第143話

バトルパート


     煙魔一家

      VS

     黒きモノ



 鬼達は一斉に駆け出す。

 先頭を走る瑪頭飢は全員に注意を呼び掛ける。

「良いが!? ありゃたぶん小僧っ子と同じ術がや! 実際に見たんわオラだけが気ぃつけるが!」

「具体的にどう気を付ければ良いか言ってほしいんだけど!?」

「お! うっかりしたが!」

「遊んどるんか貴様らは!? 緊張感ないのぉ!」

「ぬぅわは! そんなつもりはないがや。とにかく。あん黒いの全部普通の打撃も斬撃も通じん! 神器かオラ並みの気ぃがなが捕らえられて終わるが!」

「それほとんどこの場に来た姐様達も娘達も戦力にならないって意味なんだけど!?」

「むしろ足手まといになりかねんべ!」

「犠牲が増えるだけぞ!?」

「百人いりゃいくらか策も生まれる思たがよ!」

「阿呆が一丁前に……。もう集めちまったもんは仕方ないわい。とりあえず儂ら以外は距離を取って支援に専念じゃ!」

「「「応!」」」

 一部を除き女衆は散開し黒きモノを取り囲み始める。

 神器と呼ばれる煙魔の武器を渡されている鬼は五人いる。

 まずは瑪頭飢。怪力無双の彼女には金棒を与えられた。その金棒の銘は『無法砕むほうさい』。マナを蓄える性質を持つその金棒は持ち主のマナ量と密度に応じて破壊力を増す。

 次に雪日。彼女は昭和という時代に生まれたにも関わらず剣の才能を持っていた。人間をやめ、今やその実力は煙魔、瑪頭飢に続く三番目。その彼女に与えられた神器である刀の銘は『薄羽胡蝶紋うすばこちょうもん』。これもまたマナを蓄える性質を持ち、蓄えれば蓄える程蝶の羽のような模様が浮かび上がる。刀身全てに模様が行き渡った時、通常よりも薄い刀身は決して折れぬ刃と化す。

 三番目の神器を持つのは益転やくてん。煙魔に次ぐ年月を生きている鬼。彼女の持つ神器は鳳仙火ほうせんかという銘の錫杖。溜めたマナを杖の先から炸裂させる能力を持ち、瞬間的な威力なら煙魔を除き最も高い。

 最後の神器の保有者は古東ことう。その昔たった一人で人々を襲い、食らっていた最も逸話などで知られる鬼に近い。槍術に秀でている彼女に渡されたのはもちろん槍。銘は閃穿尖さんせん繋糸槍けいしそう。投げれば閃き突けば穿つ。マナの糸で持ち主と槍を繋ぎ何度も投擲する事が可能。

 そして神器は持たぬものの、マナの量だけは瑪頭飢を超える術師である蘿子つたこ。武器を使うよりもまほうのが合ってると煙魔に言われ腕を磨いた。煙魔に及ばぬものの搦め手、奇襲、援護、追撃、範囲攻め等々一人で行える。

 この五名だけがまともに黒きモノと戦える面々。つまりこの五名を失う事がこの戦の負けと同義。

 だが、同時にこの五名しか接近すら許されない。黒きモノの意図した事ではないが、争う権利の有無を――つまりはその振るいに彼女達はかけられていた。



「まずは一番槍行かせてもらうぞ!」

 距離が縮まり、古東が槍を投げる。マナで作られた糸は古東と槍を繋いでいる為手放しても問題はないと判断しての投擲だ。

「……」

「よし! さすが俺! 必中ぞ! ……あれ? あっさり仕留めちまったぞ?」

 刺さった音もなく、悲鳴を上げる事もなかったが、槍は確かに黒きモノに当たった。当たったのだが。

「先に気ぃ込めんまま投げるな馬鹿が!」

 瑪頭飢だけは気づいていた。マナの込められていない攻撃は通じないと。注意も促したつもりだったがその目で見ていない為に思わず古東は様子見をしてしまったのだ。

「お、お!?」

(念押しときゃ良かったが!)

