第二章-11 初期症状

 アヴィリア・アコードにも北方皇国にも公共交通機関の一つとして、同時に物資輸送の手段の一つとしてそれが存在するように、計八〇基もの――実際は六〇基に留まったが――人工浮島メガフロートの集合体であるエリュシオンにも各モジュール間の移動のために鉄道が使われている。

 しかし、それは地上のモノレールだけでなく、海中に建造された透明なトンネル内に敷設された軌条レールの上を走る。地下鉄というより海中鉄というのが正確かもしれない。

 

 トンネルで使われた素材に関しては、辛うじて生き残っていたエルティア国家連合体のデータベースを調査した結果、景観と技術力の誇示のためにこの仕様になったという説が一般的なものとなっている。

 三〇年間走り続けてきたこの海中鉄道とモノレールの変化を挙げるとするならば、老朽化した列車と運用システムの更新とそれに伴う無人化ぐらいだろう。

 

 ――閑話休題。


 エトとユーノが邂逅した時から少し遡る。

 オーゼが立つ駅のプラットフォームは夕方に差し掛かる時間であるにもかかわらずしんと静まり返っている。オーゼと三人の同行者以外に客の姿はなく、彼女以外には気弱そうな駅員が立っているだけだった。

 

 歩けばコツ……コツと靴とタイルがぶつかる音が一歩ごとに広く、澄んで響く。

 

 オーゼの後ろに立つのは黒く、簡易なボディアーマーを着込んだ男たち。三人ともホロスフィア・照準補助用の複合現実MRゴーグルをかけていて、そこから見える顔からは皆若い年齢であることがことがよくわかる。


いずれも若いながらも訓練を重ね、それなりの実力を持ち合わせた民間軍事請負企業PMSCの社員だ。そしてボディアーマーには折り畳み式の電撃警棒スタン・ロッドを忍ばせ、手にはポンプアクション式の散弾銃ショットガンを携行している。

 

 しかし、彼らがそれなりの実力を持ち合わせているとは言え、この中で命がけの実戦を経験したことがあるのは、かつて楽園戦争の際、聡明と共に前線にいたオーゼだけだ。万が一荒事になった時には彼女が先陣を切らねばならない。

 

 いつも着ている白衣の代わりに羽織った黒いケープがホームを吹き抜ける風で翻る。


 何かを塗りつぶすかのように黒く染められたそれの側面には、かつて所属していた企業『アドラステア』社のロゴが染め抜かれている。


かつて、楽園戦争の際、真っ先に狙われたのは軌道エレベータユグドラシル。その管理と警護を請け負っていたのがアドラステアであった。彼女もその一員だった。

 

 そんな職業柄と異常に高い――普段は異常な猫背もあってそのようには見えないが――身長、髪型と馬鹿力のせいで『鬼人オーガ』とかいう失礼極まりない渾名を付けられたこともあった。

 

 両腕には黒い籠手ガントレットを装備している。カーボンナノチューブCNTをふんだんに使った特別製だ。何かしらの武器を持ったほうがいいのだろうが、いかんせんこの外見で、その上列車内という狭い空間だ。拳の方がちょうどよかった。

 

 準備に抜かりはなく、同時に装備も不足なし。これ以上の装備と人員が必要だとするならば、それはもう自分とアドラステアの手に負える事態ではない。

 

 現在、エリュシオン内全てのモノレールと海中鉄道は鉄道運航管理局レールオフィサーとアドラステアが申し合わせて運行を停止し、改札より内側への立ち入りが禁止されている。


 ――すべてはアドラステア上層部の会議を襲撃し、その後その一人を人質にして『神託者』への道を開けるよう要求し、逃亡した不穏分子ふとどきものと接触し、始末するためである。

 

 そうこうしない内にほぼ無人の車両が滑り込む。乗客は見る限り一人だけ。すべて黒色で揃え、フリルが施されたコルセットとボレロ、長いスカートをまとって横座席に腰かけているのが見えた。

 

 オーゼたちの前に二輌目中央のドアが来たところで車両は止まり、圧縮空気が抜ける音とともにドアが開く。

 

「……では、行こうか」


 後ろの三人に目配せし、列車内に駆け入った。

 事前の打ち合わせ通り、黒ずくめの三人が車両間の連絡窓から前後の車両内に対象以外の乗客がいないか確認し、一輌目への接続路に集結する。

 程なくして、彼女たちを乗せたモノレールはそのドアを閉め、何事もなく発車した。

 

 次第に加速していくに伴って後方への慣性が強まっていく中、オーゼはスフィアとジェスチャーで他の三人に合図する。一人が連絡通路のドアを開くと同時にオーゼはタックルするような形で一輌目に飛び込んだ。

 

 床を転がる形で受け身を取り、即座に耐性を立て直し、後ろに向ける。

 

 ――ブービートラップや待ち伏せの類は杞憂だったか。

 

