第二章-5 混沌の言葉を紡ぐ少女
「――で、どうだったの? 例の機体」
「どうって何がさ」
「性能とかさ――色々あるじゃん」
話の続きは明日にしようということでお開きになり、エトは行きつけの酒場にいた。その隣にはアルマの姿が。
テーブルの上にはビールやウィスキーなどの酒類、その隣には唐揚げやカルパッチョ、わさび風味の枝豆にエトセトラ。
「一応言っておくけど、あの機体は骨董品だぞ。性能を求めるほうが無理な話だ」
「そっかぁ……エドルアのときはあんな事になったからすごい性能を持ってるかなって思ったんだけど」
「そらエルティア国家連合体がまだあった時代に作られたVAFの原型機って話らしいからな」
「エルティア時代ってそりゃまた古い……確か大析出以前の国だったよね? なら軽く十年は昔の機体ってわけか……よく返り討ちにできたよね」
「運が良かっただけさ」
「やっぱ運も実力の内ってやつかな? ところで、カズハは?」
「例によって、我らが魔女にこってり絞られてるよ。今頃鍋にぶち込まれてるんじゃないかな」
「あいつも災難だなぁ」
口では運が良かったと言っておく。あの機体が不可製結晶体を制御できたなんて、とてもおおっぴらに話せるものではない。当然、オーゼから口外しないよう釘を刺されている。端から言いふらすつもりはないが。
「そうそう、あの娘……リィナのことなんだけどね」
「なんかわかったのか?」
「あの娘、何でも話せるみたいなんだ」
「何でも?」
「知識的なものじゃなくて、言語的な意味でね。エリュシオン公用語以外にも北方皇国語やヒノマ皇国語、その他の言語も全部話せた。その上各地の方言や訛りもだ。その上、ある程度のスラングも理解できると来た」
「そいつは……すげぇな」
「まさかと思って死語――文字通り話す者が誰もいない言語の方だよ。滅んだ文明とかの――を話せるか試してみたんだ。そしたら……」
「それも話せた……ってんだろ。正直びっくりだよ」
「言語は学ぶだけじゃ会得できない。その言語に長期間触れ、話し続けることでようやくその言語を会得できるんだ。それがどれだけ大変か、エトも解るでしょ?」
今でこそホロソフィアによるリアルタイム翻訳があるが、それは聞くときだけだ。
双方がそれを導入していれば、互いがメインとしている言語での会話ができるのだが、経済的あるいは宗教的な要因で相手がソフィアを導入しているとは限らない。
だから今でも言語教育が続けられているのだ。
そしてアルマはこう続ける。
「――はっきり言ってこれは異常だよ。異なる言語を二つ三つ話せるなら
なんか心当たりとか無いの?」
「心当たりって俺、お前のように言語学を学んでないんだぞ――」
そう言いかけたエトはあることを思い出した。そう、彼女と初めて会った時――
「そういえばあの娘、おかしな言葉を話してたな」
「おかしな言葉?」
「そうなんだ。俺がありとあらゆる言語の翻訳ライブラリを片っ端からスフィアに突っ込んでるの知ってるだろ? それでも翻訳できなかったし、どれもヒットしなかった」
「ホロソフィアの翻訳用ライブラリを片っ端からって……実用性をかなぐり捨ててるねエト……」
「せめて二四色色鉛筆を共通試験に持ち込むが如き汎用性と言ってほしいね」
「それ自分で無駄って言っているようなものでは」
「――というか共通試験って回答方式がマークシートじゃないか。一体どこを彩る気なんですかね……」
「じゃあ定期試験で――ってカズハお前いつの間にいたんだ?」
「どの道没収されると思うんですけど――ってホントだ。オーゼさんところで出汁取られてるって聞いてたけど」
「不味そう」
「お前ら……」
「まぁカズハのことはいいとして」
「おい」
「あのときの言葉の印象なんだが……」
エドルアの施設、地下の空間で出会った時を思い出す。
そう、彼女が最初に放った言葉。あれはまるで――
「
「すべての言語をひとつに――か」
そして黙り込むアルマ。
その間、エトは手を付けていなかった唐揚げを一つ口に放り込んだ。口の中に美味い鳥の脂が広がっていく。そしてそれをビールで流し込む。
こうやって酒とつまみが楽しめる。あぁ、平和万々歳。
エドルアで死にかけたあとでは尚更だ。
でも、それがいつまで続くか。図らずも不可製結晶体の制御を可能とするVAFを駆ることができる唯一の人間というどうあがいても狙われない理由を探すほうが難しい爆弾を抱えてしまった身だ。
杞憂であるなら是非ともそうあってほしいものである。
「……エト、バベルの伝説って知ってる?」
「バベルの伝説? 確か大昔、調子こいた人類が天に触れるほど高い搭を建てた事にキレ散らかした神が、一つだった人々の言葉をバラバラにした――ってやつか? それがどうしたんだ?」
「言語学にバベル仮説ってのがあるんだ」
バベル仮説。
ある言語の文法をいじると別の言語の文法に変化する。それは表面的、深層的なもの問わず全ての言語に当てはまり、そしてそれぞれが別の言語へと変化する可能性を秘めている。
ならば、すべての言語という言語のベースとなった『
「深層とかよくわからんけど、公用語が北方皇国語に変化することもありうるってことか」
「言う程似てるもんかねぇ。地域によっちゃ同じ言語とは思えないぐらいの訛り具合だけど」
「でも、訛っていたとしても同じ言葉だ」
にわかに信じられないが、人類は大陸の片隅から世界へと広がったという説を考えると、原初の言語も存在していてもおかしくないように思える。
「……まぁ、これはあくまで仮説だし、学会も学会で戯言と見られてるんだけどね。でもエトの話を聞く限り――ね」