 槍を戻そうとするもビクともしない。影が先端に触れ、飲み込もうとしていく。槍全体を飲み込むと糸を伝っていく。

「し、しま……っ! 糸を切ら……っ!?」

(糸が……切れないぞ!? 気抑えても糸が消えんぞ!?)

 黒きモノの影に触れた瞬間糸の存在を固定化された。世界と世界を断絶する程に概念への影響力があるならば、マナで作られた糸を固定化するなど行うに難くない。

 このまま放置していれば古東は影に飲み込まれ、豆粒以下にまで圧縮されてしまうだろう。

「……それが腕か足かはたまたただの気なのかは知らないが……――っ!」

 しかし容易く許すはずもなく。至近距離まで接近していた雪日は気を込めた斬撃を放つ。薄刃の刀は容易く影を断ち、霧散。槍を解放する。

「断てるならば問題ない。コト姐! 早く神器を!」

「お、おう! 助かったぞ!」

 雪日に促され槍を手元に戻す古東。雪日の咄嗟の行動で事なきを得た。

「……」

「……っ!? ……っ!」

 近づき過ぎた雪日に反応し、影がいくつも伸びてくる。雪日は刀を振るい尽くを斬り断っていく。

(なるほどをどこまでの伸び、広がるが斬り離せば霧散し消え失せる。だけど……数が無制限に増える!)

 最初は五、六本だった影が十、二十と増えていく。それでも刀以外触れていないし上手く捌ききっているが、これが百、二百と無限に増えるなら如何に雪日といえど、いずれ限界は訪れる。

(逃げる隙が……作れない……!)

「セツ! うちが体は弾いてやるべ! だから斬れ!」

「……! わかった!」

 蘿子の呼び掛けに答え、雪日は気合いを入れる。

「断……絶……っ!!!」

 伸びてきた影を一刀で全て断ち、微かではあるが雪日と影の間に隙間が出来る。しかし大技を放った反動で雪日も動けない。

「発破!」

「うっ!」

 だが蘿子の術により爆破が起こる。雪日は爆風で吹き飛ばされるも影の猛攻からは逃れられた。

「助かったけど手荒い……!」

「うるさいわ! どうせ無傷だべ!?」

「煙魔様に選んでもらった袴が燃えた!」

「大事なら着てくんな! いっそ裸でいれば良いべ!」

「姐様達と違って私には羞恥心というものが残って――」

「……」

「はしゃぐのは元気な証拠で良いんじゃが……。奴さん動きだしたようじゃよ」

「「……っ!」」

 今までは黒きモノからすれば虫を払うのと変わらない行為だった。少し煩わしいとしか感じていなかった。だが、今の雪日の一撃で気づいてしまった。


 ――あぁ、攻撃されているのか。今。


 と。

 それ程の一撃だった。怪物を目覚めさせる程に雪日には才能があり、他四人もそれに近い戦力を誇る。

 そう。たまたま雪日が目覚めさせてしまっただけで、遅かれ早かれ黒きモノは動いていただろう。

「……」

 ただの黒い塊だったモノから影が伸び、足を象る。体長(?)8mはある楕円形の胴体に蜘蛛のような足が十二対。目どころか顔がどこかもわからない。より奇妙な生き物になった。いやそもそも。


 ――これは生きているのだろうか?


「……」

「「「……っ!?」」」

 予備動作もなく背(?)から数百の影が伸びてくる。五名は瞬時に回避は不可能と判断。迎撃の体勢に入る。だが。

「儂の後ろに回れい!」

 益転が叫び、意図を察した四名は後ろに回る。後ろに回るのを確認すると錫杖へ気を込め、影が近づいた瞬間炸裂させる。

「吹き飛ぶが良いわ!」

 高密度のマナの奔流である影をマナで練り上げた爆風が消し飛ばす。

「今じゃ! 距離を取れ!」

 益転の作った隙を逃さず全員距離を取る。なんとか体勢を立て直す事は出来そうなのだが……。

(((立て直したところでどうにかなるのか?)))