 手招きする彼女を見て、黒ずくめの三人が奥の赤く染まったドレス姿の人物に警戒しつつボーラガンと警棒を構えて一輌目に踏み入った。

 少し振り向くと運転席付近に一人の男が血まみれで転がっているのが見える。息は――まだあるようだ。

 

 その時、警戒しつつ立ち上がろうとした彼女の足に何かが当たったような感覚があった。そう思った次の瞬間にはそれは車両の床を滑り、エアホッケーのパックよろしく何度か座席や壁にぶつかりつつ、最終的に三人の前で止まった。

 

 オーゼ含め、四人全員が爆発物の可能性を直感した。オーゼは即座に座席の裏に隠れ、残りの三人は顔をかばった。

 しかしそれは鈍い銀色のをしたインゴットのようであり、少なくともガスボンベや爆発物の類ではない。

 

 インゴット――人の手首から肘までの大きさの金属のカタマリ。無論、それを危険物かと判断するには困難だろう。だが――

 

 ――あれによく似た何かをつい最近、どこかで見なかったか?

 

 黒ずくめの一人が恐る恐るブーツのつま先でインゴットを通路の脇に蹴ろうとその瞬間――

 

 フラッシュバックよろしく数ヶ月前に起きた『事件』と、その際投入されたあるVAFが頭をよぎる。そうだ、私は、あれを見たことがある。あのボンクラが出くわしていたじゃないか――

 

「――よせ!」

 

 制止の声はわずかに遅く、赤い鮮血が輪になって飛び散る――

 

「――どうしてK.O.Fの子機スパルトイ竜牙兵スパルトイと呼ばれるのか、その理由を考えた事はあるかしら?」


 足の甲を裏まで綺麗に切断され転倒し、のたうち回る男の絶叫をよそに、少女が面白がるように語りだす。

 

 黒ずくめの一人は――恐らく訓練で繰り返しやってきたのだろう――フォアエンドを引いて拘束弾を排莢し、排莢口付近に付けられていた殺傷弾と思われる赤く塗装された装弾ショットシェルを慣れた手つきで滑り込ませ、即座にフォアエンドを前進させて薬室に叩き込む。

 

 その間に不用意に味方を助け起こそうとしたもう一人は首を深々と脊椎の近くまで切り裂かれ、それを見た足を切られた方はパニックを起こし、後ろに下がろうとしたその直後に首の皮一枚残して切り裂かれ同じように即死した。


 発砲音。

 

「それはね、親機からそれがたくさんバラ撒かれる様が竜牙兵の伝説そっくりだったからよ」

 


◇ ◇ ◇

 


 一瞬の内に車輌内を血の海へと変えたそいつは少なくともヒトではなかった。しかし、撃ち砕かれ、火花を上げるインゴットからはヒトの腕が生えていた。

 それは確かに『腕』なのだろう――二の腕、肘、手首、五本の指……ただそれだけを以て『人の腕』と呼んでいいのなら。


 針金一本で作られた人体――その腕。それがインゴットから顕した姿だった。


「……あら、驚かないの?」


 少し遅れてどさり、と物音が聞こえた。

 腕が生えたインゴットを撃ち砕いた社員の頭にはインゴットの腕が握っていたナイフが突き立っている。機能停止する直前に投げつけたのだろう。機械だから当然とは言え、大した執念だ。


 三名の死者。これでPMSCの戦力は全滅した。

 

「――いいや、驚いてるさ。まさかこいつが人間でも扱える代物とは思ってもみなかったからな」


「PMS/MG-6 スパルトイシリーズ、携行型代替歩兵型Type-MGS。……すごいでしょ? これもK.O.Fも全部お父様の作品なの」


「お前のお父様と友人様は随分と悪趣味だな」


 くすくすと笑った少女がこう聞いてきた。

 

「で、あなたは結局どっちなのかしら。私を殺しに来たのか、この男を助けに来たのか、それとも――」


「『神託者』とそれに至る門を解放せよ――だったな。お前は『神託者』とはでそう要求しているのだな?」


「ええ、そうよ。オーゼのおば様」

 

 癪に障る返事だ。何がおば様だ、まだまだ現役だぞ。

 名乗った覚えはないがこの際どうでもいい。

 

 少女が床に転がった男を足で軽く蹴る、蹴る、蹴り続ける。


「この男、予想に反して口が堅いのよ。話せば楽にしてあげるって言ってるのに。きっとあれかしら、『きぎょうきみつ』とか『こんぷらいあんす』とかそういうの」


 やはり、彼はモノがモノだけにわかっているのだろう。賢明な判断だ。は、


 そして相変わらず男を蹴りながら少女はこう要求する。

 

「もう埒が明かないからあなたが教えてくれない? 知ってるのはわかってるのよ」


「――断ると言ったら?」


「そうね――」


 刹那、少女の姿が掻き消える――

 

「――あなたの体に直接聞くことになりそうね」


 少女はオーゼの首に袖の中から生やしたナイフを突き立て――

 

「……えっ?」

 

 その直後、少女の体は宙に舞っていた。

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