第18話「トーライ王国とモグリスタ共和国」

「いつもダークウッドの森で胡坐をかいている貴女には、使節団の旅は厳しいですよ。本当について来るつもりですか?」


「いざとなったら王都のアミーリアに置いていけばよかろう。ワシは話を聞いて、ロクスレイには助言者が必要じゃと思ったまでよ。足手まといにはならん。こう見えても腕っぷしと脚には自信があってのう」


 ダークウッドの森からトーライ王国を通ってフサール王国を目指す日の朝、突如としてソルスが旅に同行すると言い出した。


 こうした突然の申し出事態はロクスレイにとって珍しくはなく、ただ旅慣れていないソルスを心配して忠告していた。


「かつては<テムールの教え>を広めるために太陽の上り下りする壁の果て、極寒の地で雪を踏みしめ、荒れ狂う海も渡ったのう。南の怪物も相手にしたし、東のピラマン部族とも戦ったのじゃ。そんな厳しい教えの旅をこなしたワシに後れを取る要素は皆無じゃよ」


「衰え。という言葉を知らないようですね。しかし、いいでしょう。正直言えば、ソルスに同行してもらえるのは助かります。仮にもビックマザーの貴女ならば、大抵の人は物怖じしてくれるでしょう」


「脅しとは感心せぬのう。やはり、相手の弱みに付け込むやり方は修整すべきじゃの」


 そうしてソルスを加えた六人はダークウッドの森を抜けた。森を出る際は特に紋章を気にする必要はなく、歩いてほんの少し、まるで森が狭くなったように出ることができた。


 森を抜けてトーライ王国にたどり着くと、そこは田園風景が続きフサール王国に比べて山村の多い国だった。


 特徴的なのは農耕に使われているトーライ鹿が多いことだ。フサール王国では一家に一匹いれば立派な一財産であるのに対し、トーライ王国では一家の家族と同数かそれ以上のトーライ鹿がいる。


 この国にはそれほどにトーライ鹿を育む自然が豊かなのだ。


「どれ、ワシも一匹買うかのう。流石に騎乗しているロクスレイらに続くのに、徒歩はきついからの」


 ここまでソルス一人だけは持ち合わせのトーライ鹿はおらず、歩きでついて来ていた。それでもソルスは鹿に騎乗しているロクスレイらに置いていかれることはなく、飛ぶように速く歩いてきたのだ。


 どうやら健脚を有していることは本当の事らしい。


 ソルスは、顔を見せた農家の人が頭を上げることができぬほどに敬われ。トーライ鹿一頭分のレクトーン金貨を中々受け取ろうとしなかった。


 最後には「恵みを受け取らぬ者は大地神オラーの加護を拒むようなものじゃよ」と説いて、手の平に押し込むように代金を渡した。


「確かにワシは無償の愛のように施しを授けよ、と説いておる。しかしじゃな、それと同様なくらい、他者の施しを区別することなく受け入れよとも言っておるのじゃ。全ての事柄、全ての事象は真理を映す鏡であり、万物は真理を表す道具にしか過ぎぬ。唯物に執着せぬことは授受することも拒まないと言うことじゃからな」