 前線に出ている五名だけじゃない。遠巻きに囲んで待機している面々も同じ事を思っている。

 まだほんの数分しか経っていないのに絶望感が募る一方。

 見た時から手に余ると感じ、相対し強さを実感し、絶望する。

 思ってしまったのだ。別の意味で煙魔を呼ばなくて良かったと。

「こんな怪物……。姐ぇでも……」

「滅多な事は口走らないで。ヤク姐」

「姉御ならあっさり殺しちまうがや」

「でも、姉貴に頼ってばかりじゃいかんぞ?」

「だからこうしてうちらが相手してんだべ」

 影を断ち、弾き、穿つ力を持っている五名も怪物の域に達している。仮に一人ずつならともかく、今の才が五名同時に相手をすれば一瞬で肉体は木っ端微塵になるだろう。

 リリンの不死性や力を得ている才をあっさりほふれる。その五名に絶望感を与えるこの生物。

 近しいモノを上げるなら。それこそリリンの力。

 もちろん全盛期のリリンには遠く及ばない存在。それでも、あえて言うなら彼女リリン以外に比較できる者はそういない。

 先に言おう。益転の予想は当たっている。この世界を統べる煙魔ですら。この怪物は手に余る。

「……事実はどうであれ、様子見も温存も考えるのをやめた方がええじゃろ。これ」

「なんぞ考えがあるのか?」

「阿呆。言わんでもわかるべ」

「ようはここから常に全力で。という意味でしょう?」

「ぬぅわは! やっとわかったがか? 嘗めた考えがあるのがいると調子出せんが。これでやっとオラも突っ込めるが」

「大人しいと思ったらこっちの気構え待ちだったんかい。阿呆のクセに今日はよう頭使っとるのぉ~」

「確かに。強敵とわかりつつも心構えが足りなかった私達の落ち度はあったけれども」

「それをメズに見抜かれて正されるのは癪に触るぞ」

「まぁ一番戦の経験はあるし。当然ちゃ当然だべ」

「ほとんど突っ込むばかりだったがや。その好機見計らうのも全部姉御頼りが」

「誉めて損したべ……」

「雑談はこのくらいにして。そろそろ」

「じゃの。……貴様ら! 貴様らは儂らの尻拭いじゃ! 大技の後どんなやり方でもええからアレから退かせ!」

 益転は周りへ指示を出し、改めて全員気合いを入れ直す。

 瑪頭飢が才に見せたマナの放出。全員あれの準備に入る。

「すぅ~……はぁ~……」

「全員準備できたが?」

「では皆の衆」

「推して参ろうぞ」

「応……!」

「……っ」

 五名が気を放出した瞬間黒きモノの纏う影の揺らぎが増す。やる気……と言うべきか。少しだけ黒きモノのやる気が上がる。

「……」

 黒きモノは背から影を出し、五名を捕らえにかかる。

「まずは……食らえ!」

 再び古東は槍を投げて迎え撃つ。

「今度は飲み込めんぞ……!」

 先の物とは異なりマナを帯びた槍は影を弾きながら真っ直ぐに黒きモノへ向かう。

 黒きモノは前方へ影を束ねて対応するが。

「そら悠長ぞ」

 槍よりも速く走り、影の盾に接近した古東は飛んできた槍を改めて掴み、投げる。槍は一瞬も速度を落とさないどころか古東の腕は掴む時も投げる時も投擲された槍の速度を超え、その力をそのまま乗せられた槍は加速しかされていない。

