第207話

「はぁ……はぁ……!」

 た、戦いなんて……起こらなかった……!

 気づいたときには胸に学園長の指先が触れていて、次の瞬間には膝をついていた。

 服の上からでも感じる学園長のマナは俺やリリンよりも少ないはず。軽いはず。弱いはず。

 なのに……なのに……。異質な何かを感じた……っ。

 近いものを挙げるなら伊鶴が見せたアレ。

 別の存在が混じったような妙な気配に変わったアレ。

 でも違う。この人はさらに先にいる。

 伊鶴よりも存在の層の厚さが桁違いだった。

 触れた瞬間。別の存在が幾つにも分かれて幾層にも重ね直したような重厚さを感じた。

 その情報量は俺の脳みその許容量を軽く超えるほどだ。この体が受け取った情報を過多と感じやがったんだ。それだけでもイカレ具合がわかる。

 どれほどかはわからない。わからないけど。俺や伊鶴よりもずっと上だ。遥か上の存在だ。

 少なくとも、異次元の域にいる。

「えっと……私の勝ち……かな? 大丈夫?」

「……っ。……は、はい。……学園長の勝ちで良いです」

 戦わずに負けを認める臆病者と言われようが知ったことか……っ。

 あの黒い化物やカナラは強かったが理解できる。

 アレクサンドラも人間離れしててバカみたいに強いけど、俺がこの体に慣れていけば似たようなことはできるようになると思う。

 リリンは繋がってるせいかそれとも強すぎるせいか。得体は知れなくとも、ぶっ飛んだ強さってのはわかるし恐怖感は抱いていない。

 でも、この人は違う。わからない。異質過ぎて理解できない。怖い。怖くてたまらない。

 いずれその正体はわかるかもしれない。でも今じゃない。今、この人と戦うのだけはごめんだ。

 この体になってもこんな感情を持つなんて思いもよらなかった。すごい新鮮な気持ちだが二度と味わいたくない。

「えっと……とりあえず賭けに勝ったので。お願いを聞いてもらいますね」

「……はい。どうぞ」

 常識人の貴女のお願い一つで手合わせを避けられるなら安いもんだよ。本当。



「……ようは俺自身で戦うなってことッスね。わかりました」

 学園長のお願いってのは召喚魔法師が自分の肉体を使うこと自体は構わないが、俺が人間じゃなくなってるからさすがに……ってことらしい。

 ま、今の俺はチートみたいなもんだし。特別処置は必要だわな。

 というか気づいてたんですね。さすがですわ。

「……天良寺くん。君はもう十分強くなっています。ですが。いえ、だからこそ。召喚魔法師としての力も磨いてほしいと思うんです。きっと将来、君の役に立つ日が来ると思いますから」

