターホンを鳴らすとはーい、と応答が返ってきたので学校名と名を名乗る。

 扉が開くとやや長身の赤坂と違って小柄な女性が現れた。赤坂のお母さんらしい、健康そうで僕は少し安心した。

 学校関連の伝達事項があって、と僕は適当に伝える。

「わざわざありがとね、どうぞどうぞ入って、ゆっくりしてってね」と朗らかに言う彼女は身長は違うが赤坂に似て明るい印象の人だなと僕は思った。

 一昨日は大変でしたね、何か聞いてますか、と僕が質問すると「それがふさぎこんじゃってあまり話してくれないのよね、ご飯は食べに降りてくるんだけど」とのことだった。

 二人で二階に上がり、部屋の扉をノックすると赤坂のお母さんは「梨香ー、松前君が来てくれたよー」と声をかけるが応答がない。

 ま、開けちゃいましょと言いながら彼女が扉を開くと、赤坂はPCに向かっていた。

 まずい、あの画面はavenueだ。まさか赤坂も取り込まれてしまったのか。

 僕は急いでデスクの方へ向かい、PCの電源を落とそうとした。「やめてよ、何するの!」と赤坂が声をあげて抵抗する。


「avenueは危ないってこないだ言っただろ、竹村も優斗もavenueのせいでおかしくなってるんだよ!」


僕は声を荒げる。竹村の名を聞いて赤坂は一瞬目を見開き、違う、違うの……と顔を歪めながら涙声で話し始めた。


「二人とも、この中で生きてるの、恵も本間も……avenueの中で、普段どおりに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る