バツイチアラサー教師(♀)、元教え子(♂)にハマる。

揣 仁希(低浮上)

元教え子を好きになってもいいですか?


 グラウンドを夕暮れが赤く染めるのを職員室からため息と共に眺める私。


 相川 杏香あいかわ きょうか32歳、バツイチ、独身。

 去年まではまさか自分がバツイチ……離婚するなんて微塵も思っていなかった。

 24歳で結婚した当時は幸せな家庭を築いて……子供を産んで、夫の帰りを待つ。

 そんな結婚生活を夢見ていた。


 でも……


 実際は、そんな甘い生活じゃなかった。

 確かに夫──今は元夫か……は優しかった、私が学校の仕事で遅くなっても怒らず文句もいわず、ただ優しく笑っている。

 そんな人だった。


 私もそんな夫に甘えて家のことを疎かにしてしまった。自業自得ってヤツだ。


 1年前、家に帰ると夫はいつもと同じ優しい笑顔で一枚の紙を差し出した。


 離婚届。


 既に夫の欄には署名捺印されていて、私の欄だけが空白で……


 もちろん私は夫を問い詰めた、何が悪かったのか?私の何が不満だったのか?と。

 夫の返事は簡潔だった。


「全部」と。


 そう私に言った夫の笑顔はいつもと何ら変わりはなかった。

 ああ……そうか……そういうことなんだ。

 夫はもうずっと私を見ていなかったんだ。

 元々お見合いに近い感じで知り合い歳も歳だし、それ程の恋愛感情もなく結婚したのが間違いだったのかもしれない。


 以外に涙は出なかった、届出に署名捺印するとき僅かにチクリと胸が痛んだがそれも本当に僅かだった。


 離婚って……こんなもんなんだ……


 こんなにあっさりと終わっちゃうんだ……


 こんな紙切れ一枚で……


 両親は既に他界していて兄妹もいない私は一人暮らしをするために部屋を新たに借りて引っ越しをし、新居だった私達の家を後にした。




「相川先生、お先に失礼しますね」

「あっ、はい、お疲れ様です」

 斜め向かいの国語の教諭である幸田先生がそう言って手を振って職員室から出て行く。


 ポツンとひとり残された職員室で私は机に突っ伏して頭を抱える。


 何も上手くいかない。


 やることなすこと裏目に出る。


 正直なところ仕事──生徒の相手をするのだって億劫に思える。

「はぁ……ダメダメだ……あたし」

 口を開ければため息と弱音ばかりが吐き出てくる。


 ピロン。


「ん?LINE……えっ!もうそんな時間?」

 ガバッと飛び起きて時計を見れば時刻は7時を過ぎている。


「きゃあっ!大変〜急がないと〜!」

 私は大慌てで職員室の施錠をして警備員さんに帰る旨を伝え車に飛び乗る。

「しまったなぁ〜ギリギリかなぁ」


 今日は、私の元教え子達がプチ同窓会をすると言うのでお呼ばれになっていたんだ。

 みんな、ちゃんと高校生になって頑張っているんだろうか?

 はぁ……教師の私がこんなんじゃダメだよね?

 しっかりしないと!


 会場となっている居酒屋さんの駐車場に車を止めてバックミラーでサッと髪型を整えて口紅を塗り直して……


「よしっ、うん。大丈夫!」

「相川先生?」

 車を降りて入口に向かおうとして後ろから声を掛けられて、ビクッとして振り返る。


「あ……ロクくん?」

「お久しぶりです。先生」

 自転車を停めて私の方に歩いてくるのは元教え子の六 樹ななまえ いつきくん。

 変わった苗字だからすごく記憶に残っている男の子だ。

 あだ名は、ロクくん。あまり目立たない控えめで大人しい子って感じの生徒だった。


「ロクくんも今来たとこなのかな?」

「はい、ちょっと学校が長引いてしまいまして……遅れてしまいました」

 少しはにかんだ笑顔を見せるロクくんは、そう言って私の隣まで歩いてきた。

「あれ?背……伸びた?」

「あっ、はい。高校に入ってから急に伸びてしまって」

 私より頭一つぶんとちょっと高く、スラッとしてて黒のパンツにパーカーのラフな格好、サラサラの黒髪に大きな瞳、どちらかといえば中性的な顔立ちのロクくんを下から見上げて……目が合う。


 ドキッ……


 あれ?今の何?


 えっ?ええっ?


「ほら、先生。みんな待ってますから行きましょう」

 そう言うロクくんは、さりげなく私の手をとり入口へと向かう。


 ドキッドキッ……


 ちょ、ちょっとちょっと?


