第六十九話:応酬

 そう、これで貸し借りは無しだ。

 先日の戦いでは一度情けを掛けられた。

 殺したくないと言われ、刀でなく拳で腹を殴られた。

 いわばこれは意趣返しとも言える。

 師匠、結城貞綱ゆうきさだつなは敵に対して一切容赦がない人だった。

 俺の記憶の中にある限りでは。

 

 記憶を失い、人格が変わっているのは頭で理解していても、屈辱に等しい心遣いだった。

 侍ならば戦って死ね。敵に情けを掛けられてまで生き延びるな。

 貴方はそのようにも言っていたはずなのに。


「カナン大僧正は師匠には渡しません。儀式が終わった後でも、大僧正には日々の務めがあります。イアルダト教の教えを民衆に広め、その奇蹟を体現するという役目は彼以外には成し得ない」

「そのような邪教など、信仰に値せぬと言ったはずだ!」

「何を信じるかは人の自由です。俺が多少なりとも信仰している仏陀教とて、今の貴方は邪教といってはばからぬのでしょう」

「神は常に一つ。我らが神のみ。他に存在する神はおらん!」


 常に中庸であれ、偏ってはならぬ。

 偏り、行き過ぎた者の価値観は極端に走る。

 それでは物事の真実は見抜けない。


 これもまた師匠からの教えであった。

 どれだけ師匠からの影響を受けているのか。

 俺の価値観に影響を与えているのは勿論、師匠だけではない。

 だが間違いなく大部分ではその教えが大きい。

 師匠が俺の傅役もりやくも兼ねていたからというのもあるだろう。

 長い時を一緒に過ごして来たのだから。


 一方に偏り、それが正しいと盲目的になってしまっては矯正など不可能に近い。

 俺が見て来た狂信者たちはまさにその一例だ。

 目の前にも一人、狂信者が居るが。


「師匠。随分と肩が力んでいるように見受けられます。それでは余計な力がこもりますよ」

「力んでなどはおらぬ。実際、そなたのおかげで血が上っていた頭もだいぶ冷やす事が出来た。それがしを先ほど斬らなかったのを後悔させてやる」


 確かに獣のような笑みは消えうせ、先日の柔和な仏のような顔立ちの師匠が戻ってきている。

 元より、あの状態の師匠を倒しても何も面白くはない。


「俺は今日、貴方を超えてみせる」

「できるものならな」


 師匠は大きく呼気を吐いた。

 それは体内にあり、留まっている霊気なる物を循環させる呼吸法。

 三船流の神髄は呼吸法。肺腑へ息を送るのみならず、霊気を操る術にあり。

 心止観しんしかんによる目の強化によって、細かにその呼吸法を視る。


 そして真似る。

 

