第603話

「はぁ~もう……――はれ?」

 お仕置きが終わった頃、大広間に新たに入る人影が。

 車椅子に乗って、中年の女性――娘さんに連れてきてもらっているボーッとした顔を浮かべる老婆。

 齢九十で老い先短いその人は他と変わらない彼女の可愛い娘であり孫の一人。

 そう。なんら変わらない。変わらないから。

「あらあら。なんや梅ちゃ~。どないしたん? 大丈夫なんかぁ~病院におらんでぇ」

「…………」

 九十という年ならボケが始まってても仕方ないし、実際ボケてるからボーッとしてるんだけど。

 でも。

「大女様。母さんこの前久々にお話できたんですよ。それで、大女様が素顔を見せてくれるって話したら是非会いたいと……言ってたんですけどね。残念ながら今日は調子が悪いみたいで……」

「ほうかほうか。そら運悪かったなぁ~。でも会いに来てくれて嬉しいわ。よう来てくれたなぁ梅ちゃ。ほら、ばあばやよ~。んばぁ~ば」

 母の願いが叶わなかったことに切なそうな娘さんに対し、子供をあやすような彼女の様子が少しだけ痛ましい。

 けれど、胸を痛めることなんてないのさ。

「……………………おばぁ…………ちゃん?」

「「「!!?」」」

 驚いたのは彼女と事情を知らない彼以外の皆。親戚の中でも高齢で、ボケが始まってもう十数年と経ってる。もう生きてるのが不思議でいつ逝っちゃうかわからなくて。

「そうよ~。ばぁばやよ~。久しぶりやねぇ~。なんや元気そうで安心したわ」

「おばあちゃん今日は面つけとらんのやなぁ。そないな顔しとったんやなぁ。どえりゃあべっぴんさんで驚いたわぁ。嬉しいわ~。おばあちゃんと面と面向かい合えて嬉しいわ~。嬉しいわ~」

「ほうかほうか」

「そいでおばあちゃん。久しぶりに会えてな。ものごっつ嬉しいんやけどな。なして来ない人多いん? めでたいことでもあったん?」

 さっきの調子の良い日。彼女に会いたいと言った日も数年振りで。一瞬。一言二言の。話が繋がってるやり取り。

 もうあれが最後なのかなって実の娘も思うし、周りの皆だって似たような気持ち。

 でもさ。どんなに酷い認知症でも、完全でないにしろ。一時的にしろ。回復することはある。

 その条件は大体二つ。他にもあるだろうけど、とりあえず今は二つだけってことにしといて。

 一つは死期が近いこと。生物は死に近づくと病状が改善したりするのことがあるのよ。少し違うけど火事場の馬鹿力って言えばわかりやすいかな。アレみたいなことが起こるわけよ。

 もう一つは強い脳への刺激。これは良く聞くんじゃないかな。絶景を見て体の悪いとこが治ったー的なやつ。感動すると何故だか体がモチベ上がっちゃって回復したりするんだよね。やる気でどうにかなるなら最初から本気だせよ人体って感じ。

 で、だ。

 じゃあこの梅って老婆はどうかっていうと……まぁ、両方だよね。

 少なくとも一瞬の改善の理由の片方は、周りは気づいてないよ。彼女を除いてね。

 ただ彼女との真の邂逅による感動で元気になったとしか周りは思ってないんだ――。

「ほうかほうか。実はな。うち結婚すんねん。あれ旦那はんや」

「はぁ~……! おばあちゃんお嫁逝き張るんか。そらめでたいなぁ……。めでたいなぁ……。いつ式あげるん? うちな。おめかししたおばあちゃん見たいわぁ~」

「まだいつかは決まってないねん。せやから、決まったら教えるよ。それまで元気にしとかなあかんで?」

「うん。うち元気にやっとくわ。せやからちゃんと呼んでなおばあちゃん。うち絶対行くから。約束やで? 破ったら針千本やからね?」

「わかったけど……うち針千本飲んでもどうってことないで?」

「せやった。おばあちゃん針飲んでもケロッとしちょうたの覚えてるわ」

 ――それが……一番切ないね。



 そして、数日後老婆は息を引き取ったとさ。

 彼女の顔が冥土の土産になるって言ってた人もいたけど。その通りになったよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る