宇都宮餃子物語

北風 嵐

第1話

久しぶりに大学時代の仲間の集まりに参加することにした。寮で寝食を共にした、気をおけない7、8人程の集まりだ。卒業以来、ズート続いている。大学を出て宇都宮で就職し、幹事をやってくれている二人の友人のお陰だ。宇都宮大学は「打つ、飲み屋」大学と揶揄されるほど、麻雀好きの酒好きが多かった。そんな仲間の集まりだ。


 かれこれ7、8年は行っていなかったと思う。関西からは時間もお金も大変である。腰の調子が思わしくなく、遠出がきつくなりだした。多分これが最後になるだろうと、思い切ったのだ。大学に最初に行った時のように、上野から鈍行で2時間半、ゆっくり駅弁でも食べながら関東平野を車窓から眺めようと思い、駅弁と缶ビールを買った。

 聞くと、最近東京駅から宇都宮まで直通の快速電車が出ているという。1時間半、まるで通勤電車だ。とっても駅弁を食べられる雰囲気ではない。沿線の風景も様変わりしているが、それでも関東平野のローム層の黒い土を見ながら、初めて来た時のことを思い出していた。


 場所は那須塩原温泉、夏休みなどの長期休みの時によくアルバイトしたところだ。その旅館で一泊である。その頃は高度成長期、会社の団体慰安旅行が多く、猫の手でも借りたいぐらいの賑やかしさであった。男女の決まりはないのだが、大浴場は男、小浴場は女となっていた。年配のご婦人がたまに「大きい方はやっぱり気持ちいいわねぇー」とか、入ってくることがある。旅館の仕事は朝早く、夜が遅く、昼間に4時間ほどの休憩がある。

 夕方からの仕事前に一風呂を浴びようと大浴場に行った。脱衣場に若い女性が二人ほど・・勇気があるなぁーと思いながら、磨ガラスの引き戸を開けた。開けてビックリ玉手箱。裸女の山盛りである。資生堂の団体が入っていて、大と小が入れ替わっていたのだ。多勢に無勢、ほうほうの体で退散させてもらったことがあった。


 まずはジャン卓を囲んで半荘である。私は見学にした。メンバーは地元の菅野、近藤両君、千葉からの杉山君、長野の中村君である。杉山君は千葉県庁を終えて、今は田んぼを持ってコメ作りを趣味としている。料亭のアルバイトの日給を持ってはパチンコで増やしてはバーに通った仲である。人は変わるものである。中村君は若くして脳卒中を患ったが持ち前の山岳部精神で半身不自由ではあるが、車で来られるまでに回復させた。社会保険労務士の資格を取って、大手スーパーの人事課での仕事を終えた。4人は手より口がよく動いた。あと杉山君と同じ県庁だった加藤君が参加予定だったが奥さんの縁者にご不幸があったとかで参加できなくなった。彼が来ていれば独特のギャグ連発で場はもっと楽しくなったなったろうが、致し方ない。


 露天風呂に浸かって、宴会はお決まりのコース。部屋に帰ってまた飲み直し、家ではめっきり弱くなったが、旧友と飲む酒はまた別らしい。アルバイトでの思い出話から、大学時代噂になった女性の話に移っていった。酒にはやはり女がいないと淋しいのか、近藤誠君がスナックに行こうと言い出した。フロントに聞くと、この辺でやっているスナックはないという。温泉場も今は静かになったのだ。

 仕方がない、自動販売機で缶ビールを買い込んで、ホステスなしの酒盛りが始まった。

帰りの土産に何がいいかになって、『宇都宮餃子』の話になった。

「いつから、宇都宮の餃子が有名になったのかい?俺らがいるときはそんな話は全然なかったぜ、土産と言ったら干瓢ぐらいなものだった。誰か仕掛け人がいたのかい?」と私が言った。

「それなんだ。実はウチの前村長がその仕掛け人だったのだよ」と語ったのは、菅野君だった。彼は「なんのかんのの菅野さん」と言われるぐらい友達の面倒見が良い人物で、私はことの他世話になった。彼が今勤めているところが宇都宮市の第3セクター『ロマンチック村』なのである。ロマンチック村は温泉と農業公園をメインとする保養施設として作られた。彼はその村の営業課長としてオープン以来勤めている。一時、経営的にもしんどい時期もあったが、今は道の駅が併設されて隆盛を取り戻している。

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