第六十七話:師弟対決、再び

 瞬く間に宰相たちを斬り捨て、俺たちの前に姿を現した結城貞綱ゆうきさだつな

 先日の戦いでは、鬼に変じた俺に対して化け物を狩る為の奥義を一つ披露した。

 阿頼耶あらやなる技がそれだ。

 阿頼耶はただ刀を相手に振るうだけの、極めて単純な技だ。

 単純極まりない技が何故、奥義となるのか。

 それはひとえに、どんな敵であろうとも刀を抜いた瞬間すらわからずに斬られているからだ。

 

 神速の抜刀術。


 鬼状態の俺ですらも、阿頼耶を完全に見切る事はかなわず、まともに受けてしまった。

 死ななかったのはただ運が良かったに過ぎない。

 師匠も実戦で阿頼耶を使用したのは初めてであり、鬼の肉体の強靭さを見誤ってくれていた。だから深手には至らなかった。


 しかし今回は違う。

 

 想定を人間ではなく化け物、即ち鬼と戦う事を始めから考えて準備をしたはず。

 となれば、披露していない奥義とて何度か練習するなりはしているだろう。

 先日のような幸運は、極めて稀だ。

 それに今回はもう一つ、難しい制限がある。


 師匠を殺さずに倒す。


 マルクと約束したのだ。

 これ以上、あの少年を孤独にさせるわけには行かない。

 ザフィードなる集団にどのような問題があったのかは俺は知らない。

 ただ、そこだけが彼の拠り所だった。

 信者や家族全てを失い、さらに自分の尊敬していた教祖までも失うのは辛かろう。

 

 今回鬼に変じれば、間違いなく俺は師匠を殺めてしまう。

 内なる鬼神の破壊衝動は、未熟な俺には抑えきれるものではない。

 追儺ついなの数珠とて、いつまで鬼神の存在を封じていられるかもわからないのだ。

 だからこそ、俺は人の身のまま師匠と刀を交える。


 数百人を相手に大立ち回りを演じたものの、体は幸いにもまだ動いてくれる。

 手傷はおったものの、それはカナン大僧正の中回復ミディアムヒールで治療できるほどのものだった。

 とはいえ、カナン大僧正にはあまり奇蹟を使って欲しくはない。

 これから蘇生の儀式が控えている。

 俺に魔素マナを使いすぎて蘇生リザレクションが使えなくなったら本末転倒だ。

 蘇生は魔素を多大に消費する。

 あと数回でも何らかの奇蹟を使ってしまえば今日中の儀式は不可能になるだろう。

 

 つまり、回復をあてに戦う事は出来ない。

 もっとも、そんなものをあてにしながら戦っていれば後れを取ってしまう。

 元より侍の戦いはどちらかが死ぬまでは終わらない。

 大人数が絡み合う乱戦の末、地面に組み伏せられて首を取られるか。

 あるいは一対一での果たし合いの中、胴を斬られるか。

 俺たちの命は、実に軽いものだ。

 もっとも、命を捨ててこそ戦というものは活路を見いだせる時もある。

 及び腰になっていては何事も成せぬ。


 王城はどこも大分騒がしくなっている。

 シュラヴィク教徒の侵入者たちとイアルダト教徒の兵士と魔術師が戦っているのだ。

 もはや扇動した宰相はとっくに死んでいるのだが、誰もその事実を未だ知らない。

 時折、爆発音や叫び声が聞こえてくる。

 守る兵士たちはそちらに掛かり切りで、こちらへの増援はあまり期待できそうにはない。


 中庭に入り込んできた師匠は、居合の構えから動かない。

 周囲を良く観察している。

 どう来るのか。

 睨み合っているうちに、王の近衛兵の一人が声を上げた。


「異国のサムライの風体……。お前、ザフィードなる集団の教祖、ユウキサダツナか!」


 その声で、近衛兵たちはにわかに浮き足立つ。


「おめおめとよくと城まで顔を出せたものだな。我が首都アグマティでも散々暴れまわっておったくせに」

「暴れまわったのではない。降りかかる火の粉を払っただけだ」

「何が降りかかる火の粉を払っただけ、だと! イアルダト教徒を殺し、街を荒らしまわって何がシュラヴィク教の布教だ!」

「意見の相違だ。そなたらイアルダト教徒は我らが信仰を馬鹿にするどころか、経典を破壊し、我らの信徒を迫害したではないか。ならば我らも戦わなければ一方的に死んでいくのみであろう」

