異世界諸国漫遊記

木入香

1頁目 エルフの里とハーフエルフ

 薬草を薬研やげんですり潰していた手を止め、ふと窓の外を見ると、いつの間にか夜が明けていたようだ。一旦ここで休憩にしようと腰を上げ、軽く伸びをすると、ベッドと作業台、薬草や魔法薬ポーション、本などが押し込められた大きな棚があるだけのせま殺風景さっぷうけいな部屋から出る。


「あら~シアちゃん、お疲れ~調子はどう?」


 古びた木の扉を開けると、そこには朝食を用意している母、アリンの姿があった。私は、集中力が切れてややぼんやりとした頭で「まぁまぁ」と答え、席に着く。


「シアちゃんが言うなら、上々の出来みたいね~。師匠として鼻が高いわ~」


 まぁまぁと答えただけで、何故なぜ良い方向へと解釈かいしゃくされたのかいささか疑問であるが、実際に私の作る魔法薬は、たまに里を訪れる商人や冒険者には好評のようで、まぁまぁ良い値段で買ってくれている。

 年季の入った椅子をギシギシときしませながら、テーブルの上に食事が並ぶのを静かに待つ。

 今日のメニューは、森の木の実を数種類、軽く塩でったものと、寒季も終わりを告げるこの頃、柔らかくなった木の葉を混ぜ合わせたサラダ。それと今朝、母が狩ってきたのだろう、ウサギ肉の香草焼きと乾燥してやや堅くなったパンのようだ。

 母が対面の椅子に腰掛けたところで、お互いに手を伸ばし握り合って目を閉じて、この里で信仰しているカラマ神へと祈りの言葉をつむぐ。


「「今日もお恵みをありがとうございます。このかてをこの身、この心にきざませて頂きます」」


 二人そろって言い終えると、各々食べ始める。


「ねぇシアちゃん」

「なぁに? アリン?」

「もぉ~私のことは、お母さんって呼んでっていつも言ってるでしょ~?」

「いや、流石にこの歳になって、いつまでもお母さんは恥ずかしいよ」

「まだまだ子供じゃない」

「いや、成人したし」


 このゆるい言い合いはいつものことだ。いつも穏やかで柔らかい物腰のこの母だが頑固な部分もあり、その最たるものがこのお母さん問題である。いつも同じような話題であることに呆れはするものの、飽きることはなく、私自身もどこかこのやりとりを楽しみにしているようなふしがあると思う。しかし、決してこの喧嘩けんかを継続させたいが為に、母をお母さんと呼ぶことを抵抗している訳ではない。何故なら……


「だって、アリン。私もう一二〇歳だよ? 成人になってもう二〇年も経った。立派な大人だよ」


 そう、私はもうすでに一二〇歳を迎えている。人間だったなら、とっくに亡くなっているであろう年齢である。だが私は人間ではない。エルフである。

 そもそも、私の元々の生まれはこのファンタジーな世界ではない。いわゆる、転生者と呼ばれるものだ。しかし、私は自分が死んだという実感がなければ、以前、どこでどのような生活を送っていたかということもぼんやりとしか覚えていない。どうやら、自身が以前も今も性別が女性であるということがハッキリと分かっている程度である。また、転生の際には、神様に会って問答をするのが決まりらしいのだが、あいにくと私の記憶にはそのような存在はなかったし、今を生きる私にとっての神様とは、このエルフの里で崇拝すうはいするカラマ神のことである。


「頂きました」


 ずっと可愛らしく文句を言ってくる母を尻目にさっさと食べ終えた私は、木をけずって作った食器を洗う為に、外の井戸まで持って行く。水面に目を落とすと、そこには整った顔立ちの女性が映っていた。母親ゆずりの金色の髪は腰まで伸ばされ、瞳の色は、父親と同じ翠色みどりいろである。目付きも若干じゃっかん父に似て釣り上がっている。相変わらず、自分には過ぎた容姿だと思いつつも、水を汲み上げ、食器を洗っていく。

 この土地は、近くに火山地帯があるおかげで地熱により、寒季でも雪がほとんど積もらないのだが、それでも暖季に入ったばかりの井戸水は微かに冷たく感じる。いや、エルフは寒暖に鈍感であるから、あくまで私個人の感覚の問題だ。

