第百十九話:秘めた思い

 フェディン王との謁見を終え、城から出た。

 迷宮から地上へ戻った時はちょうど昼だったが、今はもう夕方になりつつある。

 王との謁見ですぐに王にお目見え出来た事はあまりない。

 公務で忙しいのは承知しているが、それにしても今日は大分長い間待たされてくたびれてしまった。

 全く、すぐ来いという割に人を待たせるのは理解しがたい。

 そもそも探索を終えて疲れているというのに。

 まあ、今回に関しては俺たちが相手の想定していない時に潜ったからとも言えるかもしれないが。


「さて、これからどうするかね」


 フォラスが言った。


「ひとまず宿に戻り、英気を養いつつ次回の探索について打ち合わせようかと」

「打ち合わせか。それなら儂も行かねばならぬな」

「勿論です。仲間ですから。しかし……」


 俺が口を濁すと、フォラスは自分の姿の上下を見て、これはしたりと言わんばかりに頭を平手で叩いた。


「そなたらが泊っている宿は何処かな」

「イブン=サフィールという高級宿です」

「なるほどな。確かに、あの宿にこんな格好で行っては門前払いされるのが落ちだろう。一旦着替えてからその宿に改めて向かうから、先に行って構わぬ」


 フォラスは空間転移で一旦、迷宮内の自室に戻った。

 俺たちはその間にイブン=サフィールの一階広間ロビーにて休息を取っていると、身なりを整えたフォラスがやってきた。


「待たせたの」


 黒を基調とした絹の法衣ローブを着ているが、金で施した装飾が袖口や襟周辺に見られ、そして宝石で彩られた首飾りや腕輪を嵌めている。

 装飾品にも魔術的な効果のあるものを着けているのかもしれない。

 完全に高名な魔術師と一般人が考えるような服装に、俺たちは呆気に取られた。

 普段がいかにもみすぼらしい物乞いにしか見えないだけに。

 

「では食事がてら、打ち合わせしようか宗一郎殿」


 広間から食堂へ移動する。

 食堂と言っても、この宿の食事は日によって提供される様式が異なる。

 今日は立食形式で、和洋東西様々な料理が白布を掛けられた長い机の腕にずらりと並んで提供されている。

 ここから好きな料理を好きな分だけ自分の机に持っていき、それを食べる。


「こんな食事の形態があるとはな。これだけの料理があるとなると、どれを食べようか目移りして迷うな」

「フォラス殿は普段どのような食事を取っておいでで?」

「老人に豪勢な食事は必要ない。必要十分な栄養が取れればそれで構わぬ」


 フォラスは麺麭パンと生野菜の盛り合わせに加え、また野菜がたっぷりと入った知牛骨出汁の汁物に、あぶった骨付き羊肉と林檎を持ってきた。

 老人にしては随分食べるな。

 胃腸も丈夫でなければ長く生きられぬという訳か。

 アーダルとノエルも各々が好きなものを持ってきて机に置く。

 俺も炊かれた米や焼き魚、野菜がたっぷりの汁物を持ってきた。

 米が食べられるのは非常にありがたい。

 皆が匙や箸を取り、食事を楽しみつつ次の探索をどうするかと話し合う。


「地下九階とは如何なる階層なのですか」


 迷宮を作ったというフォラスならば、何かしらの助言はあるはずだ。

 フォラスは汁物を啜った口を手ぬぐいで拭きとり、両手を顔の横に上げる。


「確かに儂が建造した迷宮ではあるから、最初の構造は覚えてはいる。しかし、そなたらも知っての通り迷宮は生きている」

「つまり、今までの構造が何らかの要因で変化しても不思議ではないと」

「うむ。封印を施して以後も地下九階には時々足を踏み入れていた。見覚えがあれば助言はしよう」

「地下十階は訪れていないの?」

 

 骨付き肉に齧りつきながら、ノエルが問う。

 行儀悪いぞ。


「主が変わってから一度だけ足を踏み入れたが、サムライどもが至る所に警備として立っておってな。とてもではないが一人で突破するのは危険すぎる。秩序のある集団は魔物の群れなんぞより余程厄介じゃ」