「戯言を!」


 お互いの平行線を辿る言い合いが終わったかと思うと、一人の近衛兵が血気に逸って師匠へと向かっていく。


「よせ!」


 お主ではかなわない、と言いかけたところで既に終わっていた。

 師匠はいつの間にか刀を抜いていたかと思うと、その近衛兵は胴ごと真っ二つに斬られ、倒れ伏していた。

 その光景を見て、兵たちは息を呑む。

 しかしなおも怖れに飲まれぬようにか、隊長格の兵士が叫んだ。


「た、多数でかかれ! 囲んで叩けば如何に剣鬼と言えどもひとたまりもないはず!」

「馬鹿かお主らは!」


 たまらず叫ぶと、流石に兵士達も俺の方を見やって走りかけた足を止めた。


「この人は、師匠は、俺が先ほどやった事くらいは軽く出来る人なんだぞ。いくら多人数で掛かった所で無駄に屍を晒すだけだと何故わからない!」

「おや。それがしの事を師匠ではないと言ったはずなのに、そなたはまだ師匠と呼んでくれるのか。記憶を失い、知らぬ教えを信じている者を」

「ええ。あの時は認めたくなくてああ言いましたが、やはり貴方は俺の師匠なんです。どうしようもなく」


 あの時はあまりにも変わり果て、思わず拒絶してしまった。

 だからこそ呼び捨てにまでしたのだが、やはり自分の心には嘘は吐けない。

 師匠は、記憶を失ったとて師匠には変わりない。


「貴方には俺と一騎打ちしてもらう。近衛兵たちには悪いがな」

「しかし、このままでは途中で邪魔が入るとも限らんだろう。周りにこれだけ兵士がいるのではな」

「彼らにその様な矜持が無いとは思えません。仮にも王の側に仕える者です」

「そなたが仮に倒れたとして、某を無事に帰してくれる保証もないだろう?」


 それは、多分その通りだ。

 現に師匠を見る近衛兵たちの目は、一様に険しい。

 師匠がどのような事をこの国で行ってきたのかは知らぬが、彼らの目には憎しみすらこもっているように思える。

 俺が斬られたとして、そのまま帰すのは彼らの矜持が許さない。


「で、あれば、無事に帰れる保証を自分で作り出すしかないな」


 師匠は刀を抜き、近衛兵の中に突っ込んでいく。

 突風の如き走り様はまさに疾風はやてではないか。

 近衛兵たちの陣を一直線に駆け抜けていき、さらにジグザグに駆け抜けながら斬っていき、陣を滅茶苦茶に蹂躙していく。

 これは迅雷。それも俺よりも遥かに速度に勝っている。

 もとより数が七十人程度の兵の陣など、師匠にとっては赤子の手を捻るが如く容易い。

 技を使うまでもなく、一人一人と真正面から斬り合っても十分に全滅させられるはず。

 ではなぜ技を使った?

 それは師匠が技を終え、鞘に刀を納めた時に気づいた。


「死者が居ない?」


 誰もが何処かを斬られ、深手を負ってはいるものの、斬られて即死した者やもうじき死ぬような致命傷を負った者は居なかった。

 それも全員と言う訳でもなく、およそ半数の人数に絞られている。

 なぜこのような回りくどい事をしたのか。

 師匠は、包帯の下から笑みを浮かべている。


「斬られた連中はすぐには死なないが、治療をせねば直に死ぬぞ。どうする」

「く、くそっ!」

「城にはそれなりに僧侶が揃っているのだろう。連れていけ! そして寝台ベッドにでも寝かせておくのだな。言っておくが、回復してすぐに戻ってきても、某に斬られて今度こそ死ぬだけだ。そしてそなたらは死んだ後、神の救いの手から零れて地獄に落ちる」