 空を見上げると、さっきよりも明るくはなってきているが、周りを森で囲われているこのエルフの里に日が差すのは、もう少し後になるようだ。


「さて、続きでもしようかな」


 綺麗キレイになった食器を持って家に入り、布巾ふきんで水気を取って棚に仕舞い、その後、再び自室にこもり、薬を作る作業へと戻る。

 いつもの繰り返しの作業の為、先程の思考の続きをする。

 私が生まれたのは、今から一二〇年前。母のアリンはエルフ族であるが、父は人間族である為、私は正確にはハーフエルフということになる。父が亡くなったのは八〇年程前、私が四〇歳頃のことである。享年きょうねん七二歳。老衰ろうすいである。現代の日本からすれば、まだまだ若いと思うが、電気もガスも水道もない今の技術や、衛生管理も不十分なこの世界では、同じように寿命を迎えることは難しいかもしれない。医療も、魔法や薬による怪我や病気の治療があり、この点にいては、かつて私がいた世界よりも医療は充実しているのかもしれないが、いを止める方法は存在しない。


「本当はあるのかもしれないけどね」


 ふと、思考が口に出てしまい、誰もいないと分かっているが、つい周りを見渡してしまう。溜め息をくと、再び薬草をすり潰し始める。

 魔法が存在する世界なのだ。また、私達のようなエルフ族といった長命な種族を始めとし、世界には数多くの種族がそれぞれコミュニティを築き、生活を送っている。

 この世界にヒトと呼べる存在が誕生して早八〇〇〇年。あくまで確認出来る限りでの年数だそうで、もしかしたらそれ以前にも文明があったのかもしれないと言われている。

 いずれにせよ、そこから住む地域や気候、思考など様々な要素から人種が別れた地球のように、私達の先祖もそうして数多くの種族や人種に別れ、世界各地で過ごしている。

 私の知らないところでは、機械文明が発達した国や、賢者の石か何かの魔法で、長寿を成し遂げた人間が住む集落があるのかもしれない。そう考えると、この世界を見て回りたいと思ってしまう。

 だが、我慢しなければならない。

 成人後一〇年間は冒険者としてその身を危険な目に合わせ、母を随分ずいぶんと心配させてしまった。一〇年前に引退してからは、たまに武器の手入れをする程度で、基本は家にもり魔法薬の作成に努めている。

 里の外に出るのは、薬草や野草、木の実などの植物の採取さいしゅや、食糧となる動物を狩る、時々、里に害を成そうとする怪物モンスター討伐とうばつする時くらいで、基本、日々まったりと家に引き籠もって過ごしている。不満はないが、やはり、どこか物足りない。あの冒険者時代に味わった、命の危険をもう一度体験したいとは思わないが、知らない土地、知らない文化、知らない食べ物などを知るのは、非常にワクワクしたものだ。


「やっぱり、集中出来ないかな」


 そんなことを考えていたからか、いつの間にか手を止め、ぼんやりと窓の外を眺めていた。外では、人間の見た目三〇代前後、実際はその一〇倍、二〇倍を生きるエルフ達が、井戸端会議いどばたかいぎをしていたり、まきを割ったり、農作業をしたりと、おだやかにその時間を送っている姿が目に映った。

 私は異端児いたんじだ。

 転生者なのだから当然なのだが、普通エルフは見た目の成長の割に精神の成長は遅い。見た目だけならば、五〇~七〇歳の間には成人と同じ姿となる。最大で二〇年の開きがあるが、数百年を生きるエルフにとって、二〇年なんて誤差である。成人が一〇〇歳となっているのは、そこに関係している。エルフの六〇歳前後とは、人間でいう一〇歳程度に相当する。長命な分、精神の成長が非常に遅いのである。それはハーフエルフも変わりはない。人間の血が混じっている為、若干早熟するという程度で、結局は誤差で片付けられてしまう。

 だが私は、生まれた時から既に成熟した精神をこの身に宿やどしてしまった。その為、普通なら遊ぶのが仕事という幼少期を早々に卒業し、家事の手伝いや、年老いて動けなくなってしまった父の介護を行ったり、母に師事して薬草の知識を学んだり、魔法や武器の練習にいそしんでいた。