「……っ」

 影の壁を穿たれると判断した黒きモノは巨体を横にズラしかわす。

「見たぞ? お前、避けたぞ? 避けたって事は効くと思ったって事ぞ? つまり、今の一撃は死ぬって教えたと同じぞ?」

「で、あるならば。この一太刀も効くという事」

 逃げた先には雪日が待ち構えていた。手に持つ刀の全体にはマナが行き渡り、刀身に蝶の紋が浮かび上がる。

「ふぅ~……」

 マナを大量に放出しているのにも関わらず、雪日の体には力みがない。脱力しきっている。肉体とマナを切り離し、真逆の制御を行っているのだ。

「断!」

「……っ!」

 脱力が生み出す速度は黒きモノの回避速度を遥かに超えた。すぐに繋がったが、黒きモノの胴体は二つに裂かれる。影により一瞬で無理矢理治ったが、確かに通じた。

「……」

「どぉうらぁ!」

「……っ」

「余所見しとる場合がや? 相手はセツだけじゃないが!」

 雪日が危険視され一瞬影が向かうも、今度は瑪頭飢の金棒が黒きモノの巨体をズラす。

「……」

「閉じるべ! 退け!」

「おっと」

 続け様に蘿子は結界を張り黒きモノを捕らえる。抑え込めたとしてもほんの数瞬。有能だが能力的に彼女は相性が良いとは言えない。しかし、この結界は捕らえる為ではない。

 益転は結界の中に錫杖の先端のみを入れる。そして――。

「爆ぜ散れ」

 爆破。

 結界は跡形もなく消えてしまうが、味方への被害はほぼない。強いて言うなら。

「おうおう……っ。いで」

 自分で爆破しといて爆風で吹っ飛び転がる益転が頭を打ったくらい。

「受け身くらい取ろうよヤク姐……」

「……数百年振りにまともに体動かしてるんじゃ。見逃してくれ」

「鈍ったもんだが。かつて姉御と喧嘩してたとは思えんが」

「……儂、姐ぇとまともに喧嘩できた覚えないんじゃが? むしろ貴様と殴り合った記憶しかないわ」

「ありゃ? そうだったが?」

「貴様を泣かして姉御に拳万げんまんされたんじゃよ(怒)。頭の形変わったんじゃからな比喩じゃなく!」

「ぬぅわはは! ざまぁ!」

「……事が済んだら久しぶりに泣かしてやろうか」

「無理がや! もうヤクじゃオラに勝てんが! 婆は茶でもすすっとるがええが! ぬぅわはははは!」

「ぐぬぅ~……否定し切れんのが腹立つの~……」

 見た目は若くとも齢千歳を超えている。さらに数百年隠居生活をしていたのだ。鈍っているのも必然。

「……まぁ、んな事よりも、じゃ」

「……」

 砂埃が収まり、黒きモノが姿を現す。一時的に胴体を断たれ、影を一瞬全て吹き飛ばし、本体に爆破の衝撃が通ったはずなのに様子に変わりはない。

「堪えとらんがな~」

「あれでダメなら他何が通じるのか……」

「見当つかんぞ」

「首落として落とした首を木っ端微塵にするのはどうだべ?」

「どこか首かがまずわからんのが問題じゃがの」

「色々試してみるがよ。死ぬまで殺し方を探すがや」

「字面が頭おかしいけど、その通りなのが悲しい」

「死ぬまで殺す。ま、道理じゃし」

「槍かわされたし。当ててみるぞ。避けたんなら死ぬ可能性は高いぞ。……たぶん」

「そこは自信持って良いべ。むしろ持て。そして殺せ」

「ヤクの爆破で死なないのをどう殺せと……」

「為せば成る!」

「つまり根拠はなし」

「自信の有無よかどれだけ試すかじゃよ」

「こうやって話し合う時間もくれてる事がや」

「……じゃあやってみるぞ」

 五名は改めて気を放ち黒きモノへ襲い掛かる。不死身を殺す為に。



(何時間……戦っているだろう……。何度も斬って、刺して、殴って、爆破もして。それでも……それでも尚……)

「……」

(最初の時から変わった様子がない……!)

 四時間。実に四時間戦い続けている。

 マナを放出させ続ける事は不可能なので交代交代で攻め続け、大技を放っては待機してる二百もの妹、娘達に回収され、一拍置いてまた大技を繰り返す。

 休み休み行っているのに。相手に休む暇は与えていないのに。

 疲弊しているのは。鬼達。

(こんな怪物が流れてくるなんて……。今日は間違いなくこの世界の歴史上最大の厄日……)

「セツ! 危ない!」

「しまっ!? ……っ!」

 疲労で注意力が落ちていた雪日に迫る影を一人の娘がかばう。影は娘の腕を飲み込むと瞬時に捻り潰した。

「ぐぁぁあ!!?」

「……っ!」

 突き飛ばされた雪日はすぐに体勢を立て直し、刀を構える。

(ダメだ……まだ気が十分じゃない……。でも!)

