第511話

 生きることに余裕が出来てきて、大量の肉を食べることもできて。彼女はまた大きくなりましたよと。

 南のほうへ下りながら、あらゆるモノを食らっていき。気付くことなく生後一年。身長も一二〇センチ。

 変な歩き方はしなくなって、直立でも歩けるようになった。

 虎や熊程度なら多少傷は負うものの餌として認識するようになった頃。

 ある時、彼女にとって新たなる未知に出会った。

「……」

 それは――小川。

 不思議なことに、彼女はこの数ヵ月川や池にたどり着くことはなかったんだよ。

 水分は朝露だとか、そのへんの動物の血とか尿おしっことかあったしね。彼女にはそれで足りちゃうんだよ。病気にならないくらい免疫も強いし。

 だから川を探す必要もないし、そもそも川を知らない。

 そして、それは幸か不幸か。いや、幸せだったろうね。

 だって、生きるのも難しい時に落胆を味合わなかったんだから。

(これは……私……?)

 小川に映る自分を見て、はじめて自分の姿を見て、他との……他の人間との違いを知ることになったんだよ。

 普通の人間の額にコブ……いや、このときにはもう鋭い角になってるソレはない。

 髪もこんなに真っ直ぐじゃなかった。どころか、もっと毛深かったように思う。比べればわかるけど、彼女の首から下には毛がない。

「……」

 川に映る自分に触れて、手の汚れが落ちるのを見ると、そのまま腕の汚れを洗ってみる。

 そしたらさ。肌の色も違う。

 どんなに太陽を浴びても焼けない白い肌。現代げんだいなら羨まれそうなことも、彼女にとっては他との差異にしか感じない。

 そして思い出される意思。口には出さなくとも伝わる嫌悪。忌避感。気持ちが悪いと。醜いという感情。

 そういったモノの意味が、わかってしまったんだよこの時。

 違うことの重さが。違うことの辛さが。わかってしまったんだよ。

 そして、彼女は――。

「ぁ……ぅあぁぁぁぁぁぁああぁぁあ……!」

 涙を流す。

 赤ん坊故に無知だったから気づかなかった。

 自分はこんなにも他の人間と違うことがわからなかった。

 そして今、少しばかりの時を挟んで。知ってしまったんだ。

(こんなんじゃ……あんなことされても……)

 当然だって。殺されても当然だって。思ってしまう。

 だって、ここに来るまで色々なモノは見てこれた。

 あらゆる獣。それらの共通したこと。

 同種族は……似た姿をしているということ。

 助け合うのは、同じ姿。違う姿ならば、殺しあっていた。

 野生から学んだ当たり前。親から教わらなかった当たり前。

 そんな普通のことを、知ってしまった今。彼女には理解という。納得という。悲しみを与えた。

「ぅぁぁぁあああああああ!」

 それから日が落ちるまで、彼女は泣き続けた。

 子供は親に似る。似ていれば助けてもらえる。大きくなれば助け合うようになる。

 それが、自分には訪れないことを、知ってしまったから。

 知ってしまうと、どうしようもなく泣き叫びたくなったから。

 心のまま泣く。

 彼女はね。この時にね。ちゃんと喪失感を知ったんだ。

 まだ、一才の赤ちゃんなのに。

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