第542話
「あんな、そんなことより――」
――~♪
「あ、すみません……」
「う、うん。どうぞ」
どうでも良いからと続けようとしたところで彼のスマホに連絡が入る。
内容はというと。
『もう一時間過ぎてるんだけど、もう終わった? そっち戻るのに少し時間かかるからさすがに心配されそうなんだけど』
(え、まだ数十分……いや、ここに来るのに思ったよりもたついてたから……)
部屋に来てからは一時間も経っていないけど、別れてからは一時間過ぎているってことね。
となればもうゆっくりもしてられない。
「す、すみません。もう連れのとこに行かなきゃなので俺はこれで」
「あ、他の人と来とったんやね。そら待たせたらあかんわ。はよう着替えて行ってあげ」
物寂しさは感じつつも、そこは年の功で切り替えて。送り出すため促す。
彼が服を着直している間に彼女もささっと浴衣を着て、一緒に部屋の出口へ。
「え、えっと。それじゃあ俺はこれで」
「……待って」
「ぇ、うぶっ!?」
挨拶もそこそこにもう行こうとしていた彼を呼び止めて、背伸びをしながら顔を引き寄せて唇を奪う。
やっぱり、最後に欲しくなってしまったみたい。
「……ん、ふふ。気持ちが伴うとええもんやね。
「そ、そうですか……」
寝ぼけた彼に奪われたときも。確かめるために舐めたときも。彼女は特に感動も覚えなければ快楽を得ていたわけでもない。何故ならそこに情がないから。
けれど彼の性欲を昂らせたのが自分という事実。女として見られたという現実から、彼女の気持ちが行為に追い付いた。
肉体の刺激だけで快感を得る人間は実は少ない。
例えば一人のときでも見るでしょう? えっちな本とか動画とか。
誰かとするときも会話をしたりシチュエーションを決めたり。一方的に襲うときでも襲うという行為で興奮してるからね。加虐側は。
ただ作業的に行う人間はそうはいない。肉体の刺激もだけど精神的な快感がないと行為を楽しめない。
まぁ薬を使うなりして無理矢理肉体のみで快感を得ることはできるけど。彼女には縁遠いね。
さらに言えば彼女にとっては肉体の快楽はそれこそないに等しい。
愛だの精神的なうんぬんだのは幻想と宣う輩は数知れずだけど。彼女は逆なんだ。
だって肉体の刺激を繊細に感じていたら生きられないような環境にいたでしょう? 特に幼少期なんて痛みをそんな直で感じてたら脳が死を選ぶよ。
人は鞭で背中を叩かれた痛みで死ねるんだ。だから、まともに刺激を感じないことが生存戦略。
だから、このときの彼女には痛覚はない。触覚はあるけど、痛みはない。
なにをしても痛みはない。ただ触れている感覚がわかるだけ。
それはどの部位も等しく同じ。
手を触られていようが尻を触られていようが大差ない。
だから、行為に及んでも。彼女はされていることだけで快感を得ていて。
このキスさえ。気持ちが伴ったから良いものと思ったんじゃない。
気持ちだけしか伴っていないのに、目を潤ませて頬を赤らめることができる。
それくらい、彼女の快楽の比率はバグってるのさ。
ま、逆に言えば下手くそだから気持ちよくなれないってことにはならないんだけどね。
悲観すべきことはなにもないのさ。
彼も気づいてなければ彼女も自覚はないしね。
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