 雪日はありったけのマナを放出し、斬撃を飛ばす。大地ごと娘の腕を斬り落とした。

「ぐぅ……あぁ……あ……!」

 腕を潰され、続けざまに切断された。痛みで意識が飛びかける。

「余計な手出し無用! 離れて支援に専念! 早く」

「応! 任せて! ……大丈夫か?」

「ぁ……ぐぅ……っ」

 他の娘に指示を出し腕をなくした娘を退避させる。

(ごめん……ありがとう……)

 実戦に近い稽古はしつつも、本物の経験がない雪日。戦闘のド素人。故に油断。隙が生まれた。だが、それでも数少ない通用する戦力。一人の片腕だけで守れたならばお釣りがくる。

「……こんの……化物風情がぁあ!」

 だがやはり経験の浅さは否めない。頭に血が上り、無理矢理マナを捻出。命を燃やし、爆発的に自らの戦力を底上げする。

「うぁあああああああああああ!!!」

 怒りで我を失った雪日の才気煥発。雪日の体から黒いものがまばらだが溢れ始める。それはまるで……黒きモノと同じ影のよう。

「斬滅してくれるっ!」

「……」

 自分に近いマナの質量を感じた黒きモノは雪日のみに狙いを絞る。その他には最早目もくれない。

(あの馬鹿! なんのために無力な娘っ子が腕どころか命を捨てたと思っとんのじゃ!)

(死ぬ気だべあの妹!)

(間に合わんぞ!)

「うおおおおおお!」

 鬼達の心配を余所に、迫り来る数百の影の束を全て斬り伏せていく雪日。半ば狂乱状態になろうと鈍る腕は持ち合わせていない。

(このまま全部黒いモノ削ぎ落として首筋晒して斬り落とす! 出なきゃ犠牲になってくれたあの子に申し訳が立たない!)

 妹とは、煙魔の実の妹ではない。力のある者に妹分となる事を許しているだけだ。

 娘とは、煙魔が腹を痛めて産んだというわけではない。人間をやめようが何をしようが煙魔の持つ水準に力が至らなかった者達の総称。庇護の対象を指している。

 雪日は元人間でありながも妹分となり、さらには神器を授かった。才覚故にその立場を得た。娘達の上に立つ事。それは守る責任を背負う事に他ならない。

 だから、許せない。自分の油断を。自分の所為で娘を傷つけた事を。

 黒きモノに対してももちろん怒っている。ただそれ以上に。自分に怒っている。

「フー! フー! おおおおおおお!!!」

(殺す殺す殺す殺す殺す! 必ず殺す! 存在そのものが害悪の貴様を殺してあの子の目の前で腹を切って詫びる! それが私に課せられた贖罪!)

 娘は当然望まないだろう。誰もそんな事は望まない。家族を守るのは当たり前なんだから。折角助けたのに腹を切られたら本末転倒。そんな事雪日だってわかっている。わかっていてもそうしなければ気が済まない。他ならぬ自分がそう詫びたいのだ。

「……くっ! …………ぐぅっ!!!」

 剣速はやがて音を置き去りにし、迫り来る影は水飛沫のように散っていく。

「……」

「……また、近づいたぞ」

 この戦闘で最も激しい攻めをたった一人で。たった一本の刀で斬り伏せ、走り続け、そしてたどり着く。

 先程は隙を見て近づいたが、今度は力で押し通った。

「通らば。瞬く間に塵芥と化す幾万の太刀。懺悔の時も刻ませぬ。この地に流れた事が運の尽き。己が運命を呪え……!」

 考える暇も与えず一瞬で細切れにしてやる。そう意味を込め呟き、雪日は刀を振るう。

 刹那の内に刀身は幾度も閃き、光の玉となって雪日を包む。斬撃の作り出す殺傷球体は黒きモノと重なる。

「「「……………………」」」

 沈黙。

 決着……したわけではない。

 いや、ある意味決着なのかもしれない。

 何故ならば。雪日は動きを止めてしまったから。

 何故動きを止めたのか。

 答えは単純。信じられない事が起きたから。

 信じられない事とは。

 刀が、折れた事。

「そん、な……」

(煙魔様から頂いた神器が折れ……)