 学ぶとはまねぶ所からある。

 何かを習得する為にはどうすればいいか。

 教えてもらうだけではない。

 誰かが何かをやっている所をそっくり真似るのだ。

 最初は意味がわからずとも良い。

 門前の小僧とて繰り返される僧侶の読経を聞いているうちに、いつのまにか自然と口にするようになる。

 まずはそこからだ。

 真似し、形を得た後に中身を知るのだ。


 息を吸う。

 息を吐く。

 息を大きく、深く、腹の底まで入れる。

 そして留める。

 何秒か留めた後に、静かに口から吐いていく。

 繰り返していく。

 体中の霊気が丹田からの流れに沿って巡って来るのが分かる。

 そうだ、これこそが基本の呼吸法。


瑜伽ゆがの呼吸」


 改めて行ってみれば、今まで俺がやっていた霊気を呼び起こす呼吸法は不完全だった。

 呼吸法は一朝一夕で身に付くものではない。

 常にその呼吸をし続け、体に染みつかせねばならない。

 俺はまだ忘れていたのだ。

 師匠は思えば、これを常に続けていた。

 昂っていた精神を抑え、心を鎮めていく。

 心止観しんしかんを使えるだけの冷静さは戻っていたものの、更に脳が冷えていく感覚を覚える。

 視界は開けているが、しかし目の前の敵に視点を集中していく。

 感覚が研ぎ澄まされていく。

 これが師匠が至っていた境地のひとつか。

 これならばわかる気がする。

 何故俺が立ち合いの度に今まで転がされ、いくら打ち込んでも受け流されてきたのか。


「どうやら、我が領域にまで足を踏み入れたか」

「貴方と再会しなければ成し得なかった。こればかりは神とやらに感謝しますよ、いればね」


 俺は更に強くなっている。

 何事にも飛躍のきっかけはある。

 それに気づけるか、そうでないかで明暗が分かれる。


 師匠の体から霊気のもやが立ち上るのが見えた。

 更に呼吸をゆっくり、遅く、深くしていく。

 瑜伽ゆがの呼吸よりも更に、更に。

 腹の底の底まで息を浸透し、体の隅々にまで呼気がいきわたるように。


「霊気錬成の型・刹那」


 そう、それだ。

 先日はその次に繰り出してくる技にやられていた。

 つまり――


「奥義・無明」


 技名を口にした瞬間から、師匠は居合の構えから俺に向かって踏み込んでいた。

 駆け抜け様に抜刀。

 刃が閃き、俺の胴体を狙っている。

 俺から見て右からの逆袈裟斬り。

 心止観しんしかんで目を強化し、水の心を得てもなお、その抜刀速度は吹き抜ける風そのものであった。

 すり抜け様にこれで幾人もの相手が斬られていったのであろう。

 俺も含めて。


 かろうじて、刀を叩きつけるように振り下ろしてその勢いを殺す。

 火花が宙に散った。


「ちいっ」


 恐るべき剣の、その体さばきの速さ。

 前回に体で受けていたおかげで、対処も出来た。

 まだ師匠はこちらに振り向いていない。

 納刀している所だった。


「もらった!」


 無防備な背中を狙い、野太刀を振り上げた瞬間。

 背筋にぞくりと寒気が走った。

 直感が告げている。

 間違いなく師匠は何かを仕掛けようとしている。

 無明は撒餌まきえだったのだ。

 今まさに刀は振り下ろされようとしており、今更その勢いを止めるわけにはいかなかった。


「それは読めている!」


 振り下ろした刀を背中を向けた状態から、体を捻って皮一枚で躱している。

 その代りに来ていた着物が刀に引っかかって破れ、師匠の上半身が露わになる。

 獄炎による火傷の痕が痛々しい。

 師匠は俺が何処を攻撃するかまでを眼で見る事もなく、気配だけで察知している。

 改めて俺は舌を巻いた。いや巻いている場合ではない。

 体を捻りながら、そのまま此方に体を向けている。

 既に刀を抜いており、刃の煌めきが既に見えている。


 俺は腕に力を込める。

 筋肉が瞬間的に盛り上がり、血管が浮かび上がる。

 筋肉が引き攣り痛むが、ここで止められなければ待っているのは死、あるのみ。


「があっ」


 持っている腕力を総動員し、足腰にも踏ん張りを効かせて腹筋にも力を込める。

 

 びたり、と刀は止まった。

 間に合った。

 逆袈裟に斬り上げて来た刀を上半身を反らして躱し、続けざまの斬り下ろしを野太刀で受ける形となる。

 意図せずに鍔迫り合いとなり、ぎりぎりと二人とも刃を合わせながら腕を震わせる。


「一度の死合いでここまで伸びるとは思わなんだ。やはり侍たるもの、一度は命を懸けて戦わねば相手の真価はわからぬという訳か」

「魔物との戦いも命を懸けて行っていました。しかし、人と人との刀による首の取り合いこそ、剣術に於ける醍醐味でありましょう。死線を超えなければわからぬものもあるのを、今更俺は知りました」


 知らず知らずのうちに俺の口角は上がっていた。

 師匠も同様で、口は弧を描いていた。


 命をぶつけ合うだけではない。

 己の持つ技の全てをさらけ出し、心理の読み合いもある。

 同時に、弟子として師匠に迫る勢いにまで成長出来た自分に驚きつつ、師匠を超えるのが現実的に感じられたのは素直に嬉しさがあった。

 

 本質的に、侍とは闘争の本能がある集団である。

 俺たちはその本能が極めて強い。

 戦いは歓びの一つだ。

 相手が強ければ強い程、実力的に拮抗していればしているほど、打ち倒した時の歓びは更に深くなる。

 俺はまだまだ強くなれる。


 何合も打ち合いを重ね、なおお互いに刀傷はない。

 しかし、確実に体力は消耗していた。

 まだ若い俺よりも、怪我からの病み上がりが遅かった師匠の方が息の上がり方が激しいように見える。

 先ほどに霊気錬成の型・刹那を使ったためか、その反動が今来ているようだ。

 刹那は瞬息しゅんそくよりも激しく消耗する。

 それで止めを刺せなかった以上、普通に戦いを続ければじり貧だろう。

 勝ち筋は俺にある。

 そう思ってもなお、油断はならない相手だというのは嫌と言うほどに体に染み付いているのだが。


 師匠は一合切り結んだあと、一足飛びに後方に下がった。

 そして居合の構えに入ろうとしている。

 居合の構えから間違いなく必殺の奥義が飛んで来る。


「させるかっ!」


 踏み込み、追いかけて居合はさせじと勢いに乗せて突きを繰り出す。

 師匠は腰を落として体を沈み込ませて躱し、既に刀を抜いている。

 まずは上段。


「色」


 素早い斬り払いは耳を掠る。

 既に抜刀し終わった刀は納刀している。

 相変わらず、速い。


「即」


 そして中段の居合抜き。

 刀でかろうじて受ける。

 より大きな火花が散り、地面に落ちる。


「是」


 今度は下段の払い斬り。

 足下の草を刈り取るように体をも回転させながら、勢いで巻き込もうとしてくる。

 跳躍して躱した瞬間、しまったと思った。

 三つ目の攻撃で終わりでないとすれば――


「空」


 今度は大上段からの、一直線の脳天唐竹割り。


 色即是空。


 それが奥義の名か。

 三連撃と思わせてからの、四つ目の最後の攻撃が本命か!


「これが躱せるものか!」


 躱せるものか、ではない。

 受けきって見せるのが侍と言うものだろう。

 諦めて死を受け入れるのは、侍ではない!


「がああっ!」


 渾身の力で振り下ろされた一撃を、野太刀で受ける。

 地に足がついていない俺は受けた野太刀を押されていくが、刀の反りの部分を鎧の左肩に当て、無理やり抑えていく。

 師匠の刀の勢いは衰えない。地面まで叩きつけていくつもりだ。

 跳躍していた足はいつの間にか地面に着き、土に埋まり始めている。

 

「かああああっ」

「ぬううううっ」


 ぶつかり合った野太刀は刃こぼれもしない。

 いつも思うことながら、不思議な刀だ。

 一度も折れた事なく、刃が欠けた事もない。

 一体どのような鋼でこれは作られているのか。


「むうっ」


 足首まで土に埋もれながらも、ついに刀の勢いは止まる。

 しのぎ切った。


「……止まりましたね。これで奥義は打ち止めですか」


 しかし師匠は、一足飛びに背後に下がりながらも不気味に笑っていた。

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