第六十五話:蘇生の儀式

 俺とカナン大僧正はそれぞれ別れる事となり、俺は宿に戻る。

 戻るや否や、早速寂しがっていたマルクが俺が帰って来たのを見ると体当たりするかのように飛びついてきた。

 一緒に主人も出迎えてくる。


「兄ちゃん、お帰り」

「ああ、ただいま」

「お帰りなさいませ、ミフネ様。そろそろ夕食の時間ですが、いかがします?」

「部屋まで持ってきてくれ」


  今回取った宿の代金は後にシルベリア王国が立て替えてくれるというので、折角だから一番高い部屋にした。

 さすがに冒険者用の宿なのでサルヴィの「イブン・サフィール」ほど豪勢な部屋は望めないが、それでもゆっくりと体を休めるには十分だった。

 広いし、備え付けの机や長椅子ソファ、ベッドも十分大きく、窓から外を眺める事も出来る。

 何より、俺好みだったのは部屋に浴室が備えてある所だ。

 たいてい冒険者の宿に風呂は無いのが当たり前だ。

 こちらの文化では湯船につかるという風習があまり無いらしく、湯をかけ流しして体に付いた汚れや砂を落とせば事足りるという意識なのだろう。

 流石に「イブン・サフィール」のような高級宿であれば風呂は当たり前のように備え付けてあるが、そもそもがまず湯を体を洗う為に使うのは贅沢な行為だというのを忘れてはならない。

 しかし、俺にとって風呂に入るというのは体の汚れを落とすだけではなく、肉体や精神の疲れを癒すという目的がある。

 特に大きな仕事をする前には万全の体制を整えておきたい。

 なんせ明日は蘇生の儀式が執り行われるのだから。


 部屋の中に入ってしばらくゆっくりと長椅子ソファに寝転がっていると、割とすぐに主人が料理を持ち込んできた。

 ひき肉に香辛料と野菜を混ぜて焼いたもの、季節の野菜を蒸し焼きにしたものに、酸味の効いた汁を掛けた羊肉の煮込み、茄子と豆の汁物スープ、そして単純ながら香ばしい匂いで鼻腔をくすぐる焼きたての麺麭パン

 冒険者の宿にしてはかなり手が込んでいる。

 

「随分と豪勢な料理じゃないか」

「実は私が作ったものでして」

「主人が?」

「ええ。以前私は料理人をやっておりまして、その経験から自分で料理を出すようにしています。宿泊者からの評判も良いんですよ」


 そんな料理を初めて見たマルクは、既にもうがっついて食べている。

 

「おいおい、料理は逃げないんだから落ち着いて食べなよ。頬一杯に詰め込むなって」

「むぐむぐぐっ!」


 凄まじい表情で俺を見たかと思えば、テーブルのあちこちを見てようやく水の入った杯を掴み、ぐっと飲み干す。

 喉に詰まらせるほど美味いか。

 弟二人が小さな頃、狩りをして得た猪を焼いて食べた時の事ををふと思い出す。

 あの時は次男ががっついて喉に肉を詰まらせて危うく死ぬ所だっただろうか。

 懐かしいな……。


 食事を済ませた後、二人で風呂に浸かる。


「うおお、なんだこれ!」


 と言ってマルクはいきなり浴槽に飛び込もうとする。

 

「待て待て。最初は湯で身体を流してから入るんだ」


 俺はマルクの首根っこを掴んで一緒に湯で身体を流し、その後に浴槽に入る。

 はじめての風呂だが、マルクはお湯をばちゃばちゃやりながら気持ちよさそうだ。

 まるで弟がまた出来たみたいな感じで微笑ましい。

 

 風呂の湯をどうやって作っているかというと、火の魔術を込めた石で水を温めているらしい。薪を使うよりも値段は高くなるが効率的で、こぶし大の大きさで一週間は温め続けられるようだ。