 気を込めれば折れぬ……はずだった。けれどそれは物理的な話に過ぎない。

 物理を無視し、全てを飲み込み、無力化し、破壊する影に通じる話ではない。

 今まで斬れたのも、ただ乱気流に一方向の強烈な突風を当てていたに過ぎない。

 あらゆる方向に乱れていれば力も分散しよう。そこに一方向の強い力を与えれば崩す事は可能だろう。

 だが、乱気流の強さが増せば? 突風は巻き込まれ、一部となるのではなかろうか。いや、消し去られるのではなかろうか。

 そう。黒きモノはマナの密度を上げた。先程は体長8mだったのが、いつの間にか小さくなり今は4m。大きさ=密度というわけでもない。だが、少なくとも雪日の斬撃を無力化し、刀を折る程度は密度が増している。

「……」

「ぁ……」

 呆然とする雪日に影が迫る。

(一矢報いる事も叶わないのか……。私程度の力では……。クソ! 驕りが過ぎた! 煙魔様に認められた誇りが未熟な部分を増長させてしまった。だから……死んで当然なんだろう。油断した自分が悪い。……まだ、煙魔様にきちんと謝れていないのに死にたくなかった。……ごめんなさい。ごめんなさい煙魔様。浅はかな価値観で貴女の御心を傷つけてしまって。ごめんなさい。……もっと、貴女の傍にいたかった。いつの日か、貴女の素顔をこの目にしたかった……)

「だからぁ~。余所見し過ぎがや」

 走馬灯のごとく悔やみ、謝り、想い、諦めを抱いた雪日。だが影は彼女に届く事はなかった。

 瑪頭飢がマナを放出し、全てをその身で受け止めたからだ。身を盾にする際。邪魔と判断し、その手に神器はない。丸腰。身、一つ。

「メズ……姐……?」

「……命捨てる覚悟を決めるのと。ただ命を諦めるのは違うが。死ぬなら、殺してからにしろ。馬鹿妹。……妹か娘! その馬鹿連れてけ!」

「は、はい!」

「あ、待……っ! メズ姐!」

 雪日は抵抗しようとするも、反動で体が思うように動かせず、肩に担がれ連れていかれる。

 他の鬼達も長時間の全力疾走で疲労困憊。その場に残るのは瑪頭飢と黒きモノだけになった。

「……さぁて。突っ走った馬鹿妹も下げた。他の姉妹も動けない。邪魔者はいなくなったがよ。今日はずっと我慢しとったが。多少発しはしたがまだまだ足らんがや。貴様を見た時、怖気と共に武者震いがしたがよ。小僧っ子と同じ力をずぅ~っと放っておったからなぁ~。貴様のが余程濃く、おぞましいが。……小僧にしてやられた時。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくてたまらんかったが。勝手に同じ力を持つ貴様に全部ぶつけさせてもらうがよ」

 瑪頭飢はさらに強く、濃いマナを放ちつつ前に進み、黒きモノの本体にへばりつく。

「いくがよ……――ぉぉぉぉぉおぅらぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!!」

 放出されるマナが幾層に重なる影を吹き飛ばしていく。

「……っ」

「ぬぅわはは! ぬぅわははははははははは!」

 命を燃やす高揚感。心の昂りは思わず瑪頭飢に笑みを溢れさす。

 放出される莫大な量のマナは確実に瑪頭飢をしに向かわせている。ただ死にに逝くのであれば高揚などするはずもなく。少しずつ少しずつ影を飛ばし、その手が、肉体が、中身へ近づいている感覚があるから。彼女は笑える。命を費やす価値がちゃんとあるという実感が彼女の高ぶりを最高潮にまで導く。

「……っ」

「ぐぬぅ……! がぁ!」

 影が伸び、圧力を加えてくるが、気合いで弾く。何度も何度も影が伸び、弾くのを繰り返す。

「ぅ……ぉぉ……!」

 たった数分。たった数分であるが、すでに意識が飛びそうな瑪頭飢。限界は近い。

(ぬぅわは……。なんたる高揚感が……。なんたる充実感が……。ここまでして剥がせぬ鎧を携えた怪物に立ち向かう事のなんと幸福な事が。永久に続け。この存在をかけた挑戦よ永久に続け……!)