 心苦しさを面に出しながら言われるとなんともだね。

 つまりはこれもこの人なりの教育ってことなのかな? わざわざ個人的に課題をくださってありがとうございます。

 贅沢を言わせてもらえば、普通に口だけでやっとけってほうが精神的にありがたかったです。

「では、私はこれで――」

「クハ! そう急ぐなよ!」

 帰ろうとする学園長を呼び止め、近づいてくるめちゃくちゃ昂った面と声のリリン。

「……調子が悪くなったのでこれで! あ、あと大事な仕事も残ってるんで! あ! 小咲野先生もなにか用があるって言ってた気がする! はぁー! 忙しい忙しい!」

 嫌な予感を感じたのかそそくさと帰っていく学園長。

 うん。俺もそれで正解だと思う。あんたとリリンのバトルに巻き込まれたくない。学園内だから俺がマナ供給しなきゃだし。必然的に当事者になっちまう。

 あー嫌だ嫌だ。せっかく回避した学園長との戦闘とか。絶対嫌だね。

 もしそれでもリリンが戦うと言うのなら……。いや、本気のリリンともまだ戦いたくない。絶対死ぬ。

「ハッ。詰まらん。あそこまでの力があって逃げるか。我とも殴り合いくらいは容易く出来るであろうに」

「……」

 俺はそれを聞いてやっぱ逃げてくれてよかったと思うよ。

 逃走。バンザイ。

「ふぅ~……」

 学園長も帰って気が抜けて仰向けに寝転ぶ。

 俺も早く帰ったほうが良いんだろうけどちょっと休みたい。

「あれが学園長……か……。なぁ。お前はあの人の……理解できたか?」

「ん? まぁな。カラクリは伊鶴のヤツとほぼ同じだ。いずれはあやつも紅緒同様至るんじゃないか?」

「おえ……」

 学園長みたいなのが増えるとか想像したくねぇ~……。

 しかも素のマナの量だけなら学園長よりも伊鶴のがありそうだぞ? それで学園長と同じことする? バカじゃないのか? 今のうちに始末してやろうか。

「くそう……。やはり児戯程度でも構わんから無理矢理にでもりたかったな……」

「……まだ言ってんのか。諦めろよ」

「仕方あるまいよ。お前とのもなかなかに良いモノだったが消化不良だ。たまには我も運動をしたい。どうしても紅緒とやりたくないと言うのならお前が早くここまで至れ」

「……努力はしてくつもりだよ」

 言われなくても、いつしかこいつに届きたいと思っている。正直俺はリリンに憧れてるしな。

 ……それからもう一人。今日この場で憧れが増えた。

 怖いと思いつつ……いや、怖いからこそ。俺は学園長に憧れの念を抱いたよ。

「やる……かぁ~……」

 学園長からの課題。この学園内での演習等の戦闘行為は全て契約者を用いて戦う。

 それをやるだけでさらに成長できるなら。喜んでやらせていただきますよ~。

「……遥か高みの……召喚魔帝……か……」

 ふと、口にした言葉だけど。なんかあの人にお似合いって気がするな。



 とある屋敷にて。大昔の魔導書の解読に勤しむ男へ、白人と日系のハーフの少女――アレクサンドラと戦ったあの少女が一つの報告をしていた。

「それで? 結果は?」

「速度は私のが上でした。最初は翻弄していたようですがすぐに対応されてしまいました。翻弄している間にダメージを与えられなかった己の火力不足を悔やみます」

「そうか。やはり魔帝相手ではそんなものか。無能め」

「申し訳ありません」

 目線を魔導書から外す事なく報告を聞き終わると、不機嫌な声を漏らす。

「まだ何かあるのか? 用がないならさっさと学園に戻って訓練でもしていろ」

 男はもう少女が同じ部屋にいる事を邪魔としか思ってない。

 少女もそれはわかっているので少し言葉が詰まる。

 それでも、少女ら声に出して言いたかった事がある。

「……いえ、その。そういえば召喚魔法師の人が一人。魔帝アレクサンドラ様と手合わせをしていたな……と思いまして」

「は? なんだその身の程知らずの恥知らずなクズは。どうせまるで歯が立たなかったんだろう。……あ~クソ。あの役立たずの顔が浮かんだ。気分が悪い」

「……あ、あの」

「もういい。鬱陶しい。これ以上俺を不機嫌にさせるな」

「かしこまりました……。失礼します。お父様」

 少女は伊鶴の事を話そうとするが、男は聞く耳を持たない。凝り固まった価値観でしか考えられない。少女はそれをよく知っている。

 なぜならば、この男は少女の父親なのだから。

「さっさと出ていけ無能。少しでもマシになるか俺が呼ばない限り戻らんで良い」

「……わかりました。学園に戻ります」

 もう一つ。報告があったのだが、より不機嫌になりそうなので黙っておくことにする。

 少女はゆっくりと部屋から出ていった。

 自室へ戻り、少女は荷物をまとめ、一つの部屋の様子を見た後。彼女は屋敷を出る。

(兄様……帰ってなかったな……)

 学園に戻る道中。少女はもう一人の家族へ思いを馳せる。

 帰省したにも関わらず会えなくて少し残念そうだ。

 だが、以前に端末に届いている知らせを見て、暗い気持ちは払拭される。

(でも、もうすぐ会える。……何年振りだっけ? 私が訓練校に入ってからだから三年くらいかな?)