 なんとも素晴らしい人類の英知じゃないか。

 俺の故郷では魔術という知識の体系は無かったので、薪を使うしかなかった。

 まったく素晴らしい。


「なあ、兄ちゃん」

「なんだ」


 マルクが唐突に手拭いで風船を作って遊ぶのを止め、俺の方を見た。


「明日、なにかあるの?」

「何かってそりゃ、王妃様を生き返らせるのさ」

「兄ちゃんも行くの?」

「行かなきゃいかんのさ。マルクはシュラヴィク教徒だろう? なら、シュラヴィク教徒の人が蘇生についてどう思っているかくらいはわかるよな」

「……うん」

「もしかしたら儀式を邪魔しに来る人たちもいるかもしれない。だから俺は、王様や王妃様、カナン大僧正を守らなきゃいけない。それが今回の俺の仕事だからな」

「わかるよ。わかるけども。でもきっと、おらの教祖さまがやって来る。教祖さまは言った事は絶対に守るから」


 知っている。

 かつての師匠であれば、有言実行は彼の行動原理の一つだった。

 言った事は何であれ、必ず守る。

 たとえそれが、どのような無理であり、無茶な事であろうとも。


「おらは教祖さまにも兄ちゃんにも戦ってほしくない」

「マルク。お主の思いはよくわかる。俺とて師匠と刃を交えたくは無かった。だがお互いに立場があり、譲れないものがあるんだ。どうしても戦わなくちゃいけない時もある」

「せめて死なないで。できれば教祖さまも殺してほしくない」


 随分と無茶な注文を付けられたものだ。

 師匠を殺さずに倒せとは。

 しかし、マルクは泣きそうな顔をしていた。

 これ以上誰も失いたくないという気持ちは痛いほどにわかる。

 俺は自分の手のひらを見つめ、握り込んだ。


「ああ。必ず生きて帰る。師匠も殺さない。約束だ」


 俺はマルクの頭を撫で、固く約束を誓った。


 

 

 翌日。

 宿にマルクを残し、俺は城へと赴いた。

 約束された時刻よりは早く辿り着いたつもりだったが、既に城は王国兵や親衛隊がそこかしこに詰めて警戒に当たっている。

 

「ようこそいらっしゃいました。王はこちらにて儀式の準備を進めております」


 城の内部に通され、そこから城の中庭にまで案内された。

 中庭の周囲には兵士達がやはり警戒に当たっており、王がこの儀式にどれほど心血を注いでいるのかがよくわかる。

 俺とて、大事な人を待たせすぎてしまっている。

 まして邪魔が入ろうとしているのであれば、儀式を滞りなく行う為にも厳重な警戒を施すに越したことはない。

 

「おお。ミフネ殿。時間にはまだ早いというのによくぞ来てくれた」

「はっ。こちらが王妃様ですか」


 中庭の中央で、すでに儀式を執り行う為の準備は進められている。

 王妃の遺体は柔らかな布団で出来た寝台ベッドに寝かされている。

 周囲には花が大量に飾られている。

 もちろん肉体が腐らないように冷気の魔術が施されていた。

 まるで眠っているかのような表情だ。

 確かに美しいが、まだあどけなさを残した顔立ち。

 マルクと同じか、それよりもう少し上の年齢にしか見えない。

 この子を何故王妃にしようと思ったのだろう。


「王妃は我が希望。この国の未来。何としても蘇らせねば」


 王の言葉が何を意味しているのか、考えるのは止そう。

 俺はただ仕事をするだけだ。

 王と王妃、大僧正を無事に守り通す。


 シルベリア王はだいぶ大仰な準備を進めているが、実の所蘇生の儀式は術者と蘇生対象さえ居ればいいのだ。

 成功率を上げる為に様々な供え物が必要ではあるが。

 その為に王は王妃の遺体の前に作った祭壇には、様々な「聖遺物」と呼ばれる物を供えている。

 中でも「預言者の左手」なるものは異彩を放っている。

 一見すればただの干乾びた木乃伊ミイラの手にしか思えないのだが、なんでもイアルダト教における教祖に当たる存在の「預言者」なる者の遺体の一部なのだとか。

 「預言者」の一部ともなれば、さぞ特別な祝福の力が宿されているのだろう。

 その祝福の力を持って、蘇生の成功率を上げようとしている。

 