「がは……っ! はは……!」

 肉体もマナもズタボロの瑪頭飢。マナの暴発で顔の穴という穴から血が滴る。四肢の末端は破裂し足元には血の水溜まりが出来始めている。それでもやめない。やめられない。血気盛んでありながら数百年の停滞を強いられた彼女にとって、いつもと少し違う戦いではあるが、自分より強い者と戦える興奮はナニモノにも変えがたい。

 かつては人の身でありながら鬼に匹敵するものがいた。

 かつては鬼以外の人外との争いもあった。

 傍らにいつも自分より強い者はいたが恩人だった。

 才とは好敵手だったが短いやり取りしかなく。不完全燃焼のまま終わった。

 溜まっていた。彼女は溜まりに溜まっていた。

 欲求が爆発しそうな溜まっていた。

 だけれども、今この時。彼女の欲求は満たされようとしていた。

「…………メェアェェェェェェエアアアアッ!」

 とうとう、頭に被さっていた影は瑪頭飢によって全て剥がされ露になる。

「へっ。ようやく面見せたがや……。貴様、山羊がか?」

 まるで熱した油を何度もかけたが如く焼けただれたような歪な毛のない肌をした山羊のような頭部。頬や首の後ろなどが腫れたように膨れ上がっていて見るに堪えない見た目をしている。

「こりゃ話が通じるはずもないがや。本当に害獣に相応しい……」

「ん……んぐばぁ……」

「あ?」

 黒きモノは喉の奥から出したような音を立てて舌を出す。

「メェアェェェェェェエアアアア!

      メェアェェェェアェェアエア!

メェアェェェェェェエアア!

         メェアェェェェエアアア!」

 カメレオンよりも長い長い舌。優に数メートルはある舌にはさらにいくつもの口がついており、それぞれにまた声帯があるあるらしくけたたましく騒ぎ始める。

「きしょっくの悪い舌出しおるが……。そんで何しようと――」

「メルゥア!

      エァアアア!

  メァエエエエエエ!

        メヴァァェアアアア!」

「ぐぅ……!」

 舌は瑪頭飢の首に絡みつき、締め上げ始める。マナで弾こうにも影を弾くのに精一杯で他にリソースを割けず、対処できない。

(首絞めたところで力入れりゃこんなもん――)


 ――ブチッ。ブチチ……ッ! グチュッ! ガジュ。


「……っ!?」

 締め上げる舌についた口が瑪頭飢の首の肉を食らい始める。数十もある蛇の牙が交差したような歯の構造をしている為、肉に易々と突き刺さりかといって引きちぎられる事もなく。シュレッダーに入れた紙のように少しずつ肉片を削がれていく。

「……っ! ……っっ!」

 痛みのあまり最早声も出せず、出血量は増え思考もままならず。加速度的に意識が薄れていく。

「……」

 首の肉がえぐられ、出血量は意識を保つ事が出来なくなる程に達し、頭はカクンと垂れてしまう。

 それでも手を離さない。影を弾くのをやめない。意識は断たれようとも生きている限り決してやめようとしない。それは執念だろうか。それとも別のナニかだろうか。どちらにせよ。黒きモノの頭は未だ晒され続けている。

「メズの根性見習えガキ共!」

 全開ではないが、動けるまで回復した益転達。神器を携え黒きモノの頭に向かって襲いかかる。

(((生き物なら、頭を砕けば死ぬ!!!)))

