第三十話:古き王

 俺は泥のように眠った。

 あれほど深い眠りは迷宮内部では久しく無かった。

 昨日の戦いによって疲労と失血が激しく、寝転がってから何時寝たかすらよく覚えていなかった。

 しかし今日目覚めてみれば、失血と疲労で感じていた体の重さは嘘のように軽い。

 それどころか体中から力がみなぎってくるような感覚を覚えている。

 今ならどこまでも遠くへ走り、竜人の騎士が持っていた特大剣グレートソードすらも振り回せるような気がする。

 野太刀を握っても、今までよりも軽々と振れる。

 まさに竜の持つ力は摩訶不思議である。これを求めて竜を討伐しようとする人々が後を絶たない理由もよくわかる。


「やっぱり、竜人の牙でも凄い効果があるんですね」


 アーダルもその効果を実感しているようで、自分の体の動きを確かめている。

 寝起きだと言うのにすぐさま飛び上がったり、側転したりと身軽な猿の如き動きをする。

 自分だけが牙を飲むのはいくら大怪我をしていたとはいえ憚られた。

 アーダルにも疲労は積み重なっていたので、竜人の子の牙をアーダルにも分けたのだ。牙はもう無いが、まだ角は道具袋の中に眠っている。

 装備と残っている手持ちの道具を確認し、朝食を取って準備を整えて俺たちは闘技場を後にした。


 闘技場から先の道にはもはや何も無い。

 魔物もなく、罠もなく、墓もない。

 ただただ道が続くのみである。

 その先には、俺たちが待ち望む魔法陣が姿を現した。

 魔法陣は通常、白い紋様で描かれており、魔法陣に付与された魔力でほのかに光を発しているのだが、今は紋様が黒く塗りつぶされて輝きを失っている。


「ようやくこれを使う場面が来たか」


 道具袋からエルフの紫水晶を取り出す。

 エルフの紫水晶は穏やかに明滅を繰り返していた。

 紫水晶を封印された魔法陣に向けると、俺の手から離れて浮遊し始めて、やがて魔法陣の上まで自ら辿り着く。

 魔法陣の上で紫水晶はゆっくりと回転し始めたかと思うと、やがて回転は激しさを増し、竜巻のように猛烈に回転数を上げていく。

 穏やかな光は激しい輝きに変わり、水晶の中から一本の光の柱が立つ。

 光の柱は魔法陣と天井を貫き、そのまま天地をも貫かんばかりに伸びていく。

 その時、エルフの首飾りの時以上に強烈な、甲高いガラスの割れるような音が鳴り響く。

 耳をつんざく音に思わず俺とアーダルは耳を塞いだ。


「ぐぅっ!」

「うわっ!」


 耳を抑えながら魔法陣の方を見ると、封印を施されていた魔法陣は穏やかな白い光を取り戻していた。

 これで地下四階へ行けるようになる。

 紫水晶はどうなったかと言うと、魔法陣の横に転がっていた。

 穏やかな明滅は繰り返しており、内包されていた魔力はまだ残っているようだ。

 俺はこれを拾い上げ、アーダルに手渡す。


「これはお主が持っているんだ」

「何故です?」

「まだ魔力が残っている。敵に投げつければかなりの威力になるだろう」

「ミフネさんが持っててもいいんじゃ?」

「俺には刀がある。これだけで十分だ。お主は色々と持っていた方が良いだろう」


 少し唇を尖らせながらも、アーダルは背嚢に紫水晶をしまい込む。

 

「では踏み込むぞ。心構えは良いか?」

「……はい」


 俺とアーダルは魔法陣を踏み、地下四階へと転移する。



 地下四階。

 これまでは装飾など貴族の墓以外はほとんど無縁の、殺風景な通路と部屋ばかりであったが、王の眠る階層ともなるとさすがに今までとは様相が異なる。

 何らかの紋様が壁の至る所に描かれており、扉には金や他の希少金属、宝石類が散りばめられて装飾されていた名残がある。

 盗賊の迷宮というあだ名の通り、宝石や金の類は全て剥がされており、かつての荘厳な雰囲気は今や無い。

 魔法陣の部屋から出る為に扉まで近づき、扉に手を掛ける。

 鍵は掛かっていない。

 ず、ず、ず、という重い音と共に扉は開いた。

 

