外伝二十二話:泉に佇む者
わたしとアーダルは地下に落ちてから牢屋の領域から歩いていなかったので知らなかったけど、宗一郎とムラクは一階から降りて来たので、城地下には牢屋以外の領域もあると知っていた。
彼曰く、元は食糧庫や倉庫のような場所だったのではないかと。
食糧庫の名残のような部屋はあったが、おそらくそれ以外の倉庫として使われていた部屋が牢屋に改造されたのだろうと。
なるほど、そう考えれば牢屋になんでタルや木箱が置いてあったのかも頷ける。
普通の牢屋ならそんなものを置く訳がない。
いや、糞尿処理のためにひとつの壺くらいは置いてあるかもしれないけどもさ。
アーダルは病による衰弱から完全に復帰しておらず、まだ立ち上がれる状態にはないので宗一郎が背負っている。
わたしも背負ってもらいたいという気持ちは押し殺しつつ、わたしとムラクが今は前に立っている。
人を背負っているという事は即座に戦闘態勢に移れないので、不意の遭遇の時に無防備なままで居てしまう。
それは非常に危険だ。
とはいえ、こんな状態で敵と遭遇したくない。
万が一にも遭遇した時、まず矢面に立つのはわたしとムラクだ。
直接戦闘に自信のない者ふたりが、強力な魔物と遭遇してどれぐらい時を稼げるか。
宗一郎が前に出るまでの一時、仕方ないと言ってもやはり気は進まない。
宗一郎達は城地下はくまなく歩いて、遭遇した魔物は全部倒したとは言っているけど。
迷宮の魔物は一度倒しても、時間が経てば何処からともなく復活している。
何故復活するのか、何処から来るのかは誰も知らない。
一番人々に馴染みがある説としては、迷宮に漂う魔素によって召喚されているという。
そして迷宮に主が居ると、より強力な魔物が呼ばれると。
でも、それだって明確な根拠があるわけじゃない。
もしそうだとしたら、一体何故迷宮は魔物が呼びこまれる作りになったのか。
誰がそんな仕組みを作ったのか。
疑問は尽きないが、差し当たってこの廃城もサルヴィの迷宮と同じように魔物が発生するようになっているのだろうか。
そうだとしたら、一度排除したとしても安心はできないかも。
短い階段を上り、元食糧庫へと向かう。
「ちょうど大きめの十字路の真ん中に、泉があるんだ」
「なんで地下に泉なんか作ったのかしらね。倉庫に湿気はあまり良くないと思うんだけど」
「泉周辺には何も置かれていないし、何か考えがあっての事だろう。俺の推測だが、城周辺で戦争でもあった時、水を直接補充できる場所は城の中にあった方がいいからな」
そういえば、この城の周辺には枯れた泉の残骸もあったっけ。
戦争に対する備えはついに役に立つ事は無かったけども。
慎重に周囲を探りながら歩き、泉へと向かっていく。
果たして泉の姿を拝むと、そこには立派な石造りの泉があった。
数百年経った今でもその機能は失っておらず、水が噴水から流れ出ている。
さすがに経年劣化でいくらかひび割れていたり、欠けがあったりするけども、水自体は綺麗そうだ。
ただし、泉を今すぐ利用できるわけではなかった。
何故か泉のふちに、魔物が座り込んで水を手ですくって飲んでいるからだ。
わたし達は通路の影に隠れながら様子を窺う。
「何、あの魔物」
「どうやら悪魔のようだな。山羊頭、牛頭と来て次は馬頭か。地獄の獄卒のようだな」
何のんきな事言ってるのよ。
あの山羊頭や牛頭みたいに強い奴だとしたら、絶対に戦いは回避しないといけない。
その悪魔の姿を詳しく見ると、騎士のように鎧に身を固めて、武器は波打った刃を持つ剣、フランベルジュを持っている。
普通のロングソードならスパっと切れるだけなんだけども、フランベルジュの波打った刃で斬られると傷口は引き裂かれ、止血が難しくなる。
また傷の治りも遅くなるので、戦場では結構恐れられたみたい。
悪魔が持っている剣は大振りで、恐らく両手で扱うものだろう。
あれで斬られたらたまったもんじゃない。
ここの悪魔系の魔物は城の騎士たちの魂を変質させて作られているけど、元となった騎士は間違いなく手練れだろう。
先ほどの山羊頭、牛頭の戦士の例を考えても間違いない。
アーダルは未だ戦線復帰には程遠い。
わたしは今度こそマナが尽きた。
ムラクと宗一郎も疲労の色が激しい。
一難去ってまた一難。
全く、神様はどれだけ試練を与えたら気が済むのやら。
「ひとまず此処から離れた方がいいだろう」
「汗まみれなのに、やだなあ」
「そうはいっても、今のボクらにあれだけ強い魔物を相手出来るかというと……」
「俺一人ならともかく、ノエルとムラクの事を考えるとな」
気持ち悪さが限界なんだけども、泉から離れるしかないと結論を出したその時だった。
「何をこそこそとしている」
悪魔に見つかった!?
