第7話 さくら さくら
高速バスはぐんぐんスピードをあげ、ほぼ一瞬で勝間田のアパートが見えなくなった。付近は一般道、パトカーがいれば間違い無く取り締まりの対象になる速度……と思った勝間田は速度計をチラッと確認するが、針は『0km/h』からピクリとも動かない。思わず声をあげかけた瞬間、
「只今、後速道路に入りました。激しく揺れますのでご注意ください」
と運転士が案内放送をする。
次の瞬間、窓の外が一瞬真っ白になったかと思った直後、今度はトンネルに入ったように暗くなり、同時に歪んだ時計があちこちに現れ、それぞれの針が目まぐるしく逆回転を始めた。
ここで初めて勝間田は『高速道路』の『こう』の字が違うことに気付く。その頃には体感速度は100km/hを越えたように思うが、実際のところは速度計が反応していないので分からない。ただ、窓の外を次々と去って行く逆回りの時計の間にどこかで見た景色が写真のようにチラチラと見える。
勝間田が目を凝らして見てみると、それらは本当に写真のようで、スーパーストア烏丸での日常や入社初日の記念写真、大学の卒業式にゼミの教授と撮った写真……彼の人生をまさに逆向きに辿っている感じだった。
これってもしかして死ぬ前に見る『走馬灯』ではないか?と勝間田は急に不安になった頃、窓の外に桜の花びらが舞い始めた。
もしかしてあの桜ではないか?と慌てて前方を見ると……確かに満開の桜の木が近づいてくる。
運転士は左手でハンドルを、右手で放送スイッチを操作する。直後
ピンポーン
「まもなく『人生のターニングポイント』に到着します。どなた様もお忘れ物、後悔無いようお支度をしてお待ちください」
合成された機械の声に続き
「長らくのご乗車お疲れさまでした。『人生のターニングポイント』到着です。片道乗車券お持ちのお客様はお降り願います。周遊乗車券お持ちのお客様、当バスストップでの降車は出来ません。車内でお待ちください」
勝間田は改めて高速バスターミナルで渡された乗車券を見ると、ハッキリと『片道乗車券』と記入されている。そう、ここが目的地『人生のターニングポイント』らしい。
どうやら勝間田の願いは叶い、あの子に再会出来るようだ。しかし、同時に彼は強烈な不安に駆られた。理由は……この桜の木の下であの子を振ってしまう前から、勝間田はあの子に対し冷ややかな態度を取り続けていたからである。
もしかしたらこの時、あの子はここで別れを切り出されることを薄々気付いていたのではないか?だからここで俺が謝っても何も変わらないかも……そもそも、12年前のあの子が今の俺を見て誰かわかるのか?
勝間田の頭が混乱のピークを迎えたちょうどその時、桜の木の手前にある停留所へ高速バスはピタリと付ける。運転士は帽子に付けていたハンズフリーマイクを外し、その手で乗降扉のスイッチを操作する。
ピーッというブザー音とともにバスは少し左に傾き、外へ乗降扉が開く。運転士は勝間田の方を向き
「ご乗車ありがとうございました」
と声を掛け、降車を促す。声は穏やかだが、制帽の下から感じる視線が早々に降車するよう強く促しているように見えた勝間田は、クリスマスケーキ誤発注の件で流した以上の冷や汗を背中に感じつつ、一段ずつステップを降り、乗降扉の外に……この時、先程のトンネルに入る直前に見た白い光が彼を包み込む。
次の瞬間、勝間田の姿は12年前……高校生の姿に戻っていた。驚いて周囲を見回した彼は絶句した……高速バスがいない!
絶句した勝間田に、爽やかな、そして少し甘い香りの風が吹き抜け、合わせるかのように桜の花びらがヒラヒラと舞う。その向こうには……そこで、彼はまた意識を失った。
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