第百十三話:疑心暗鬼


 ノエルらしき何者かは、俺に抱き着いて大口を開ける。

 その口の中には、およそ人からかけ離れた鋭い歯が生えていた。

 いや、それは歯と言うよりは最早肉食獣が備えている牙と言った方が正しいだろう。

 涎でてらてらと濡れ輝く牙は、今にも俺の首筋に突き立てられようとしている。


 微かな腐臭と、人としてはあまりにも冷たすぎる体温。

 

 それが人ならぬ存在であることに気づかせる要因となった。

 が、もう相手に抱き着かれ密着している為に抜刀は出来ない。

 牙を剥き出しにしている状況では、抜刀している間に噛まれてしまう。


 抜刀できなければサムライとて只の人、とはよく揶揄される。

 西方に居る、いわゆるサムライと呼ばれる存在ならそうなのかもしれない。


 だが侍の本場たるわが故郷、日ノ出国ひのいづるくにでは違う。

 刀や槍、弓などの武器による戦いのみならず、素手でも戦えなければならない。

 戦場に於いて武器が壊れる、或いは落とされる時はあるだろう。

 その時に武器が無いから降参すると言って、相手が許してくれるだろうか。


 否。


 命乞いをその時した所で、良くて捕虜であり悪ければ野ざらしの死体となりカラスに啄まれる運命となるだろう。

 むしろ無手であろうとも、敵を倒し武器を奪い取り、戦いを継続してこそ侍である。

 特に密着した取っ組み合いになる事は、武器を持っていたとしてもよくある状況だ。


 咄嗟に一呼吸を入れる。

 体に留まっていた霊気が流れ出し、体に巡り始める。

 同時にたいを少し落とし、膝を抜く。

 たいをうまく使う事で、踏み込みや拳を打ち出すまでの距離がなくとも、威力のある一撃を放てるのだ。

 落とし、膝を抜いた力を肩から連動し拳に伝える。


 即ち、寸勁である。


「がっ」


 悲鳴を上げ、絡ませた腕を外してしまう化け物。

 間合いが少し開いたので更に踏み込み、そこから肘打ちを胸に叩き込む。

 体重を乗せた肘打ちは例え大男であろうとも、骨を折り内臓にまで衝撃が浸透し痛手を加える。


 背後の水晶壁に叩きつけられ、ずるりと地面に尻餅を着く偽物。

 顔を上げて牙を剥きだしに歯ぎしりをしながら、俺を睨む。


「何故わたしが偽物とわかった」

「わずかながら腐臭がした。何より、体温が生きている人間と比べれば冷たすぎた。人間は生きているのなら熱を持っている」

「だとしても、あの密着した状態なら、例えどんな腕利きの冒険者だとしても手遅れになっていたというのに」

「生憎だが、お前のような化け物に抱き着かれても嬉しくはないからな」


 俺からも少し聞きたい事もあるので、抜刀しながら話をする。


「貴様は一体何者だ。道化師の手の者か」

「わたしは只の魔物だよ。人に化ける能力を持った、ね。道化師とやらは少しばかり話をして、これからやってくる冒険者を喰わせてくれるって言うから、一緒にあんたらの姿を確認して襲っただけよ」