 だが王妃は若い。


 まだ生命力にあふれ、魂も疲弊し色褪せてはいないはずだ。

 そこまでする必要は無いのでは、と思うかもしれないが、蘇生は確実なものではない。

 どんなに念入りに準備したとしても、蘇生が叶わない時もある。

 仕事柄、何度かその場面に遭遇した事もある。

 その時の生き残った仲間たちの顔を見るのは他人ながら辛いものがあった。

 苦労して遺体を持ち帰って、金を払って祈りを捧げても結局は生き返らず、死者は灰になり土に埋葬される。


 この時ほど、この世の無常を感じた事は無い。


 いくら人が足掻いたとて、神の指先ひとつで運命は決まる。

 それは神の気まぐれで命を動かしているように思えてならない。

 運命とは神に決められるものではない。

 人々の努力や信念によって、いくらでも変えられるはずのものだ。

 だからこそ俺は仏陀教を熱心ではないとはいえ、信じてもいる。

 俺たちは努力し続ければいずれは六道輪廻の世界より解脱し、苦に満ちた世界から離れより高次の存在となれるはずだ。


 全てを悟った覚者かくじゃとなる。

 

 未だその道は遠く、何時になれば至れるのかわからない。

 しかし俺は諦めるつもりは無い。

 自らに宿る鬼神を祓い、二人で生きていくのだ。


「ぼんやりとして、どうかしたのですか」


 意識が中空から戻ったのは、カナン大僧正に声を掛けられてだった。


「はっ。少し考え事をしていました」

「ミフネ殿には苦労を掛けました。本来であればもうこちらの用事は終えて、貴方の仲間を蘇らせているはずなのに」


 苦笑する大僧正。

 全くその通りだ。本当なら俺の仲間たるノエルは既に蘇っているはずだ。

 だが思った通りに物事が進むのであれば、誰も人生苦労はしない。


「過ぎた事は仕方ないです。今はただ、王妃を無事に蘇らせる事のみを考えましょう」

「全くその通りですね。さて、そろそろ儀式を執り行います。ミフネ殿は我らの近くで守っていてください。貴方は我らの切り札なのですから」


 切り札か。

 俺が王側の切り札であるとすれば、あちら側の切り札は師匠か。


 配置に付く。

 カナン大僧正に指定された場所は、儀式を執り行う二人と一人の遺体の前であり、刀は抜刀した状態で良いという。

 威圧的だが、そうでなければ侵入者などと咄嗟に戦う事は出来まい。

 今まで見て来た蘇生の儀の中では、これほど物々しい雰囲気で執り行われるものは無い。

 既に王は祭壇の前にひざまずき、両手を合わせて祈りの形にして何度も何度も経を唱えている。

 カナン大僧正が遺体の寝かされている寝台ベッドの隣に立ち、蘇生リザレクションの詠唱を始めようとした、その時。


「ぐはっ」


 中庭の出入り口を警備している一人の衛兵が、血を吐いて倒れ伏した。

 胸からは血に濡れた刃が貫かれている。

 背後から襲撃したのは、同じ近衛兵の格好をしている者だ。


「なんだ!?」


 近衛兵が倒れ、誰かが叫び声を上げたのを皮切りに、次々と近衛兵同士が戦いを始める。

 一方は殺意に満ちた目で、もう片方は戸惑ったままその刃を受けている。

 

「なぜ近衛兵同士が戦っている!?」


 乱戦模様となった中庭では、もう儀式どころではない。

 まだ奇蹟の詠唱を始める前で良かった。

 蘇生の儀式は一度はじめてしまえば、中断するわけにはいかない。

 祈りを途中で止めてしまえば、神に哀れな子羊の願いはもう届かないのだから。


 それにしても、一体なにがどうなって同士討ちなど始めているのだ?

