LINE07:Orion

 夏休みに入って数日が過ぎた。

 終業式の日にavenue内で会話した優斗はまったく普段通りの優斗だった。

 遥が言うように乗っ取りの可能性も考えて少しカマをかけるような質問もしてみたが、あれは本人が応答していると見て間違いないだろう。

 優斗曰く、連絡が滞っていたのは悪かった、今度からちゃんと返信するよ、心配かけて悪かったな、とのことだった。

 ただ、部活に出ていない理由や夏祭りは来れるのかといった質問に対してはいまいち歯切れの悪い答えしか返ってこなかった。

 竹村も同様にavenue内で活動していて応答自体は普段通りだったが、やはり夏祭りの誘いなどへの回答は今度連絡するね、というようなものだった。


僕はavenueのアカウントを持ってはいるがログインすることはほとんどない。仮想空間で仮想生活をするという行動にそれほど魅力を感じないからだ。

 だからこの間優斗を探すために久々にアクセスした時、サービスやユーザー数が以前と比較にならないほど大規模に成長していたのには非常に驚いた。

 パッと見た感じでもアクティブユーザーが国内だけで数十万人はいるようだった。僕のような幽霊ユーザーや複アカも入れれば百万アカウントを越えてくるだろう。

 今や世界最大のIT企業とはいえOrion社のサーバーはいったいどのくらいの容量と処理能力を有しているのだろうか。事業規模も資金規模も一介の高校生にはとても想像の出来ない世界だ。


 正直、現代社会はある一面においてはOrionに支配されていると言えるかもしれない。

 Orionの沿革はラジオ等を作る小さな電機メーカーとして戦前から始まっている。

 戦時中にはラジオ製作のノウハウを活かし、盗聴・傍受されづらい独自の通信機類を大量納入していたようだ。

 それによって事業規模を拡大した同社は計算機事業にも参入、真空管や半導体にも手を拡げてゆく。

 80年代に入ると当時としては安価なコンピュータを主に一般家庭をターゲットに販売し始める。

 大人には仕事用途、子供にはゲーム用途という触れ込みで発売されたOrion Op.1というマシンは「コンピュータは工場などで動いているもの」という固定観念を一変させ、パーソナル・コンピュータという概念と言葉を世に浸透させた。

 そうして一般家庭にある程度PCが普及した90年代中期頃、現CEOである海堂匡はさらに革命を起こす。

 OS、つまり基本ソフトであるAtmosphere ver.4の発売は文字通り世界を変えた。

 これ以後世の中の会社や小売店、病院や学校、どこに行ってもAtmosphereのインストールされたPCを見るようになり、数年後には一家に一台のPCが当たり前になり、そのすべてがインターネットによって繋がった。

 そして現代、PCは一家に一台から一人一台かそれ以上の時代となり、スマートフォンという形で人々に行き渡っている。

 この前「LINKとかavenueってどこが作ってんの?」と遥に聞かれたのでこの話を熱く語っていたら彼女は途中で寝ていた。

 最初は「へーすごい、Orionってハードだけじゃなくてソフトも作るんだ」と感心していたがあいつは本当に歴史には興味がないようだ。親父もOrionのエンジニアなのになぁ。


 しゅー君、ちょっと来て!と二階から声が響く。僕に何か用事があるらしい。

 階段を上り元々は姉ちゃんが使っていた遥の部屋に入る。

 床にはお菓子の空き袋や分解された機械のパーツ、脱ぎ散らかした部屋着に漫画などが無秩序に散らばっており、姉ちゃんがこの部屋の変貌ぶりを目の当たりにしたらキレるか卒倒するだろうな、と僕は呆れ顔で思った。


 デスクの方に目をやると彼女はavenueの画面を開いていた。

 どうしたの、と聞くと遥はちょっとハッキングしてみたんだけど気になることがあるの、といきなり物騒なことを言い出して僕はショックで少し目眩がした。

 これは駄目だ、いくらなんでも叱らなくてはならない。僕は深呼吸をすると普段は出さないような調子で遥、とゆっくりと話し出す。

 頭がいいからってやっていいことと悪いことがあるだろ、バレなきゃいいとかそういう問題じゃないんだよ、犯罪に手を染めるような子に育てた覚えはない。

 そんな内容のことを言うと遥は一瞬驚いたような表情の後、顔を歪めてか細い声で謝り始めた。


「ごめんなさい……でも優斗くんのこととか……しゅー君も……色々心配で……ごめんなさい」


 しまった、言い過ぎた。遥は泣きそうだ。

 彼女なりに心配してくれての行動だというのは分かっているのだが、つい感情的になってしまった。でも甘やかすのは良くない、伝えるべきことは伝えなくては。

 僕も小さい頃に両親の財布からお金を盗ったのがバレて親本人より何故か姉ちゃんからメチャクチャに怒られたことを思い出す。

 あの時の姉ちゃんと同じように、今度はなだめるように優しい口調で話し出す。


 強い力っていうのはね、使い方を間違えちゃいけないと思う。だから遥、君の能力は軽率に振り回すような使い方をしちゃ駄目だよ、僕や優斗のことを心配して動いてくれたのは分かってるから。

 遥はまだ下を向いたままうん、うんと頷いている。

 怒鳴ったりしてごめんね、と言いながら頭を撫でてやると遥は僕の胸の辺りに頭を押し付けてきたのち一分程度の沈黙の後、よし、落ち着いたと呟いて僕のTシャツで顔を拭く。下を向くとTシャツに涙と鼻水っぽいものがついている……。

