ショート集

紫葵

-if-

 もしあの時こうしておけば。

 そんな思いは誰しもが抱くはず。

 きっとそんな過去はどこかにあるのかもしれないけど、やはり「ここ」には無かったものなわけで。


「ありがとうございましたー」

 日々をコンビニのアルバイトとネトゲで消化する。そんなフリーター生活も長く慣れてきてしまった。

 将来性なんてものは就職浪人としての日々の中で削られ、与えられた「作業」を消化して行くだけだった。


 そもそもの始まりはなんだったか。

 「夢を追う」

 そんな甘言を口にして、バンド活動に力をいれた学生生活も佳境に差し掛かった頃だろうか。

 あの時「もし」。


 周囲の人間のように普通の就職をしていたら?

 「自分」を殺し「人々」として生きることを選んでいたら?

 取り返しのつかなくなる前にまた選択を変えていたら?


 そんな「声」がいつも響いてくる。

 それでもその「声」は自分以外の誰かしらにも聞こえているはずだと、安心感を得ようとする。


 どうしようもないまま、楽器もやめてしまった。

 残ったものはただの「作業」。生きている実感もなくただそこに「在る」というだけの作業。


 苦しみながら「あの日に戻る」ことを願う。

 もしあの時「普通」を選んでいたら、自分は幸せだったのだと。

 

「人生ってなんでセーブポイントをリロードできないのかな・・・」

 

 そんな日課の妄想にふける。




「お先に失礼します」


 そんな声を聞きながら残った業務を片付けていく。

 定時の退社時間を過ぎても、目の前には書類の山。毎日の残業を経て得た役職は「戸締り係長」。実際には警備員さんが締めているというのに、とんだ役職名だ。


 学生時代よくわからないまま周りに流されながら就職したものの、特に興味も関心もない仕事に心を無にしながら臨む日々。

 作業はこなせるがそれ以上ではなく、気づけば視界の隅には書類段々と積まれていく。

 仕事が多くて困ることもなければ、先に帰路に就く周囲を羨む感情すらない。もはや何かに関心を抱くことすらしないかもしれない。


 就職後学生時代の友人たちは疎遠になってしまったし、当時付き合っていた恋人とも別れてしまった。

 なんの目標も持てず、ただただ出社しては作業をこなす日々を数年。


 そんな空っぽの心も一つだけの思い残しがあるようで。


「就職なんかせず夢を追っていればなんか違ったかもしれないな」


 その道で大成しなかったとしても。

 落伍者と呼ばれ蔑まれたとしても。

 貧しい生活を送っていたとしても。


 こんな失心した日々よりも何か得られたのかもしれない。

 そうどこかで思わずにはいられなかった。今の自分にとって唯一人間らしい感情だろう。

 

 呆けながら「あの日に戻る」ことを思う。

 もしあの時「夢」を選んでいたら、自分は幸せだったのかと。

 

「バンドをやっていたころはまだ世界は輝いてたんだけどな」

 

 そんな思いはため息とともに漂った。

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