 そして一〇〇歳。元服げんぷくし、成人のあかしとして両耳に銀のイヤリングを付けて単独で里の外へ出ることが出来る許しを得ると、母に冒険者になると一方的に告げて、里を飛び出してしまった。

 森の奥の小さな集落であり、外部との交流はなさそうに思えるが、実は人間の町と火山の間に位置しているということで、そこを行き来する商隊の中継地点として利用されている。その為、里の外の話を聞く機会があったのだ。

 ここで、冒険者はともかく商隊が火山へ何の用事かと疑問に持つところだが、実は山のふもとには、鉱石などを扱うことに特化した種族、ドワーフ族が住んでいるのである。

 ドワーフ族と交易こうえきを結んで鉱石を売買し、その護衛ごえいを冒険者がつとめるという仕組みだ。この交流は数百年に渡って行われており、私の父も、元々は冒険者として護衛でこの地を訪れて母と出会い、夫婦となったのだそうだ。


「そうだ、そろそろ商隊が来る頃かな」


 薬棚をあさり、魔法薬が詰まった薬瓶十数本と、乾燥した薬草数本を取り出し革袋に詰めていく。商隊がいつ来るかなどは決まった周期があるわけではなく、完全な勘なのだが、半分近くは当たるので、あながち馬鹿に出来ない。そして、袋を持って外に出たところで、里の門の方から、ガラガラと音がすることに気付く。しばらく待っていると、森の中から馬車が数台、縦一列となって現れた。


「やった」


 馬車は、休憩の為に里で唯一の宿屋へと向かうので、私も遅れないように急ぎ足で、その後に続いた。


「いらっしゃいませー!」


 いち早く辿たどり着いた私は、すぐに馬車の横に陣取り、魔法薬や薬草を広げる。

 エルフの里内での取引は通貨を必要とせず、物々交換ぶつぶつこうかんが基本なのだが、それは普通に生活する分には自給自足で事足ことたりており、あまり外部の物を必要としていないことに関係している。それゆえに、お金を持っていないエルフは何人もいる。

 私もそれにならって里内での取引は物々交換で行うことが多いが、欲しい物がない場合はお金でやりとりをしている。


「さぁどうぞ。見ていって下さい。師匠お墨付きの魔法薬です!」

「お、今回はフレンシアが一番か。よーし、どれどれ?」


 恰幅かっぷくが良く、豪快に笑う商人のおじさんが、地面に広げられた魔法薬類に手を伸ばしてじっくりと見定めていく。フレンシアとは今の私のフルネームであるが、母などの親しい人達は皆シアと呼んでいる。

 今回は、私が一番良い位置で場所を取ることが出来た。つまり、商隊が来るタイミングを勘で当てることが出来た者だけが、優先して商売することが出来るというのが、この里での暗黙の了解なのである。この為に、外部の物を必要とするエルフは日々、勘を研ぎ澄ます努力をしている……訳ではなく、種族柄、長寿のエルフはさほど急ぐ、慌てるということをしない上に物欲もあまりないことから、偶々たまたま居合わせたエルフが一番乗りだった時に、私は甘んじて後列に並ぶのである。

 そんな物欲にとぼしいエルフ族である私だが、精神が人間であることが関わっているのか、それとも人間の血が混じったハーフエルフであるが故か分からないが、いずれにせよ私自身は、それなりに物欲がある。


「よし、魔法薬は全部もらおう。薬草は、それとそれ、後これをくれ。乾燥状態はどうだ?」

「ここのところ晴れ続きでしたから、天日干しで問題なく。三日ですね」

「分かった。金額は一六.一四キユでどうだ?」


 キユというのはこの国、ジスト王国で使われている主な通貨の単位だ。

 金貨がロカン、銀貨がキユ、銅貨がトルマで、一ロカン=一八キユ、一キユ=三〇トルマである。日本円に換算すると、一トルマが大体五〇円前後くらいの価値だろうか。

 今回、商人が提示した額が一六.一四キユということは、一六キユ一四トルマで、おおよそ二四七〇〇円くらいになる。今回用意した魔法薬は一四本。となると一本一.〇四キユだろうか。日本円にすると一本一七〇〇円くらい。残りの一八トルマは薬草の分ということになる。