 各々が渾身の力を込め、頭部に槍を刀を錫杖を向かわせる。

「……メェアェェェェアェェアエアアアア!」

 現実とは斯くも残酷なモノで。

 黒きモノは一度全ての影を閉じ、マナを自分を中心とした全方向へ放出した。

「「「………………っ!!!」」」

「きゃあ!?」

「うぉわぁああ!?」

 その場にいた者達は声を出す事も許されずに吹き飛ばされ、余波は周りで支援していた妹や娘達にまで及んだ。

「………………」

 瑪頭飢も

「……メェア~」

 全身を露にする黒きモノ。全身油でこんがり焼かれたような色に、ボコボコと所々不自然に腫れ上がった体には毛がなく。三対の足に三股の尾を持っている。胴には雪日のつけた刀傷があるが、完全に塞がっている。

 グロテスクとも言える異質な姿を晒すも、その姿を目に出来た者はいない。

 何故ならば、全員マナの放出で転がされてしまっているから。

「……っ」

 歪な山羊は再び影を展開し、一度身に纏う。影はグルグルといくつもの螺旋を描き重なっていく。

 これは、黒きモノによる第二波の予兆。

「メェアェェェェアェェアエアアェァア!!!」

 今一度放たれるマナの爆発波。自分の影ごと吹き飛ばし、影の網が津波の如く広がる。鬼も人も全てを飲み込み絡め取る。

「「「……っ! ……っ! …………っ!」」」

 もがこうが喚こうが辺りは静寂。影が自由を許さない。

 その場の全員影に捕縛されてしまった今。後に起こる事は誰にでもわかるだろう。包み込み、圧し潰すだけだ。

 何故、こうも唐突に終わりを迎えてしまったのだろう?

 黒きモノにとって、今までのは戦いではなかったからだ。有り余る力と時間を使っての暇潰しに過ぎなかったからだ。いや、暇という概念すら持たない生き物だから。ただの気まぐれというのが一番正しいだろう。

 そして気まぐれに、終わらせにかかるだけ。

 それだけの事。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。


 ――終わりなんて許されない。


「……っ」

 荒野のあちこちに桃色の煙が立ち込めると、黒きモノを中心に六角の軌跡が描かれた。

 軌跡は影を断ち、捕らえられていた娘達を解放する。煙はそのまま娘達を覆い、晴れるとそこには一人しか残らなかった。

 煙の中から現れるはこの世界の支配者にして覇者である煙魔。その手には小刀と煙管が握られており、恐らくは小刀で影を断ったのだろう。

「なんや屋敷周りが静か過ぎると思たら、皆ここにおったんやねぇ~? 私の事省いて随分はしゃいでたみたいで寂しいわぁ~。もう帰したけど。……ところで、なんなん自分?」

 落ち着いた声に聞こえるが、言葉には静かな怒りを含んでいる。

 身内を殺されかけたのだ。怒らないわけがない。どんなに優しい生き物でも、身内を傷つけられれば大概キレる。

「まぁええわ。話の通じる相手でもなし。仮生やらもののけやら妖やら神秘の類いやろ? なら問答に意味なんてないわ」

 煙魔も例に漏れず……。どころか、根が優しい分怒りへの振り幅は大きい。慈悲深さは一転すれば冷酷にも残酷にもなってしまう。

「でもまぁ、あれやな。一応言うとくけど。この喧嘩、こっからは私が預かるわ。身内こんなんされて黙ってられる程お人好しちゃうから。……覚悟せぇよおどれ……っ!」

 煙魔の放つマナは、基礎代謝ですら雪日や瑪頭飢の全力すらも凌駕する。抑え込まなければその圧で絶命する生き物すらいる程だ。優しい彼女はそれを自覚しているから普段は意図的に極限まで外に出るマナを制御している。今この時を除いて。

 煙魔は目の前のモノに対し慈悲を捨てた。躊躇いを捨てた。目の前の害悪を絶たぬまで力を抑えるつもりは毛頭ない。

「……っ」

 結果。黒きモノはやる気を出してしまった。

 同族愛食。愛故に殺したい。愛故に食らいたい。才と引き合い、探そうとしていた理由もこれだ。そしてやる気を出したという事は煙魔も愛する条件を満たしてしまっている。

 これより、歪な存在の歪な愛情表現戦闘行為が始まる。

 


 煙魔が駆けつけに行った頃。

「……ふむ」

(急に血相変えてどこ行ったんだろ……?)

 才は庭に取り残されていた。

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