第689話
私は初めて『エルスカントの尾根』の前に立っている。見上げた黒龍の遺骸ははるかに高く、右の端も左の端も果てしなく遠くて見えない。
「こ~んなに巨大だったんだねぇ」
そんな
「それで『エルスカント』ってどういう意味?」
「『天まで届く
「元はと言えば、銀龍を悪龍にした連中が悪いんだから。そいつらを犠牲にすればいいのに」
《 したよ、したした 》
《 真っ先に犠牲になった 》
それでも銀龍を元に戻すことはできなかった。その理由は火龍が教えてくれた。
〈弟妹たちが犠牲になった。誰が何と言おうと我が子を亡くした母親は……元には戻らなかった〉
「そんなに酷かったの?」
人でも龍でも、神聖視したときに一番邪魔なのは配偶者と子ども。
「神聖なものに俗世など相応しくない」
これが人間なら家族や親戚まで皆殺しにするだろう。そうして傷つき弱ったところを付け込む。そして神殿などで囲い込み、俗世から遮断して……操る。
「さて、ここで取り出したる水は~」
「はい、没収~」
ヒョイと液体の入った小瓶を取り出したら、後ろからリリンが小瓶を取り上げてピピンへ。ピピンはそのままポケットへとしまう。
「……エミリア。今のはなんだ?」
「ただの水だよ」
「操り水じゃないんだな?」
「正確には浄水です」
《 妖精の庭に撒くんだよ 》
《 ヒイラギを移植したから、今はこの水が必要なんだ 》
テントの中で
みんなの話に合わせて出しただけで、本物の操り水は私以外にこの世に作り出せなくなった。神が干渉して、操り水のレシピは永久廃棄処分となったからだ。今後は偶然でもレシピどおりに調合しても腐食した濁り水が生まれるだけ。
「レシピに『永久破棄』機能があるなんて知らなかったよ」
「エミリアみたいに偶然つくった危険物のレシピが世に出回らないように、ってことだろ?」
この機能はレシピを生み出した者に権限があり、神が許せばその者のみレシピどおりに作れる。私の場合、「ほー、聖女として召喚して『いらん』と言って捨てたくせに。自分たちの権限でまだ邪魔をする気かぁ?」と脅した。
どこで会ったか? 実は妖精の庭で、ジズたち神獣や火龍の協力と魅了の女神の仲介で。
ここダンジョン
最初、騰蛇はダンジョン
中に入ることが許された神たちはごく一部、5柱だけだった。その神々と対峙したのは私と魅了の女神、そして妖精たちとみんなのストッパー役のダイバ。記録係にメッシュ。
「代表者として加わらせてくれ!」
「何をする気だ」
「ぶん殴ってやるに決まっている!」
「…………連中の中にナナシはいない」
「「「でもエミリアの召喚に関わっているだろ!!!」」」
みんなはこの世界のことに私を巻き込んだこと。それは神が異世界からの召喚を許さなければ起きなかった悲劇だと声をあげる。
「今まで何人のエミリアを生み出したと思っている!」
「幼い少女が召喚されたとも聞いたぞ!」
「「「俺たちはそんな神を敬うことはしない!!!」」」
彼らはエミリア教の信者だ。聖女に関してはコルデさんやアルマンさん、ユーリカから聞いている。数百年前の聖女が幼く、当時の王たちが暴力で思い通りにしようとして神の罰を受けたことも聞いている。
この世界の魔素が含まれた空気に対応できた私と違い、聖女たちが短命だったことも彼らの
召喚によって空気の違いから不調をきたす聖女たち。だからこそ、召喚後はゆっくり生活してこの世界の空気に慣れてもらうことになっていた。
私は中に魅了の女神がいたことで、この世界の空気に身体が慣れていっただけ。それでも精神的負担は大きかった。追い回される日々から召喚による疲労が負荷として伸し掛かり、召喚の1年後に記憶を
「私の生命を助けるため、魅了の女神が苦渋の選択で選んだ方法だって。召喚後の記憶を取り戻せばまた負荷がかかる。それでも知っておいてもらったほうが良いだろうって選ばれたのがダイバ」