「師匠の言う通りだ。怪我人を連れて行って、後は俺に任せてくれ」

「しかし、国の一大事に我らが出ずに隣国の、しかも冒険者に任せるなど……」


 近衛兵が逡巡しているその時、王が立ち上がった。

 王は今までに見た事がない程に背筋を伸ばし、真っすぐに立って城中に響くような声を張り上げた。


「ソウイチロウ殿の言う通り。実力差がありすぎる者と戦った所で、無駄死にするのみ。もとより、ソウイチロウ殿が勝てなければもはや我らの命運は尽きる。我らは託すしかないのだ」


 だから退け、と王が叫ぶのに合わせ、近衛兵たちは怪我人を抱えて下がった。


「無事に帰れる保証が出来た所で、宗一郎殿。一騎打ちと行こうか」

「師匠。貴方は何故、全員を斬らなかった。そうする事も出来たはずだ」


 そう言うと、師匠は鼻で笑った。

 そんな事もわからぬか、と言った風情だ。


「では教えてやろう。全員を斬るのは簡単だ。だがそれでは城の持つ資源リソースを消費させられんだろう」

「資源?」

「そうだ。この場合は僧侶たちの奇蹟の使用できる分量だ。魔素は個々人に差はあるが、一日に使える総量は決まっている。効果の高い奇蹟、魔術ほど魔素を消費するのはそなたも知っていよう」

「ええ。特に蘇生リザレクションのようなものはほぼ全ての魔素を使い切り、その日はもう他には何も使えなくなると」


 カナン大僧正だけは例外だがな。

 彼はまさに僧侶としては最高峰に位置しており、魔素の総容量もかなり大きいはず。

 多少奇蹟を使った所で蘇生が使えなくなる事はない。


「ここに居る僧侶どもは死者蘇生レイズ・デッドすら使えないのは調査済みだ。兵士たちを殺してしまえば、奇蹟を消費させられない。それでは城の戦力は削れぬ」


 師匠はそこまで考えていたのか。

 恐るべき戦術眼の持ち主。

 俺はただ、王と大僧正を守る事しか考えていなかった。


 俺は軍勢を率いて戦に出た事が無い。

 師匠は記憶がないとはいえ、かつては手勢を率いて大軍を相手に策を弄し、幾度となく戦ってきた。記憶をなくした後も、流れ着いた所でやはり軍を組織し、戦っている。

 経験の差は歴然としていた。


「貴方は一人で城すべての戦力と戦っているおつもりか」

「此方は某一人しかおらんのだ。当然だろう。だが裏切者たる宰相がシュラヴィク教徒を扇動してくれたおかげで、城の戦力が更に削れているのは僥倖よ。本来であれば魔術師どもの横やりも想定せねばならぬのだからな」


 もっとも偶然がなくとも、一人でも負けるなど毛頭思っておらんがな、と師匠は言いのける。

 師匠ならば不可能ではないかもしれない。

 三船の血筋に無い者であるにも関わらず、師匠は軍の一部隊長として戦っていたのだから。

 俺は果たして、一人でこの城の戦力と相対し勝つ事が出来るか。

 やってみなければわからないのが正直なところだ。

 正攻法では確実に無理だろう。

 やあやあ我こそは、と言って無闇に突っ込む猪武者戦法では、先ほどのように数百人くらいは斬り捨てられてもいずれは追い詰められるのがオチだ。

 それこそ待ち伏せや奇襲、攪乱でもして長期戦でじわじわと戦力を削り取るような戦い方をしなければ勝ち筋はあるまい。


「もっとも、某の見立てではこの城に目を見張るような強者は戦士、僧侶、魔術師のどれを見ても居らん。宗一郎殿、そなたくらいのものだ」

「……褒めてくれているのですか。貴方には先日もやられたというのに」


 記憶にある師匠は剣の事に関しては、俺を褒めてくれた事などついぞ無かった。

 逆にそれがなにか、薄気味悪い。


「心からの本音だ。何かおかしいか」

「い、いえ」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、という言葉もある。そなたは七日前とは異なり少しは強くなっているはずだろう。それでも某は負けるつもりはないがな」


 俺は刀を正眼に構え、師匠は再び居合の構えを取った。

 マディフ王と大僧正は、固唾を飲んで見守っている。


 どちらが先に動くか。

 どこから切っ掛けをつかむか。

 戦いが始まるというのに、未だ心は浮き足立っている。


 師匠は薄く笑みを作った。


「まだ浮ついておるのか。それでは某には一生かなわぬぞ!」

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