 日本で風邪薬を買うと一〇〇〇~二〇〇〇円であることを考えると、相場はさほど違いはないのかもしれないが、この世界の魔法薬は飲むだけで、程度によるが傷がえ、病気も治す万能薬である。もちろん粗悪品そあくひんもあれば反対に最上級や上級と呼ばれる魔法薬があり、更にある一点特化型の特級魔法薬も存在する。どんな傷も全快させ、たちまちに死の淵から蘇るというものらしいのだが、本当だろうか。少なくともお金持ちの人なら、外傷では死ぬことはないのかもしれない。

 話がれてしまったが、そんな万能薬である魔法薬が一.〇四キユというのは安い。もちろんこれは取引価格で、ここに税金や人件費、運搬費うんぱんひなどが上乗せされるので、最終的に市場に出る頃には、それなりの値段になっているだろう。

 出回っている低級の相場が大体一.〇二キユであること。もちろんこれは市場価格なので、実際の取引では、それよりも少ない二〇トルマ前後でやり取りが行われる。

 話を戻して今回の取引、相手方が提示したのは薬草を購入し、更に多少色を付けての一六.一四キユ。一応、一本の価格が一キユを超えているので、低級ではないとの判断からなのだろうが、それでも納得がいかない。今回私が出す魔法薬は、中級には手が届いていると自信を持って言える出来である。それが思ったほどの評価がされないともなれば、プライドが許さない。

 そもそも前回の取引時は寒季ということもあり、魔法薬の材料も少なく数が少ないことから、今回よりも質が悪くても一本当たり一.二二キユまで値が上がったのだ。

 前回よりも数段は質を上げており、おそらく彼もそれをある程度理解しているだろう。液体の色や透明度が明らかに違うからだ。にも関わらず、一.〇四キユというのは些か納得出来ない。

 これでも薬師くすしであり、それを売る以上は商人だ。妥協だきょうは許さない。


「安いですね。一本二キユ」

「前回は、寒季で材料もあまりなかったし、魔法薬が数揃えられなかったからであって、今回は寒さも越したし、この薬草の状態を見ても良好と見える。これなら、安定した数が確保出来るだろうから一本一.〇四キユだ。これでも市場よりも値を上げてるぜ」

「前回よりも質は上がっています。前回は低級の中でも上位程度でしたが、寒季にじっくりと研究しましたので、中級に手が届く程度にはなりましたよ? 中級は、安くても二.二キユ。それよりも二〇トルマも安いですよ?」

「ぐ、一.〇六キユ」

「二キユ。ここで安く仕入れて、どうせ市場では三キユ近くの値段でおろすのでしょ? その分のもうけを少し分けて下さいよ」

「……一.一キユ」

「私も悪魔ではありません。一.二八キユ」

「材料はタダなんだろ? 一.一三キユ」

「人件費と時間給込みです。一.二七キユ」

「人件費ったって、フレンシア一人じゃないか。それにエルフに時間給とかって概念ないだろ?一.一四キユ」

「種族差別です。侮辱罪ぶじょくざい込みで三キユ」

「値上げすんじゃねぇ! そもそも侮辱罪って何だよ!」

「あー嫌な気分になりましたー。もう私売りたくなーい。直接町行くー」

「あ、くそ、一.二キユ!」

「もう一声」

「だーもう! 一.二二!」

「一.二五です。これが最低ラインです」

「分かったよ! 一.二五キユ!」

「毎度ありがとうございます! では魔法薬一本一.二五キユが一四本。それに乾燥薬草三束で、合わせて一ロカン六キユと一〇トルマのところ、端数分を削ってあげましょう。温情です。では一.〇八ロカン! いただきます!」

「はぁ、はいよ」

「ありがとうございます」


 最初一六.一四キユのところから一気に一〇キユ程釣り上げ、二六キユ、つまり一.〇八ロカンまで引き上げることが出来、ホクホク顔の私である。地味に薬草を二トルマ値上げして計算していたことは内緒である。まぁ相手もベテランの商人だ。計算は速いので分かってはいるだろう。それに、結局差し引いたのだから問題はない。

 受け取った一.〇八ロカンの内、一.〇二ロカンは財布に仕舞って六キユだけ手に持ち、再び交渉の席に座る。第二ラウンド開始である。


「じゃあ、今度は私の番ですね。本を下さい!」

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