 店内に入ってキョロキョロと周りを見渡すロクくん。

 そんなロクくんの背中を見て……私の胸の鼓動は早鐘を打ったように速くなっていって。


 ど、どうしよう……

 ヤバイ……絶対ヤバイ。


 私がひとり心の中で、あたふたとしていることにロクくんはもちろん全く気づいておらず、級友を見つけて私の手を引いたままそちらに向かう。


「おっ!ロク〜遅いぞ!」

「遅れてごめん、丁度表で相川先生と会ったから」

 元同じクラスの男子と話しながら座敷あがる。


「あっ……」

 繋いでいた手を離されて私は、ついその手を掴みそうになった。


「先生?」

「あ!ううん、何でもないの!うん、ははは」

 ロクくんが不思議そうに私を見たけど、とりあえず笑って誤魔化し私も座敷に上がる。


「きゃあ!先生〜久しぶり〜!」

「はいはい、みんな元気にしてた?」

 クラスの女子たちに揉みくちゃにされながらも私は無意識のうちにロクくんを目で追っていた。


 ……はぁ、ダメだ。

 何だろう……ドキドキが……止まらないや。


 もちろんその後のプチ同窓会の内容は全く頭に入ってこなかったのは言うまでもない。



「先生またね〜!」

「お疲れ〜またな〜!」

「ちゃんと真っ直ぐ帰るのよ〜!」

「「「は〜い!」」」

 悶々としたプチ同窓会が終わり私は生徒達を見送って手を振り……盛大にため息をつく。


 帰り際にロクくんに話しかけようとしたけど、何を話していいかわからない内にロクくんの姿は見えなくなっていた。

 まぁ話しかけたところで教師と元教え子に変わりはないんだけど……

 私は、トボトボと車の方に足取り重く歩いていく。


「グスッ……ロクくん……」

「はい、何ですか?先生」


「ふえっ!ひゃっ?りょ、りょくきゅん?」

「ふふっそんなに驚かないでくださいよ」

 半ベソの私が顔を上げた先には自転車にもたれこちらを見ているロクくんの姿が!


「え?あっ?帰ったんじゃ……?」

「それがですね、ほら」

 ロクくんが指差す自転車のタイヤは物の見事にパンクしていた。

「来るときからガタガタしてたんですけど、やっぱりダメでした」

 そう言って肩をすくめるロクくん。


「そ、そう?じ、じゃあ、せ、先生が送ってあげようかなぁ〜」

「いえ、歩いて帰れますから大丈夫ですよ」

「……歩いて……帰るの……?」

「あ、えっと……送ってもらいますよ?」

 ショックのあまり四つん這いに崩れ落ちた私にロクくんは少し苦笑いをしてそう言ってくれた。


「うん、よしっ!じゃあ先生が送ってあげよう!さぁ乗って乗って」

「あの……ちょっとお店の人に事情を話してきますので」

「あ、そ、そうね。うん、いってらっしゃい」

 ロクくんはそうして店内に入っていく。


 しばらくして戻ってきたロクくんを助手席に乗せて車を走らせる。

「ロクくんの家ってどのあたりだっけ?」

「あっ、僕今は一人暮らしをしてますから……って先生!前!前!」

「あ!ああっ!ごめんなさい、ひ、一人暮らし?」

「はい、いつまでも叔母さんのところに厄介になるのも気が引けましたので」

「……確かロクくんのご両親は……」

「はい、僕が小さい頃に事故で亡くってますので……って先生!前!前!」

「グスッ……ごべんなざい……グスッ」

 グタグタな私をロクくんは助手席で楽しそうに笑っている。

 出発してから20分ほどでロクくんが住んでいるハイツに到着する……してしまう。

「ふふふ、先生ってもっと……こう、何て言うかシャキッとした人だと思ってました」

「ふ、普段はシャキッとしてるのよ!本当よ!」

「はいはい」

 ぷくっと膨れた私をロクくんはまた可笑しそうに笑う。


「じゃあ先生、今日はありがとうございました」

「あっ……うん」


 何故だか車から降りるロクくんについ手を伸ばしてしまいそうになる。

 ロクくんが車から降りて……助手席のドアが閉まる前にポツリと私に小さな声で言う。


「先生、ちょっと上がっていきますか?」

「え?いいの?」

「はい、何て言うか……その……まぁどうぞ」

 ちょっと困ったような、でも何処と無く楽しげな……そんな顔でロクくんは私を誘ってくれた。

 私はウキウキした気持ちを隠して、足取りも軽やかにロクくんに続いて階段を上がっていった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る