第六十四話:王都への帰還

 戦いで負った傷はカナン大僧正の大回復グレートヒールによってすっかり治った。

 しかし、いつ回復奇蹟を掛けてもらっても、治る際のかゆみだけはどうにも慣れないものだ。


 大僧正とマルクと共に洞窟を出た俺たちは、首都アグマティに戻る。

 子供と年を食っている大僧正の足では、あまり急いでもついてこれないのでゆっくりと帰らざるを得なかったが、幸いなことに野盗や魔物の類は出てこなかった。

 

「そういえば大僧正は無傷でしたね。手荒な扱いはされなかったのでしょうか」

「サダツナ殿は私の事を新たな教祖と定めていたようです。もっとも、私がイアルダト教を捨てる事はありえませんが、あそこではっきり断っていたら殺されていたでしょう。だから嘘を吐きました」


 やはり予想した通りだったか。

 イル=カザレムのイアルダト教大僧正はイアルダト教の最高責任者のようなものだ。

 その様な御方が自らの教義を変えるなど、まず有り得ない。

 師匠はそのような判断すら出来ぬ人だったであろうか。

 今考えると、海で溺れた影響と言うのは小さくなかったのかもしれない。

 記憶以外にも思考能力も衰えてしまったのか。

 あるいは、都合の良い考えしか信じないようになってしまったのか。

 師匠が退いた今となってはよくわからない。


 首都アグマティに一週間かけてようやく戻ってくると、街の出入り口を警備している兵士が俺たちの下へ向かってくる。


「カナン大僧正と、ミフネ殿ではありませんか? よくぞ御無事でお戻りになられました。我が王は首を長くしてお二人を心待ちにしております」

「王の御心労、お察し申し上げます。我が身を案じていただき、王に心配も掛けて申し訳なく存じ上げます」

「いえ、カナン大僧正を守り切れなかった我ら王国兵にも問題がありました。積もる話はさておき、ひとまず王へ報告をお願いします」

「わかりました」

「ところで、そちらの子供は如何なされました?」


 兵士が問うと、少しだけマルクが体をこわばらせる。

 兵士に対してはいい思い出が無いのだろう。

 質問に対してはカナン大僧正が答えた。


「うむ。この子は孤児でしてね。帰る道中で親が無惨にも魔物に殺されていた所を助けた訳です。可哀想だから我らで保護したのですが、何か問題でも?」

「その様な事でしたら何も問題はありません。しかし、どうするので?」

「それはこの子が何を望むかです。僧侶になるのであれば我らの寺院で保護する。それ以外の道を望むのであれば、しかるべき所に預ける。当たり前でしょう?」

「その通りですな。では、お入りください」


 兵士は重い鉄の門を開き、三人は街へ入った。


「うわぁ、流石に大きい街だなあ! おらはこんなに人がいるの、見た事ねえよ!」

「流石に首都だからな」


 マルクは目を輝かせながら、あちらこちらを首を振って見ている。

 初めてサルヴィに来た時は俺もこんな感じだったな。


 さて、首都アグマティはサルヴィほどではないが、間違いなく栄えている。

 大通りには様々な人びとが多く歩いており、立ち並ぶ商店からも活発な声が聞こえてくる。

 シルベリア王国は特産物である宝石類や貴金属の店が多く、それを目当てに商人や貴族が取引にやってくる。

 もちろん人が多いだけにいかがわしい連中も街には多く居る。

 スリや窃盗犯、強盗や物乞いと言った連中は言うに及ばず、さらには街中で人殺しが時折発生するというから驚きだ。

 治安は間違いなく悪い。

 イアルダト教とシュラヴィク教の教徒の対立もあり、小競り合いも頻発している。

 その雰囲気を感じてか、マルクは最初は目を輝かせながら街を眺めていたものの、次第に不安な顔色になっていた。

 

 王は早く街を安定化させるべきなのだが、老齢で衰えが目立ち、勢いがない。

 王妃が死んで統治どころではない心境で、大臣たちもそれを見越してか水面下で権力闘争を始めているようだ。

 王妃が蘇れば、王も心を安定させて本格的に政務に復帰できるだろうが、果たしてどうなる事やら。


 城には流石にマルクは連れていけないので、ひとまず宿に預ける事にする。


「おおい、宿の主人はおらぬか?」

「はいはい。おや、ミフネさんではありませんか。無事にお戻りになられたのですね」

「うむ。これから城に行くのだが、申し訳ないがこの子を少し見ていてもらえないか」

「お安い御用ですよ」

「マルク、済まないが大人しく待っていてくれ」

「うん。でも、早く戻ってきてね」

「わかっておる」


 不安なのだろう。中々俺の服から手を離さなかった。

 ようやく離れて主人に手を握られている時も、なんだか泣きそうな顔をしていた。


「あの子も可哀想ですね。異教を信仰する親の子として生まれ、何も知らぬままザフィードとやらの使い走りをさせられていたのでしょう。その挙げ句、親を失い教祖もいずこへと消えるとは」

「何とかして、独り立ちできるまでは面倒を見たいですね」

「そうですね。あの子が望めば、サルヴィの寺院で修行を積ませても良いのだが」


 マルクの事はひとまず後で考えるとして、今はシルベリア王に謁見しなければ。

 城に辿り着くと、すぐさま王が出迎えてくれた。

 王は興奮して椅子から立ち上がり、満面の笑みを浮かべていた。


「カナン大僧正、よくぞ生きて戻って参った。そしてミフネ殿。よく彼を無事で助け出してくれた。そなたには感謝してもしきれぬ。蘇生の儀式を今すぐにでも行いたいが、そなた達も辺境より戻って来たばかりで疲れたであろう。今日はゆっくり休み、明日に儀式を執り行いたいと思うがどうか?」

「その意見に賛成します。儀式に際しては打ち合わせも必要でしょう」

「では、城の部屋を二つ空けて二人にあてようと思うのだが」

「カナン大僧正は大事なお体なので、城でお休みされるのが良いと思います。俺は街の宿で十分ですよ。城では緊張して精神も体も休まりません」

 

 これは嘘だ。

 城の部屋は間違いなく宿よりも豪勢だろうが、今はマルクの側にいてやりたい。


「ううむ。しかしそなたはカナン大僧正を救った功労者であろう。それでは余の気持ちが収まらん」

「冒険者ですから、金か武具を頂ければ十分でございます」

「それならわかりやすいな。よかろう、儀式が終わり次第、たっぷりと金と武具をはずむとしよう。明日はミフネ殿も城へ来てもらえるか。儀式の最中に、邪魔が入らないとも限らん。もちろん我が配下の近衛兵なども配備するが、そなたのような手練れにも守ってもらえると有難い。何せ、あのザフィードなる教団の恐るべき剣鬼を退けたのだろう」


 その流れは当然だろう。

 何より、いずれカナン大僧正を取り戻すと師匠自身が宣言している。

 警戒するに越した事はない。


「はっ、かならずや王と王妃を守り抜いてみせましょう」

「心強い答えじゃ。頼りにしておるぞ。では大僧正。儀式の打ち合わせをもう少ししたいから、別室で詳細を話しあおう。ミフネ殿は、もう下がってよいぞ。ゆっくり休んで明日に備えてくれ」


 俺は頭を下げ、謁見の間を後にする。

 大臣どもは俺たちに対して冷ややかな目を向けていたが、あえて気づかない振りをする。

 どうもこいつら、きな臭い。

 

 明日は何かしらの波乱がある。

 それは俺の勘に過ぎないが、こういう時の俺の勘はよく当たるのだ。

 念入りに準備をして、備えをしなければな。

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