 通路も部屋と同様に、壁には紋様が描かれ、鮮やかな赤の鉱石を使ったと思われる床で彩られている。

 ここもやはり護衛の魔物はおらず、悪辣な罠も無い。

 音も無く静まり返っている。


「ここまで何もないとかえって不気味ですよね」

「気を抜くなよ。王はもっとも強いと守護者たちは口を揃えて言っていた」

「わかっています」


 アーダルは儀式剣の握りを強く固める。

 それでも震えは収まっていない。

 未知なる強大な敵に、冒険者歴わずか三か月の新米が挑むのだ。

 それも無理はない。


 俺がはじめて迷宮の深奥に居る、巨大な炎蛇と戦った時の事を思い出す。

 その時とて、仲間はもっと多く居た。

 念入りに準備をして、経験を積んでこれなら倒せるだろうと確信を得て炎蛇退治の依頼を受けたわけだが、それでも六人のうち三人を殺された。

 倒した直後は俺は刀を支えにしなければ歩けない状態で、何とか無事と言えるのは後ろに控えていた魔法使い二人くらいであった。

 彼らとて無事ではなく、内なる魔素マナをほぼ使い果たし、迷宮から帰還するために取っておいた呪文一つぶんしか魔素マナが残っていなかった。

 強大な魔物の討伐は、どれほど準備をして経験を積んだとて何が起きるかわからない。

 結局、その時は魔物を討伐した賞金よりも蘇生費用の方が掛かり、赤字になった。

 幸いな事に死んだ仲間三人は全て蘇生出来たが。

 彼らと組んだ日々が懐かしい。


 先へと進んでいくと、やがて絨毯と思われる残骸が廊下に敷かれている事に気づいた。

 鮮やかな赤と金で彩られていたそれは、もはやくすんで色褪せている。

 時の流れは残酷だ。


 朽ちた絨毯の道を更に歩くと、ようやく次の扉が見えた。

 扉の横には「王の寝所」という看板が掲げられている。


「行くぞ」

「……はい」


 俺は扉を勢いよく蹴りつける。

 衝撃で扉は思い切り開き、次いで俺は部屋の様子を伺いながら入る。

 その後に続くアーダル。


 刀を抜いて敵の襲来に備える。

 だがまだ王の寝所は未だ静寂を保っている。

 空間は広い。

 先ほど竜人の騎士と戦った闘技場と同じくらいの広さはある。

 部屋の中央に棺がある。

 おそらくそこに王は眠っているのだ。

 生きている時は悪名を轟かせた王。

 数百年の時を経て、今現在また蘇ろうとしている不死。

 過去が現在に追いつき、追いすがろうと腕を伸ばしている。

 

 棺に連なる道には朽ちた花の残骸と同じく朽ちた絨毯が転がっている。

 それ以外には何もない。

 王の墓と呼ぶにはあまりにも質素だ。

 愚なる王を慕う者はどれほどいたのであろうか。


 棺に近づこうと一歩を踏み出す。

 すると、ずる、ずる、という音が聞こえた。

 どこから聞こえる?

 さらにずる、ずる、と音が続く。

 部屋の中央、つまり棺の方から聞こえる音。

 近づいてみると、棺の蓋が開き始めている。

 そして唐突に、天井から何かが降って来た。

 それは棺の前にべちゃりと叩きつけられ、血と臓腑を辺りにぶちまける。


「あれは……」


 その死体には見覚えがあった。

 地下二階に俺たちに襲い掛かろうとして、落とし穴に落ちた冒険者だ。

 何故この時に、何故この男がどういう経路をたどってここに落ちて来たのか。

 よくよく棺の周辺を確認してみると、棺の周りには乾燥して風化しかけた骨が転がっている。

 更に棺の蓋が開く。

 半分ほど蓋が開いた所で、乾ききった手が姿を現した。

 それは手を死体に向けてかざすと、死体から青い火の玉のようなものが出現する。

 ゆらゆらと揺れながらゆっくりと乾いた手に吸い込まれ、消えた。


「もしかして魂を吸収した、のか」


 乾いた手に血の色が宿り、瑞々しさが幾分か蘇る。

 まだ生者と比較しては程遠いが、それでも木乃伊ミイラと比べれば段違いに生身には近づいている。

 棺から這い出てきて、俺たちの前にそれは立ちふさがる。


「……」

 

 金の冠を被り、右手には大曲剣を携えている。

 かつては柔らかく光沢があっただろうゆったりとした白き衣服も、時の流れによってやはり朽ちて汚れている。それでもまだ服としてわかるくらいには残っているが。

 鎧や篭手は付けておらず、手首に金で作られた腕輪と、首に赤い水晶を埋め込まれた首飾りを提げている。

 大曲剣は赤錆びた血の汚れにまみれており、怨嗟の如き禍々しさに満ちた力を感じる。

 数百、数千を殺した程度では済まないほどの怨みと憎しみを抱えたその剣は、なるほど持つ者を狂わせてしまってもおかしくはない。

 

「まだ足りぬ。まだまだ足らぬ。我が渇きを満たすにはもっと喰らわねば……」


 虚ろな眼窩をこちらに向ける、古き王。


「貴様らか。我が寝所をうろつきまわっている者どもは」

「おかげさまで、俺たちも余計な苦労をしている所だ。まさか過去の遺物が蘇ろうとしているとはな」

「余こそは現世を統べるにふさわしい王なり。愚かなる異国の者よ、今ならばその言葉を撤回しても許す」

「その言葉、真っ向から返させてもらう。過去から現在を支配しようとは、全くもって愚かなり! まして不死となってまで現世に留まろうとするその執着、見苦しきこと甚だしい! 故にお主を成敗する」


 野太刀の刃を古き王に向けると、王はからからと高笑いを上げる。


「なるほどなるほど。そうでなくては、これまでの守護者を倒しては来れまいよ。……そっちの盗賊はともかく、貴様の魂はさぞかし余の体を満たしてくれよう」


 そして王は高笑いを止め、剣の切っ先をこちらに向けて叫ぶ。


「余の命の糧となり、共に永遠を生きようぞ!」

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