 

「む」


 素早く周囲を見回し観察していると、襲っている方には一つ気になる所があった。

 彼らは耳たぶに三日月を模った耳飾りを施している。

 襲われている方にはそれが無く、その代りに太陽を模った意匠の首飾りを着けている。

 もしや、つけている飾り物で信仰している教えが違う事を表しているのか。


「イアルダト教など信じる異端どもめ! 地獄に落ちろ!」


 三日月の耳飾りをした一人の近衛兵が王に襲い掛かろうとしているのを、俺は見逃さなかった。

 すぐさま打刀で首を刎ねる。

 そして飛ばした首を掴み、俺は高く掲げて叫ぶ。


「見よ、この者が付けている耳飾りを! これを付けている者たちが王に楯突く不届き者の姿だ!」


 言われ、王を守るイアルダト教の近衛兵たちの困惑がようやく解き放たれる。

 彼らにとっての異教徒たるシュラヴィク教の近衛兵たちに牙を剥いて襲い掛かる。


「誰が異端だ! 貴様らこそ王国の国教たるイアルダト教を棄てるなど言語道断なり!」


 勢いを取り戻した彼らはすぐさま押し返し、体勢は互角まで盛り返したかのように思われた。

 だが今度は、外から複数の叫び声が上がっている。


「し、侵入者! ぐえっ」


 かろうじて報告を上げた兵士も槍の一撃で倒れる。

 侵入者は兵士の格好ではなく、黒装束に身を包んでいる。

 その装いは暗殺者という印象を受けるが、しっかりと鎧や籠手なども付けている。

 むしろ正体をばらさない為の隠蔽と言うべきか。

 おそらく王国兵の中にもシュラヴィク教の信者が多数いたのだろう。


 すっかり中庭は侵入者とシュラヴィク教の近衛兵で囲まれてしまった。

 随分と手際が良いじゃないか。

 むしろ良すぎる。

 蘇生の儀式の日取りは急に決まったと言ってもいい。

 それなのに用意周到に襲撃の準備は進められていた。

 いつカナン大僧正が戻ってきても良い様に事前に根回しをしていたようにしか思えない。


 イアルダト教徒の近衛兵たちは王の周りに集まり、守りの陣形を作る。

 俺は陣形の外側に立って、睨みを利かせる。

 どのみち集団の中に紛れていたら自由に動けない。


「随分と無様な姿だな、マディフ王」


 その時、高笑いしながら現れた一つの影があった。


「宰相、何のつもりだこれは!」


 王が叫びをあげると、宰相と呼ばれた男は逆に睨み返す。


「神の意思に背いて死者を蘇生させようなどと言う愚行は許せませんな。今すぐに儀式を止めてください。そのまま続けるのであれば、王も大僧正も亡き者とさせてもらう」


 それが神の意思だ、と宰相は言った。

 マディフ王はそれに対し、鼻で笑ってみせる。


「見え透いた嘘を。どうせ貴様の背後には他にも我らに反旗を翻そうとしている大臣どもが居るのであろう。素直に権力を握りたいと言った方がまだ可愛げがある」

「仰られている意味がよくわかりませんな。ともあれ、イアルダト教は最早古き教えです。これからはシュラヴィク教を国教とすべきなのですよ」


 すっとぼけた顔をしているが、どちらにせよ王を今こそ倒し自分たちが政権を握る腹積もりなのだろう。宗教はその口実でしかない。

 宰相の背後には幾人もの影が見える。

 含み笑いをして今にも権力を握らんとしたその顔は、一様に醜悪だ。

 

「逆賊どもめ。儀式は何があろうとも行う。例え貴様らに余が殺されてもな」

「ならば今日で貴方の命運は尽きる事となる。それもまた神の意思だ」

「さて、どうかな」


 俺が声を上げると、宰相たちは一斉にこちらを見た。


「たった一人の冒険者如きに何が出来る。例え剣鬼を倒したと言えども、これだけの人数を相手にした事などあるまい。数で圧し潰してくれるわ!」


 ものども、掛かれという号令と共に、一斉に敵は襲い掛かって来る。

 

 随分と俺もまた舐められたものだ。

 侍というものがどういう存在なのか、ここに居る全ての人間の脳裏に叩き込んでやらねばならない。

 

「久しぶりに、大人数相手の戦働きをさせてもらうとしよう!」

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