『原初の言語』……か、と漏らす。もしリィナが話す言葉がそれならば――彼女の故郷はどこにあるのか。
考えれば考えるほどわからなくなりそうだ。
「――お二人さん、そろそろ食おうぜ。炭酸が抜けるし飯も冷めちまう」
「……そうだね」
◇ ◇ ◇
三人が酒場から出たのはそれから数時間ほどだった。
三人共酒が好きというのは共通しているが、アルマは相当弱い。
だから前後不覚になったアルマに肩を貸しながら帰途につく――というのがいつもの流れであった。
「……ったく、毎度毎度、少しは身をわきまえろよっての……って聞いてないか」
アルコールで火照った体には夜風はとても心地良い。耳を澄ませば波の音も聞こえてくる。
中心部に視線を向けると
かつて、世界が一つだった時代に建造された全高約五万キロメートルにも及ぶ人類史上最長の建造物。天に触れるまでという描写が成層圏までとしたら、赤道付近で一七キロメートル程か。倍以上の長さだ、バベルの塔の建造を計画した王様が聞いたら腰を抜かすに違いない。
そしてユグドラシルを建造し終え、
――
まるであのバベルの伝説みたいじゃないか。この世界と現状は。
無駄に高い塔を建てることで神に挑もうとし、結果バラバラになった。
馬鹿馬鹿しい。本当に神がいるならアヴィリアと北方皇国の冷戦ぐらい止めてみせろ、そもそも大析出なんて起こすなってんだ。
そんな具合で三人でぶつくさ言いながら駅に向かっているいるときだった。
「そこの君、慰霊碑はどこかね?」
声をかけられた方向には初老の男性。顔は影でよく見えない。
「慰霊碑――ですか」
慰霊碑というのは大方、楽園戦争のものだろう――というかそれしかない。
そして用があるのは大抵、平和教育がカリキュラムに組み込まれているどこぞの小中学校や、その戦争の当事者たちぐらいだ。たまに極右だかわからん連中も来るようだが知ったことではない。
そして、戦争の当事者の一人であった父も週に数回、そこに来ている。
「モジュール
「まぁ、そんなところだな。戦後、訳あって海外に行っててね。ようやく一段落ついてようやく戻ってこれたというわけさ」
「そうですか……」
楽園戦争。
エリュシオンとユグドラシルを建造した事実上の世界政府であったエルティア国家連合体は、大析出に伴う通信インフラのダウン等によって崩壊した。だが、問題はそれではなかった。
不特定多数の国々がエリュシオンを占拠しようと動き出したのだ。
無理もない。世界中に大規模なエネルギーを送信でき、ネットワークの要にもなるユグドラシルだ。そんなものを放っておける国なんていないだろう。特に大析出後の混乱の中では。
本来では独立に近い形での運営が予定されていたエリュシオン。そして武力を以て迫ってきた国々。これで戦争にならないわけがなかった。
不特定多数の国々による侵攻から端を発する楽園戦争は、崩壊したウルティア連皇国で起きた内戦を征した北方皇国の侵攻に端を発する統一戦争の勃発と、アヴィリア・アコードの結成まで続くことになった。
そしてエトの父である静馬聡明はその戦争で『英雄』となった。
不特定多数の国々が送り出した数多の無人兵器群を、五年もの間、ゴスペルによる補助はおろか、TCAプロセスのTの字すらないVAFで、槍とナイフとマシンガンを抱えて仲間たちと共に退けた。
ある時はバラバラの自衛組織をまとめ上げるために奔走した。
戦後では、『
今では隠居の身だが、それでも彼を支持・尊敬する人は多い。
当然、それ故のトラブルが跡を絶たなかったわけではあるが。
「聡明か……アイツは確かに『英雄』だったよ」
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も、一緒に戦った仲さ」
父の事はいろんな形でよく聞いたものだ。
――ある時は英雄譚として、またある時は思い出話として。
――ある時は畏怖と恐怖と共に、またある時は尊敬と憧れと共に。
大析出が起きるまでは、極東から来たごく普通の留学生で、学生らしい生活を過ごすはずだったと聞く。
それが何を間違えたのか英雄になっちまったよ――と笑っていた父の顔に、少し悲しげなものが混じっていたのは今でも覚えている。
独立とか家とかそんな大層なことは考えてなかった。ただ自分たちの身を守るのに必死だった。
その結果がエリュシオンの独立。
他の連中はどうかはわからないが、少なくとも彼はそれを望んで戦ったのではなかった。
いずれ戻ることを望んでいた彼の故郷は、戦争の最中に北方皇国に併合され露と消えた。
そして英雄となった父の手には、楽園戦争初期に出会って相思相愛の仲になった女性――エトの母と、
故郷に置いてきた祖父母と友人たちの消息は要として知らない。
そして『英雄』の子である静馬エトは、祖父母の顔と父の故郷を知らない。
「おっと、長話をしてしまった。すまんな」
「いやそんな、いい話が聞けて良かったです」
「じゃあ慰霊碑に行って来るよ。ありがとうな、
「――!?」
名前なんて名乗った覚えはない。自分の何故知っている――
驚きとともに振り返る。
「なんで僕の名前を」
「いずれわかるさ。いや、意外とすぐかもな」
そうこちらを振り向きながら去っていく男の顔は笑っていて――
「聡明に伝言だ。『俺は帰ってきた。すべてが始まったあの場所で会おう』ってね――頼んだぜ」
――同時に懐かしいものを見たと言わんばかりだった。
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