欲人

ヘルニア

第1話 電信柱

歩く、歩く。道はただまっすぐに。

通り過ぎる人に目を向ける。それは表情もなく、どこを見ているのかわからない。歩く人も何かに乗る人も同じ、扱う物は違えど全てが人だった。けれど何かが聞こえると、その何かが少し気にかかる。

「言葉」

それは人が人と向き合う際に生み出される何か。僕はそれが気になって、ちょくちょくその方向を向いてみたりする。どうやら、僕には正面から受ける言葉じゃないと体からすり抜けてしまうようだ。

「けさわこのこがねぇ」

なんだろう、何を言っているのだろう。あの言葉には何の意味があるのだろう。けさ、だと、今朝、袈裟。思い当たるのはこの2つ。いつか読んだ本に書いてあった、多分「今朝」だろう。こっちの方がよく使われている。

わこのこ、わこのこ、わこのこ?

どこで切るのか少し迷うな。わこ、のこ?わ、このこ?わこのーーー

衝撃!




「今朝はこの子がねぇ!」

「感嘆詞」「感嘆詞」

目が覚めると僕はおおよその見当がついていたようで叫び声をあげていた。周りにいるベッドに横になった人たちは驚いた様子でみんな目を丸くしている。早歩きしながら不注意にも声のする方向に気を取られたので、電信柱とバッティングしたようだ。

「感嘆詞」「ねぇきみだいじょうぶ」「感嘆詞」

驚く声に交じって別の言葉が聞こえてきた。これは明らかに僕を気遣っている優しい声だ。だから僕は顔を上げて

「はい、大丈夫です」

と一言。

「疑問文」「感嘆詞」

あれ?どこだろう。確かに方向は合ってるはずなんだけど。

「急に声を上げてどうしたの?」

あぁ、いたいた後ろだ。

「いえ、ちょっと考え事をしてたんです。その答えが見つかったので嬉しくてつい」

「袈裟はこの子がねぇって言ってたけど何のこと?」

「いやいや、袈裟じゃなくて今朝ですよ、今朝」

「ほうほう、なんだかよく分からないけど面白い子だねキミ。興味が湧いてくるよ!」

少し戸惑うが僕も負けじと

「面白いって少し失礼な気もしますけどね」

と返す。

「ほほう、やっぱりキミは面白いなぁ。しかもちょっと可愛いかも」

「可愛いってどういうことですか?僕は男ですけど」

「うんうん、そういうところが可愛いなぁ」

だめだ、まるで話が合わない。

「ていうか、ここはどこです?辺り一面真っ白ですけど」

「可愛い可愛い」

今度は頭を撫でられた。ますますこの人が分からなくなってくる。

「ここは大学病院。そんでもって私はここの医学生。とりはらくるみっていうの。よろしくね」

「とりはらくるみっていうの、ってなんですか?聞きなれない言葉ですね」

「ん?私の名前だよ、ほらこれ」

とりはらくるみっていうのがこちらに向けて、首にかけていた物を見せてきた。

「鳥原胡桃?でも、さっきあなたは自分の事をとりはらくるみっていうのって名乗ってましたよね?」

「おおう、可愛いし面白い、しかもどこか天才的。三拍子そろってるね!完璧!私のペットにしたいくらいだよー」

今度は両手で僕の右手をかなり強く握って上下に振ってきた。

「痛い、痛いですよ、とりはらくるみっていうのさん!」

「嘲笑」「嘲笑」

その時なぜか周りから僕のことを笑う声が聞こえてきた。

正直僕にはこの人がどんな気持ちで喋っているのかよく分からない。けれど、なぜか彼女の言葉は僕には少し心地よく感じられた。

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