 如何に名のある魔術師と言えどもか。


「迷宮の主が連れてきたサムライたちは、今地上でサムライと名乗っている者どもとは明らかに性質が異なる。三船宗一郎、そなたと似ているな」

「迷宮の主は我が先祖、三船宗成みふねむねなりであると侍の一人から言質を取りました。先祖に仕えてる者達ともなれば、ある意味俺よりも手強いでしょう」


 地下五階で出会った十文字槍の使い手を思い出す。

 歴戦の戦士であるはずのゼフの首をいとも簡単に飛ばし、俺もまた死闘の末に紙一重で勝利を掴んだ。

 一歩間違っていれば俺の心臓は槍に貫かれていたかもしれない。

 一人ですら脅威なのだ。

 それが集団で襲い掛かってきたらどうなるか、想像もつかない。


「……アーダル、どうした?」

「あ、うん、いや。何でもないですよ」


 何やら手に麺麭パンを持ったままそれを凝視していたので、思わず声をかけてしまった。

 悩みごとでも抱えているのだろうか。

 声を掛けられて慌てて麺麭を詰め込んだ結果、喉に詰まらせて慌てて水を飲み干している。


「気になる事があるのなら相談に乗るぞ」

「気軽に話してみてほしいわね」

「お二人とも、お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ」


 アーダルは笑って答え、生野菜を口に運んだ。

 本当に大丈夫なら良いのだが。

 此度の探索は今ままでとは意味合いが異なる。

 ある意味、死出の旅となってもおかしくはない。

 懸念や悔いとなる事は、出来る限り潰してから探索に望むべきだ。

 明日になっても思いつめているようなら、その心中を一度伺ってみる必要がある。


「それで次回探索は何時頃にする、宗一郎」

「今週は完全に休みとしたいな。疲れを抜いて、その間に準備も整える。来週には迷宮に潜れるようにしよう」

「地下九階ともなれば、魔物も今よりよほど手強いのが出るんでしょうか、フォラス様」


 アーダルに聞かれ、フォラスは答える。


「レッサーデーモンやグレーターデーモンも魔界から出てきたものだが、マナの濃い深層ではもっと上位の強力な悪魔が蠢いているだろう。心して戦いに臨む必要がある」

「もっと上位の悪魔、か」


 果たしてそれらは鬼神に比肩しうる程なのだろうか。

 そうであれば、少しばかり心が沸き立ってしまうな。


 


 食事があらかた片付いた所で、各々は部屋に戻った。

 俺も風呂を浴びて静かに寝台の上で眠ろうと目を瞑った、が。


 ……目が冴えてしまっている。


 原因は、久々に一物が疼いてしまっているからだった。

 危機的状況に陥ると、人間は本能的に子を残そうとする欲が働くと聞いた事がある。

 これから死地へ赴くのだ。

 頭では如何に鎮めようとしたところで、体は本能の働きをする。


 寝台から起き上がり、外の風に当たってみるが猛りは収まりを見せようとはしない。

 外に出て、街外れの人の来ない泉にて全裸となり、水の中に体を沈めた。

 しばらく、何も考えずに息が続かなくなるまで潜り続け、限界がきたら上がって息を目いっぱい吸い込み、また潜る事を続ける。

 熱の迸りが収まるまで。


 水から上がる音、沈む音、それだけが周囲に響く。


「全く駄目だな」


 股間の一物は収まるばかりか、いっそう血の巡りが良くなるばかりだ。

 仕方がない、ノエルに少し頼み込むしかないか。

 服を着て、宿に戻る。

 俺の部屋はノエルと同じ階にある。

 そのままノエルの部屋に向かおうとした時、俺の部屋の前に立つ人影があった。


「あ、ミフネさん」


 アーダルだった。

 とはいえ、すぐにはわからなかった。

 何故ならいつも着ている忍び装束ではなく、何故か浴衣バスローブ一枚で立っていたからだ。

 銀色の髪の毛がまだ少し濡れていて、宿の照明に当たり煌めいている。

 それにしても、北方から来た人は何故こうも肌が白いのだろうか。

 湯上りだからか、白い肌が上気してうすく桃色に色づいている。


 いかんな。

 良くない目で見てしまっている。


「何か用か?」


 尋ねると、アーダルはおずおずとゆっくり近づいてきた。

 口は最初、固く結ばれていたが、やがて意を決して開かれる。


「私を抱いてくれませんか」


 聞いた瞬間、俺の脳は言葉を正しく認識できなかった。

 三秒くらい間が空いた後、言葉を改めて咀嚼した後に俺の脳は棍棒で叩きつけられたかのような衝撃を受けた。


「ひとまず部屋に入ろうか」


 こんな所で答えを出せるような問いではない。

 部屋に招き入れ、長椅子に隣合って座る。

 潤んだ目でこちらを見るアーダル。

 頼むからその視線を向けないでくれないか。


「それで、何故」

 

 続けようとした瞬間、堰を切ったかのようにアーダルの口から言葉が流れ出す。


「ミフネさんも分かってるでしょう。深層の迷宮探索なんて何時死んでもおかしくない。いやそれどころか皆死んで迷宮から出られず、魔物の餌になるなんて容易に有りうるんです」


 それは確かに、頭で考えるまでもなく肌で感じる事だった。

 魔物は強くなるばかりだ。

 正直、地下八階で散り散りになった時は流石に俺も焦った。

 アーダルがその時どう思ったかは本人にしかわからないが、俺以上に追い詰められた心持ちになったのかもしれない。


「例え迷宮で人生を終える事になるにしても、悔いを残したくないんです。それで、一番出来なかったら後悔するのは何かって考えたんです」

「それが、俺に抱かれる事か」

「私は貴方が好き。不死の女王なんかに最初に暴露されたのが本当に悔しいけど、この気持ちはもうずっと心の中にありました。貴方と共に夜を明かさぬまま、死ぬのは嫌なんです」

「そう、か」


 沈黙が部屋を支配した。

 

 窓の外から月明かりが差し込んでいる。

 部屋に明かりは点けていない。

 そのわずかな光が、俺とアーダルの足元を照らしている。

 暗い部屋に目が慣れても、彼女がどんな顔をしているかは読み取れない。

 

 彼女の告白を受け止めずして何が男か。

 だが、もう一人の俺はノエルの事を考えれば止めるべきではないのかと囁く。


 心の天秤はどちらにも揺れ、全くどちらかに傾く気配を見せない。


 アーダルの吐息は不安で震えている。

 更にすがるように、隣に寄り添って俺を見上げる。

 灰色がかった瞳から、うっすらと涙がにじんでいた。

 

「お願い、します」


 か細い声だった。


「分かった」


 そっと俺はアーダル、いやアデーレを抱きしめる。

 

 ここで断るのはやはり、男ではない。

 ノエルには土下座をして詫びよう。

 それでも納得してくれなければ、迷宮の封印を終えた後に腹を斬る。

 侍としてけじめをつけよう。

 それ以外の方法を俺は知らぬ。


「そなたの想い、しかと受け取った。ならば俺は応えて進ぜよう」

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