 口の端からは未だ涎が垂れている。

 よほど腹を空かしているのか。


「道化師と遭遇した時はお前らの姿など見えなかったが」

「道化師の影の中に潜んでたわ。視認なんて無理でしょうね」


 道化師に気を取られすぎて、影に潜む魔物の気配に気づけなかったか。

 俺もまだまだ未熟だな。


「それで道化師とは何の繋がりもないのか」

「あるわけないでしょ。あいつが変なもの持ってなければ、あんたらじゃなくてあいつを最初に喰ってたわ」


 何かしらのつながりがあればと思ったが、所詮は捨て駒か。

 しかし、集団を分断して孤立させ、心細くなった所で偽物に遭遇し襲わせるのは中々に見事な策だと言えよう。

 わずかな違和感に気づけなければ、今頃俺は化け物の餌食になっていた筈だ。


「そろそろ化けの皮を剥がしてやろう。俺の仲間の顔で汚い言葉を吐かれるのは腹が立つからな」

「だったら二度と見なくて済むように、あんたの頭を潰してやる」


 化け物は爪を伸ばし、壁を蹴って襲い掛かってくる。


「溌」


 呼吸を整えて霊気を巡らすと、打刀に白い靄が掛かる。

 振りかぶった爪の一撃を腕ごと下から斬り上げて両断し、息つく間も無く心臓を一突きする。


「あがっ」


 悲鳴を漏らし倒れた化け物は、青い血を地面に広げて息絶えた。

 死んだ事で化け物の変化が解け、さながら墨汁で塗りつぶされたかのような姿になる。

 顔も何もかもが黒い。

 無貌の魔物、か。


「正体は何であろうか」


 鞄から真理の手鏡を取り出した。

 魔物にかざしてみると、鏡は魔物の姿を映し出すや否や、文字を中空に浮かび上がらせる。


<シェイプシフター。悪魔に属する。

 一度相手を確認すればどんなものにでも変化できる能力を持つ。

 相手の精気を噛みついて吸い尽し、自らの糧とする。

 その生態から人間を主に食しており、その被害に遭った者は数知れない。

 擬態能力は極めて高いが、わずかに漂う腐臭と冷たい体温だけは化かしきれない。

 一人で旅する者は気をつけよ。出会うはずのない場所で知人に遭遇した際は、まずこの魔物の仕業かも知れない>


 なるほどな。

 姿を変貌するものという意味か。

 変化の悪魔とでも名付けよう。


「仲間は無事だろうか」


 不意に不安がよぎる。

 変化の悪魔が一匹だけとは限らない。

 違和感に気づければよいが、気づかなかったら襲われ、そのままなり変わられているかもしれない。

 いや、俺の仲間は強い。

 そのような事はあり得ない筈だが、だからと言って迷宮探索には絶対などあり得ないのもまた事実。


(どうした宗一郎。心拍数が上がっているぞ)

「済まない。悪い想像をしてしまって」

(気が気でないのは理解するが、もう少し落ち着け。深呼吸をして整えろ)


 アラハバキの言う通りだ。

 如何に悪い状況に陥ったとて、そうなったら対応するまでだ。

 冷静にならなければ正しい選択肢は選べない。


 腹から呼吸する。

 鼻から息を吸い、口から少しずつ吐いていく。

 何度か繰り返すと、幾分か心の焦りは落ち着いた。


(良し)


 しかし早く合流できればより良い事に変わりはない。

 急ぎ足で道を進んでいく。


 やがて視界の先に少し開けた所がある事に気づいた。

 狭苦しい一本道からようやく分岐がある所に差し掛かった。

 分岐は十字路となっている。

 同時に、十字路の分岐の先から足音が聞こえてくる。


(何かが進んできている。気を付けろ)

「言われるまでもない」


 抜刀し、歩を緩め忍び足で進んでいく。

 呼吸も抑えめにし、口布を巻いて音と気配を殺していく。

 十字路の先に居る者達も気配を察したのか、音が消えた。

 しかし気配までも殺しきれるものは一つだけで、左の分岐から来るものだけの気配が消えた


 十字路の分岐の中心近くに辿り着く。

 するとそこで顔を合わせたのは残りの三人であった。


「ノエル、アーダル、フォラス老!」


 気が緩んだのもつかの間、三人は遭遇して一瞬に顔を険しくし、それぞれ攻撃の準備を始める。


「また宗一郎の偽物!? 性懲りもなく同じのに化けるなんて」

「今度は油断せずに倒す。僕の仲間に化けるのは許せない」

「儂のみならず、他の仲間に化ける奴も出たか」


 誰もが殺気に満ちている。


「待て、俺は本物の宗一郎だ!」

「「「誰が信じるか!」」」


 俺と同じように偽物と遭遇したのなら、言葉で信じるような状況ではない。

 舌打ちをせずにはいられなかった。


(一戦交えるしかあるまいよ)

「アラハバキ、本気で言っているのか」

(皆、偽物に遭遇して頭に血が上っているのなら、言葉で何を言おうとも無駄だ。なに、最悪の場合、君が生き残れば良いだけの話だろう。それに目の前の彼らが本物の仲間だという確証はまだ無いのだぞ)


 そうであった。

 今度こそ本当の仲間に出会えた、と思ってしまったのが二度目の不覚である。

 俺の心はまだまだ甘い。


「やるしかない、のか」


 これが道化師の本当の策であれば、俺は舌を巻くしかできない。


 本当に迷宮で恐ろしいのは、仲間割れに陥る事なのだから。

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