「経済に宗教観を持ち込むのはやめてください。それにしても良かったのですか? ここならトーライ鹿の相場はもっと低いのですよ。あれだけあれば二頭は買えましたよ」


「言うたじゃろ。分け隔てなく奉仕することが大事なのじゃよ」


 ソルスは慣れない鹿の騎乗も、杖を片手にさっさと乗りこなしてしまい、ロクスレイの後に続いた。


「それにしても収穫期はまだとは言え、男性の姿が少ないですね。どこに行ったのでしょう」


「狩りにでも出ているのじゃない? この時期なら森のイノシシを追いかけることも珍しくないでしょう」


 ミリアがそう興味なさげに言った。


「……杞憂かもしれませんが、誰かに聞いてみましょう。何故か嫌な予感がします」


 ロクスレイが近くの村人を呼び止めようとした。その時、遠くから雄たけびが聞こえてきたのであった。


「何事なの?」


「山賊の類かのう。ロクスレイ、急ぐぞ」


 声が聞こえてきたのは村の南からだ。ロクスレイらは現場を確認するために急ぐ。


 しばらく行くと、大勢の村人が北に向かって逃げてくるのと鉢会った。


 トーマスはその中の一人を太い腕で捕まえた。


「おう、おう。何事だ! 賊でも現れたか!」


「ひっ、離してくれ。あれは賊じゃない。兵士だ」


「兵士? 自国の兵士が民を襲っているのか!?」


「違う! 俺も一瞬見ただけだが、あれはトーライ王国の旗じゃない。黒い丸の意匠があった」


 村人が言ったその言葉に、ロクスレイは心当たりがあった。


「黒い太陽。雪の地平線……。まさか、モグリスタ共和国!」


 南のモグリスタ共和国は山脈を挟み北の六王国と敵対している国だ。南の極寒の地を逃れ、北の温かい気候と豊かな土壌を求めて度々山脈を越えてくる。


 だが多くの場合、収穫期に十分な食料が得られず、冬を越すために温かい北へ上ってくる。そのため、まだ収穫期を迎えていない今攻める理由はないはずだ。


「何らかの政変があったか、絶理の壁が消失した影響かのう。――来るぞ」


 ソルスは杖を両手で持って構える。それに続くようにロクスレイは弓を展開し、メイは短刀を握る。トーマスは片手斧を振りかざし、ウィルは弓を、ミリアは剣を構えた。


 村の木造りの家を縫うように、剣と盾を装備して革の服を着た男達がロクスレイらの目の前に飛び出してきた。


「シッ!」


 ロクスレイは小さい吐息と共に、矢を先頭の男の首に撃ち込む。ウィルも同じように、次に続いた男の身体に矢を縫い付けた。


 それでも後列の突撃は揺るがない。


 トーマスとミリアが肉薄したモグリスタ共和国の兵士と、剣と斧を交える。トーマスとミリア共、数度の剣戟で相手を斬り伏せてしまった。


「俺の死んだカミさん並みに強うそうだな。どうだ、俺の次期妻にならぬか?」


「冗談! 私にも選ぶ権利はあるのよ」


 軽口を飛ばしつつも、二人は次の敵兵士に斬りつけ、あっさり倒してしまう。


 だが、まだまだ後続は増える一方だ。


「どうもキリがないのう」


 メイの隣で敵兵士を捌くソルスがぼそりと言うと、敵兵士集団に向けて杖を掲げた。


「火炎神デカリアよ。顕現するのじゃ」


 杖の一辺を撫でたかと思うと、淡い光が視界いっぱいに広がり、気づけば空中に火炎球が出現していた。


 遠くにいるロクスレイさえ肌を針で刺されるような暑さを感じるそれを、ソルスは指で誘導するように敵兵士集団に向ける。


 とはいえ、素早く落とすのではない。攻城兵器を押すようにゆっくりと、その場を旋回させたのだ。


 敵兵士はそれだけでも驚き慌てる。そして暑さから逃れるようにロクスレイ達から距離を取った。


「落とさないのですか?」


「そう簡単に殺生をするものではない。それに今は時間さえ稼げれば助かるようじゃよ」


「それはどういう――」


 ロクスレイが聞き返すよりも早く、遠くから地鳴りが聞こえてきた。


 それは騎乗されたトーライ鹿の大軍が鳴らす音であった。


 音の正体に気付いたモグリスタ共和国の兵士達は、急に青ざめた顔になって蜘蛛の子散らすように逃げ出したのだ。


 ソルスはそれを見届けると、空中にあった火炎球を消し去った。


「あれは、トーライ王国の騎乗鹿ですね。ずいぶん対応が早い」


 トーライ王国の騎士達はモグリスタ共和国の兵士を追い散らした後、武装しているロクスレイ達に近づいてきた。


 ロクスレイとソルスは皆を庇うように前に立ち、身分を明かした。


「私はフサール王国第二書記局局長のロクスレイ・ダークウッドです。隊長殿に御目通し願いたい」


「ワシはダークウッドの森のビックマザー、ソルスじゃ。この子の身分はワシが保証しよう」


 トーライ王国の騎士はそれを聞くと、伝令を走らせてくれた。それからほんの少しして、この部隊を率いる部隊長が現れた。


「この度はトーライ王国の王国民を守ってくださり、ありがとうございました。あれはモグリスタの敗残兵でして、後を追っていたのです」


「と言うことはモグリスタ共和国は大して兵を送ってきていないのですか?」


「いえ、あくまでも先行の敵部隊を追い返しただけに過ぎません。フサール王国には応援を頼みました。私達は援軍が来るまで敵の本軍との衝突は避けるつもりです」


「今までのモグリスタ共和国軍来襲の基本戦術ですね。しかし、何故この時期にモグリスタ共和国軍が?」


「それは、私どもにも皆目見当がつかないのです」


 ロクスレイが部隊長と話していると、後ろでトーマスが意味深に呟いた。


「もう少し時間があるかと思ったが、早かったな。事態は俺が思うより深刻のようだな」


 ロクスレイはその言葉に驚き、トーマスの方へ振り向く。


「貴方、何かを知っているのですか?」


「ふむふむ。それは前に言った通り、フサール王国の重鎮に会うまで言えぬな。ただ、言えることは」


 トーマスが人差し指を立てて、地面を指さした。


「このままではこの地に、今までにない大戦が始まるということだな」

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