 僕はふう、と一息付き、それで気になることって何?僕は着替えてくるから遥も顔洗っておいで、と伝えて一度遥の部屋を出た。


「優斗くんと竹村さんの行動ログを閲覧してみたの」


 もうすっかり落ち着いている様子の遥が言う。

 優斗は先々週くらいからavenueへのアクセス頻度が増え、現在は毎日ログインしているようだが、その前にログインしたのは三ヶ月前らしい。その三ヶ月ぶりのログイン日は僕と二人で竹村のお見舞いに行った日だった。


「会話ログによるとその日avenueに優斗くんを誘ったのは竹村さんみたい。プライバシーの問題もあるからサッとしか見てないけど、それ以降は特に変わった内容の話はしてないみたいだよ」


 天下の大企業Orionのサーバーに侵入しておいて人のプライバシーを気にしてるのもなんだかなあとは思うが、遥なりのモラルなんだろう。少しずれてるのは否定できないが。


「それで、ここからが気になるところなんだけど、しゅー君の学校に他にもしばらく休んでるとか連絡が取れない人っていない?」


 うちのクラスでは今のところ竹村と優斗以外にはそういった話は聞かない。ちょっと聞いてみる、とLINKでクラスのグループにメッセージを送る。

 返信を見るとこれで全部かは分からないが、聞いた限りでは10人程度しばらく休んでいる生徒がいるとのことだった。

 少し聞いただけでこの数というのはかなり多いと言えるかもしれない。その他の所感としては女子の比率がやや多いように思える。

 そう伝えると遥はその人たちの名前をリストアップし、avenue上でアカウントを探し始めた。やっぱりだ、と遥が言う。


「仮に『最新型うつ』としておくけど、連絡が取れないとか、学校に来ていないとかでこの病気に罹患していると思われる人々は例外なくavenue上にいて、ほぼ毎日のようにログイン……というより下手するとそもそもログアウトしている様子自体がないの」


 どういうことだろう、うつになると仮想空間に逃げたくなるとかそういうことなのか?


「多分そういうことじゃない、優斗くんも竹村さんも普通に話してたでしょ?うつの人同士が集まって会話してたらもっとネガティブな空気が生まれると思うのね。さっきリストアップした人たちも同じで、avenue内ではごく普通に会話してるし、さらに言うと仮想空間内の学習セミナーに参加したりとか、イベントを企画して人を集めたりしてる人もいる。うつでやる気が起きない人たちの行動とは思えなくない?」


 言われてみれば確かにそうだ。

 つまり、現実世界では気力や体力が沸かずに学校や部活も休んでしまうが、avenue上での仮想生活では元気に過ごしている、という状況になっている。そしてavenue内のアバターはアカウントの乗っ取りなどではなく間違いなく本人のものだ。


「女子が多いとかの理由はちょっとまだ分からないけど、これってもしかして洗脳とかじゃないのかな。avenueにアクセスした人を何らかの手段で『最新型うつ』の状態に陥らせる、罹患した人はavenue上に入り浸るようになる……」


ディスプレイを通じて人の行動を操るなんてそんなことが可能なのか?


 サブリミナルという効果がある。

 1950年代、映画の上映中に炭酸飲料の映像を一瞬だけ混入させた結果その日の炭酸飲料の売り上げが劇的に伸びた、という実験があったそうだ。

 人間が認識できるかできないかの一瞬の映像が潜在意識に刷り込まれることで、例えば「なんとなくドリンクが飲みたいかも」という気持ちを惹起させる、というのがこの効果の概要だ。

 実験の真偽はさておき、近代では詐欺グループや宗教団体が洗脳用途にサブリミナル映像を使用していたというような経緯もあり、国内では広告等にサブリミナル効果を使用することは禁止されている。

 しかしこれが洗脳の類だったとしたら完全にそういうレベルを超えている。

 サブリミナルは一瞬の映像を混入させるという性格上、「ドリンクを飲もう」とか「この番組を見よう」といった単純な提案程度しか出来ないはずだ。

 仮に「この人の言うことを聞け」というメッセージが組み込まれていてその暗示にかかったとしても、今度は人々を動かすために命令をするというプロセスが必要なはずだ。

 avenue上にそういった人物や組織の存在は見られない。それに僕も遥も調査目的とは言えavenueにアクセスしているが、今のところ特に問題は発生していない。

 優斗に関してはあの日一日で様子が変わってしまっているが、何か特定の映像や命令などを受けたのだろうか、例えば竹村を通じて。

 しかしそれも根拠としては弱い、僕はavenue上で優斗とも竹村とも会話している。感染の拡大が目的ならば僕もとっくにターゲットにされているはずだ。

 頬杖を突きながら色々と思慮を巡らせていると遥が口を開いた。


「他にも常時ログインのヘビーユーザーを少しピックアップしてみたよ。確かに傾向としては女子の比率がかなり多いね。あと、年齢層は若めで、高齢になるほど少ないかも、30代中盤くらいからガクンと減ってる。一番多いのは女子中高生かな。それにここ最近、ヘビーユーザーの増加ペースがどんどん早まってる。私の学校にもいるのかな……」


 遥は即席で作ったグラフで分析結果を説明してくれた。

 確かにヘビーユーザーの増減を表すグラフの横軸は一、二か月前から急激に右肩上がりを描いている。

 ただ少し気になったのが、年齢別の円グラフにわずかながら3歳とか5歳の子供のユーザーがいる点だった。 3歳児がPCで仮想生活?にわかには考えがたい。

 しかしそもそもこういうサービスでの年齢設定は自己申告制だし、ふざけて出身地を海外の無人島に設定しているようなユーザーもいるのでそういう類なのかもしれないが。状況が状況だけに不安にはなる。


 これがもし洗脳の類だとしたらどういう手段が考えられるかな、と問いかけてみるが、遥は弱々しく分からないよ、とだけ答えた。


 avenueの画面では、若い女の子たちのアバターが買い物を楽しんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る