 少しだけ高揚する気分のまま金髪をなびかせて歩みを進める。

「元気にしてるかな? 才兄様」

 彼女の名前は天良寺てんりょうじ結嶺ゆいね。才の妹であり、十二才の時より人域魔法師として政府公認の学園で訓練を積んでいる。天才だ。



 そこは日本を動かしている人物のオフィス。

 真っ暗な部屋に首相と、彼を取り囲む和装に身を包んだ女性達がいる。

 彼女達は皆古風な面をつけていて、実に異様だ。

「こ、これが君の端末だ。い、言われた通り戸籍を用意し、それに金も私の動かせる範囲で融通したぞ……」

 首相は汗をたらし、震えながら端末を仮面をつけた女性へ差し出す。

 和装の女性達からのプレッシャーを受けつつも威厳を保とうとしてるのが浅ましくも愛らしい。なのだから見栄を張りたい年頃なのだろうと勝手に納得する仮面の女性。

 だがそんな首相の様子への興味も一瞬。端末を手に取り適当にいじり始める。

「はぁ……。昨今の時世はこないに便利になりはったんやねぇ~……。戸籍いうやつにこんな薄いとこにぎょうさんのお金。面白いね~」

「また訛ってますよ。良いんですか? 私はそちらのが好きですから良いですけど」

「は……っ! おおきになセツ。ついうっかりしてもうたわ」

「……また訛ってます」

「はっ! うちの阿呆……! これじゃあおのぼりさん扱いされてまう……。坊の隣歩くのもままならへんわ……」

「……」

 どんなに気を付けても訛ってしまう彼女に、周りの女性達はほっこりする。

 唯一心安らがないのは首相だけだろう。

「……私は約束を守ったぞ。だからあの事は」

「ん? あ~あ~。わかっとるよ。不貞を働いた事も。御上さんが隠しとる内緒事も胸の内に秘めるから。わて別にその辺興味あらへんし。目的が成されればどうこうしよ思わへんわぁ~。せやから安心してええよ?」

「そ、それは良かった……」

「じゃあ、最後のお願いもよろしゅう頼みますぅ~。ふぅ~……」

「………………はぁぁぁあ~」

 桃色の煙が女性達を包み込み姿を消すと、やっと首相は緊張から解放された。

(い、生きた心地がしなかった……。どうやって機密事項を調べたのか。警備をかいくぐって私のところまで来たのか。それら全てもうどうでもいい。生きていられることに感謝して……浮気はやめよう)

 この日以来。彼は家庭を大事にするようになり、晩年まで家族と仲睦まじく過ごしたのは別の話。



「それでは我が校からはこの六名でよろしいですね?」

「異議が有ります学園長!」

 それぞれの部屋からビデオ通話を用いての職員会議。

 現在は最後の議題について話し合っているところで、紅緒が〆ようとしたところで一人の教員が異を唱える。

「なんでしょうか? 手地濱てじはま先生」

 異議を立てたのは手地濱てじはま八冢太やつかた。A組の担任である。他の教員が納得しているので空気が悪くなる。

 しかし、手地濱は構わず続ける。

「何故! 六名中三名がE組なんですか!? しかもうちからの二名のうち一人は長い休学からやっと戻ってきたばかりだというのに……!」

「彼女については私が直接見て、選抜するに値すると判断しました。E組の三名については演習での成績を考えてのことですが問題がありますか?」

「そ、それは……でも……。E組の生徒をこんな大事な……」

「ガタガタうるっせぇなぁ~?」

 二人の会話に割って入るのはガラの悪そうな態度の女性教員。かなり濃い隈ができていて不健康そうだ。

「テメェんとこの生徒ガキより先輩んとこのが多く選ばれたからって喚いてんじゃねぇよ。男一人なのに姦しいぞボケ」

 充を先輩と呼ぶ彼女はD組担任の童麻とうあさ瑛夏えいか。かつて充同様に異界探索チームにいた人域魔法師だ。

「童麻先生……貴女はまたそんな口を……っ。目上の人間に対しても一人の大人としてもどうかと思うとあれほど!」

「黙れよ。シワと白髪だけ一丁前に増やしただけのガキが。年上だから偉いとか思ってるヤツにろくなのはいねぇんだよカマキリ坊主」

「この……っ! 学園長! このような人間がいては学園に悪影響です! どうか処遇をお考え願いたく!」

「……落ち着いてください手地濱先生。童麻先生も。言葉遣いは少しくらい考えてください」

「ぶへ~。やっぱ先輩に敬語使われるのキッツいッスわ。むしろ言葉遣い考えてくれって思っちまいますよ」

「……自分の生徒が選ばれたからと偉そうに。落ちこぼれクラスの分際でっ」

「……」

「先生方その辺にしてください。手地濱先生も。結果を出した生徒に対しての物言いではないと思います。弁えてください」

「……っ。……はい」

「うぃ~っす」

 鶴の一声。もう反論は許さないと言わんばかりに威圧し、場を治める。

 そして改めて、九月にある大事なイベントの参加者の名前を口にする。

天良寺てんりょうじさい賀古治かこばり伊鶴いづる和宮内わくない夕美斗ゆみと徒咎根ととがね憐名れんな御伽おとぎ氷巳ひみ。そして、ジュリアナ・フローラを交流戦における我が校の選抜メンバーとします。では、これで」

 これ以上異論を挟まれまいと紅緒は通話を切る。

 やはり最後にも手地濱は何か言いたげだったが気にしないようにするのが吉だろう。紅緒の精神衛生の為にも。



 会議で話し合っていたのは国立人域魔法師育成高等学園日本校との親睦と理解を深める為に行われる互いに六名選抜して行われる交流戦。

 九月からもまた、波乱の月になるだろう。

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