「そのエミリアが失った記憶を読めるからな。最初の頃は数分だった読める記憶が少しずつ長くなり、今ではエミリアの記憶をいつでも読めるようになった」
「いや~ん、えっちぃ♪」
《 いや~ん、ダイバのえっちぃ♪ 》
胸の前で腕をクロスすると妖精たちがマネをする。途端に会議室にあふれる笑い。
「私はシアワセだな~」
『幸せになってね』
そう言ったあの子の声が脳裏によみがえる。
『今度は、私もシアワセになるから』
『お互いシアワセになろうね』
そう約束しあった。
私はたくさんの悲しみに触れたけど、それ以上にたくさんの出会いがあった。ここにいる人たちもそうだ、私が聖女だと知っても変わらずに接してくれる。
心身ともに
私の呟きが聞こえたのか、ダイバの優しく大きな手が私の頭の上に乗せられた。
神との話し合い。
それが別の場所……結界に覆われた廃国内に変更になったのは、結界で守られているとはいえ妖精の庭の周りに、神に対するシュプレヒコールがあがったからだ。
『我らを見捨てた奴らがいまさら何用だ!!!』
『さんざん異世界の女性を聖女として虐げてきて反省はないのか!!!』
いくつも掲げられたそのプレートをみた神々は正常ではいられなかった。口々に召喚したのは人間であり、神は関与していない。と開き直ったのだ。
そんな連中に味方だと思っていた魅了の女神が声をかけた。
「関係なくはないでしょう? 神が『聖女の召喚』など認めなければ悲劇は起きなかったわ。もちろん、謝っても許されないこと。それなのに
《 私たちも許さない 》
《
《 ……私はどうでもいい、エミリアに助けられたから。でも、呪いを吐き出すまで苦しんだ子もいたの。あの子だけでも助けてほしかった 》
《 私の仲間たちは今も眠ったまま。私を逃した後も何度も殺されたんだ! 私は、私たちは……何度も生きたまま解剖されたんだ!!! 》
廃国で最後まで仲間を探していた妖精が叫ぶ。
《 人間を呪ってはダメ。ここにはたくさんの仲間たちがいるんだから。仲間を巻き込んだら、あの連中と同じになっちゃう 》
その言葉があったから、人間を呪う事はしなかった。
《 でも『神を憎むな』とは言われなかった 》
《 そうだね。『人間を呪ってはダメ』を合言葉で頑張ってきたけど 》
《 助けてくれなかった神を憎むのは当然の権利だよね 》
当時の苦しみを知る妖精たちだけでなく、廃国の残虐性を知らない妖精たちまで目が据わり神々へ憎しみを向けていく。
ッパーン!!!
一発、ダイバが手を叩くと一瞬で妖精たちが我に返った。
「お前ら。憎しみまでネットワークで共有するな」
《 はーい 》
《 ごめんなさーい 》
ダイバに謝罪する妖精たち。1,000人を超える妖精が、いっせいに取り囲んでいた神々から離れてダイバの前に集まると頭を下げる。
「憎むなとは言わない。しかし、それは辛い思いをした奴だけが許される権利だ。ほかの奴らは同情はしても同調はするな。いいな?」
《 はい! 》
ダイバの言葉に妖精たちは素直に従う。それをさっきまで責められていた神々が目を丸くして見ていた。妖精たちは気まぐれで、
そう思っていたのだろう。
彼らの基本の性格は神々も知っているとおりで変わっていない。ただ違うのは、『エミリア教の教えに従っている』点だろう。
「注意や教えは素直に聞く事。自分の間違いを認める事は自分の心を成長させる一歩であり、間違いを繰り返さない事は大人への一歩である」
誰かが間違いを正せば、妖精たちはネットワークで共有する。妖精たちはそうして成長していることを神々は知ろうとしていなかった。
そんな騒動があったため、場所を廃国へと移して話し合いが始められることになり、私ははじめてエルスカントの尾根とご対面を果たしたのだった。
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