即座にわたしはモーニングスターを構え、ムラクは懐に忍ばせていた肉厚のナイフを手に取る。
しかしムラクは震えていた。
今まで前に立って戦闘なんてやった事がないのは明白だった。
持っていた小盾も潰されて使い物にならなくなり、捨ててしまっている。
宗一郎はゆっくりとアーダルを壁に寄りかからせ、野太刀を取り出した。
やるしかないのだろうか。
そう思った瞬間、次の悪魔の言葉は思いがけないものだった。
「いや、何か勘違いをしているようだが、私は君達に危害を加えるつもりはない。その証拠として、武器をこの通り捨てるとしよう」
馬頭の悪魔はフランベルジュを床に投げ捨て、降参のように手を上げた。
信用できるのかしら。
悪魔という物は騙し討ちくらいはお手の物だし、騎士のように見えても騎士道精神みたいなものは期待できそうにないはず。
悪魔は言葉を続ける。
「私は元は、この城の近衛兵だった。何の因果か、領主は災厄の魔神に魅せられてしまい、最終的には魔神の化身へとなってしまった。そして城の兵士たちは魂を囚われて変質させられ、悪魔となって使役されていた」
「お主は何故、完全に悪魔になっていないのだ?」
「支配者である魔神の気配が消えた。魔神の支配から逃れられたおかげで人であった頃の意識を取り戻したのだ。あの魔神を退けたのは誰だ?」
「わたし達よ」
「君達が? なるほど、道理でそんなにボロボロな筈だ」
馬頭の悪魔は笑い声を上げた。
好きでボロボロになったわけじゃないって。
しばらく笑い続けた後、いきなり畏まって礼をした。
「我が名はルード=フレイヴェル。魔神の呪縛より解き放ち、我が意識を引き戻してくれたことを感謝する」
「感謝してくれるのは大変有難い。しかし、見ての通り俺たちは疲れきっている。早い所泉を使わせてほしいのだが」
「それは済まない。だがそれだけでは感謝の意を伝えきれない。何か君達にしてあげられることがあればいいのだが」
「わたし達、ドラゴン討伐の為に此処に来たのよね」
「ドラゴン討伐? ここにドラゴンが棲みついたとでもいうのか?」
「棲みついたというか、先日サルヴィから飛び立ったのを追いかけてきたらここだったというか」
「なるほどな」
「城の二階にいるみたいなんだけど、二階に行く為の門が閉じられててね。レリーフを探してるのよ」
「レリーフとはこれの事かな」
悪魔は懐を探ると、鷹の意匠が模られたレリーフがその手にあった。
「それ! それを探してたの」
「これで良ければ君達に授けよう。もはや領主も亡くなり、兵としての任も無くなった私には無用のものだ」
悪魔は宗一郎にレリーフを渡した。
「貰うのは願ってもないが、お主はこれからどうするのだ」
「さてな。このような姿になった以上、人里に出るのは叶うまいよ。何処か人の手が入らないような山奥にでも行くか、あるいはこの城の者たちを弔う為に留まるか、考えあぐねている所だ」
「俺たちの仲間になるつもりはないか」
その言葉を聞いて、一瞬ルードは目を丸くした。
何秒かの沈黙があった後、彼はまたも大きく笑い出した。
今度は腹を手で押さえながら。
「一度会っただけの者を勧誘するとは、随分と変わっているな。それもこんな姿の者を」
「姿形は関係あるまいよ。その者がどういう人物であるかだけが、俺の評価基準だ。そしてお主は誠実な人物だと俺は見た」
「それに、リザードマンみたいな亜人とかいくらでも居るじゃない。馬頭の亜人、そう言ってごまかせないかしら?」
「その様に見てもらえたのなら嬉しい事だが、やはり悪魔が居るというのは悪目立ちが過ぎるだろう。エルフの君、万一誤魔化しが通ったとしても、僧侶たちは悪魔の気配には鋭い。問答無用で討伐されかねないし、君達に迷惑をかける訳にはいかないからな」
「そうか、残念だ」
「サムライ、其方と勝負するのも一興かとは思うが、君達はドラゴンを倒すという使命を帯びているのだろう。邪魔をするのも気が引けるのでな」
めちゃくちゃ気遣いが出来る良い人じゃない。
悪魔になってなければ本当に仲間になってほしかったな……。
「私はこれで退散するとしよう。君達の行く末に幸あらんことを」
そう言って、ルードはいずこへと消えていった。
悪魔へと化した人間が人としての意識を取り戻すなんて、ある事なのね。
それにしても、どうやってこれから暮らしていくのだろう。
わたしが心配しても詮無い事ではあるんだけども。
悪魔であったままの方がもしかしたら幸せなのかもしれない?
いや、それは幸せであるはずがない。
でも悪魔に変容させられてから人としての自我を取り戻しても、その先には何があるのだろうか。
全くわたしにはわからない。
「あの騎士も、可哀想ではあるな」
「そうね。せめて何処か、ひっそりと安心して暮らせるような場所でもあればいいんだけど」
「如何に彼は人だと言っても、大半の人は見た目で判断してしまう故にな」
悲しい事だけどもね。
それもこれも全部パズズが悪い。
あいつを完全に消滅させてやりたい気分になった。
結局さっき倒したのだって、精神体やら分体みたいなものだから、冥府にいる本体を叩かないと意味がないわけで。
冥府に乗り込んで倒してやりたくなってきた。
「それにしても、やっと体を洗えるわ。本当に辛かった」
わたしは泉に両手を居れ、水をすくって顔を洗った。
汗が流されて気持ちが悪いのが幾分か緩和する。
「じゃあここで一泊するか。まず飯と体を洗う。どっちにする」
「当然決まってるわよ」
体を洗う、それ一択だ。
ご飯はその後ね。
「じゃあ、早速仕切りを作らないと。男と女が一緒になって体を洗うわけにはいかないからね」
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