スプーキー・スクープ
新森たらい
1.我が物顔の雑踏に紛れて
「今年はアレらしいね。ジャック・オー・リッパーが出るらしいね」
「何ですか?ランタンの話ですか?」
秋も深まってきた今日この頃、喫茶店で月刊誌内のエッセイの打ち合わせも終わりにさしかかり私は先生と談笑にふけっていたところだった。
「違うよ、快楽殺人の予告が出回っているらしいんだよ」
「初耳です。しかし、このご時世に犯行声明とかする酔狂な奴もいるんですね」
「ハロウィンの夜に駅前で仮装するだろ。あそこに出るらしい」
初老の男性がよくそんなことを知っているなと感心しつつ意外にも思う。この情報通で向かいの席で冷めた紅茶をちびちびと飲んでいるのが村上さんという方で、社会問題や政治をテーマに紙媒体以外に自身のホームページや、ネットコラムで活動をしているエッセイストである。
「仮にも雑誌の編集者なんだから君もトレンドはおさえておくべきだと思うよ」
「いやはや先生に言われるとは恐れ入ります」
私、柴本明は今はこうやって雑誌の編集をやっているが元々は政治部の記者や追っかけをしていた。が、花形とも言える部署からいろいろと変遷を経て現在に至る。
決して何かやらかしたとかではなく、普通の移動であり、妻子持ちの普通の夫である。なんだかんだ忙しなく働いていた若い頃に比べると幾分休みの取れる頻度も増えて、むしろ自分にはこちらの方が向いているとさえ思える。
とは言え、会社に泊まることも無いとは言い切れない。現に今日も明日も会社に残ってタスクをこなさなければいけない。世帯主とかく世知辛いものである。
「ハロウィンなんていつから活発化し始めたんでしょうね」
異国の風習を取り入れる独自の文化を持つ日本だがこの盛り上がりは異常としか言えない。異様な熱気を見るために逆に外国人が来る始末である。
「アミューズメント施設とかがその先駆けになったと個人的には考えているのだけれど、そこから経済効果を狙って拡大していったというところかな」
「確かにテーマパークは毎月何かしらイベントしているイメージありますね」
最近ではイースターとか、特に行事のない11月にクリスマスが前倒しで行われていたり、商業のトレンドがめまぐるしく移り変わりが激しい。
「君はどう思っているのかな?ハロウィンについて」
「そうですね。まあ、あまり好ましいイメージはないですかね」
けが人が出たり、騒音をまき散らして、若者達が跋扈する状況が毎年何かしら報道されているのだ。好き好んで年甲斐もなく仮装集団の中に入っていく気には到底なれない。
「反対に先生はあまり気にしてないみたいですね」
「今も昔も変わらず、いつの時代だって馬鹿騒ぎする烏合の衆はいるわけだし。私も祭りは嫌いではないからね。別段文句なんてあるわけないじゃないか」
確かに殺人鬼の話を喜々として話題にあげるくらいだ。時事問題をフィーチャーして取り上げとは言え先生の考えはとても柔軟な方だ。この人には色眼鏡というものはないと改めて認識させられた。
そんな話をしていると喫茶店の時計が静かに4時を指すとボーン、ボーン、ボーンとどこか懐かしい音が店内に響いた。
「もうこんな時間か。そろそろ駅に行かないと」
ちょうど紅茶を飲み終えた先生がイスにかけていた羽織り物にいそいそと袖を通す。
「だったら車乗っていきますか?私も別件で近くに行くので」
と、私がカバンとレシートを手に取って席を立ちながら尋ねる。
「それじゃあお願いしようかな」
代金を払って外に出ると十月末の気温とは思えない暑さが肌に照りつけてくる。
車を開けるとさらなる熱気が私たちを襲う。日向は避けたつもりだったが日差しが傾いて運転席はホットプレートのように熱せられている。私はエンジンをかけると窓を開けてから冷房を点ける。それから数分車内が冷えるまで一息つく。
「すみません。車の中暑くて」
「年々暑くなっていくよね。この国。一時期エコだの、温暖化だのとメディアが騒いでいたけど、結局改善する兆しが見られないとは、これいかに」
一人一人に呼びかけることの大切さは分かるが、火力発電に頼りきっているこの国に節電だの何だの言われても、大差ないと個人的に思う。寧ろ空調設備を最大限に活用しないとこのご時世生きていける気がしない。
「温暖化が止められないなら、逆転の発想で温暖化に寄り添うというのも一つの手だとは思うのだけれどね」
「…どういうことですか?」
「単に時代の波に乗る、それだけさ。海面が上昇しようとも、生き物が淘汰されようとも、地球の歴史から見ても幾度も起きている」
先生の言葉にピンとこない。頭に疑問符がつきまとう。
「柴本君、時代というのは不可抗力なんだよ。これは歴史から見ても、神話から見ても、人的要因や環境要因というのはどうしようも無いと言うことさ」
コーヒーを飲んで頭は冴えているはずなのに、先生の言わんとすることが微塵も分からない。温暖化という使い古された題材のはずなのに先生の着眼点が分からない。担当編集なのに。
「つまり、人類は衰退するべきなのではないかと私の考えの一つにはある」
「それって、極端に言ったら全ての人間と心中しろと?」
「もちろん、この考えが正しいとは思わないさ。けど、そういった側面も人類のテーマとしてあるのではないかと思うのさ」
危険思想って奴だろうか。数年間この人と話していて初めてこの手の内容の話を聞いた気がする。もちろんこれが正解のはずがないというのも分かってはいるが・・・
頭のいい人間の考えていることは凡人からしてみれば時に理解しがたいことがある。私には理解できなかった。
「僕は…、人間は過ちを正すことができるものだと思っているので、その考えには賛同しかねますね」
「前から思っていたけど…君はまっすぐだね」
ははっ、と愛想笑いをすると私たちは喫茶店を後にした。
午後七時、用事を済ませてオフィスのエレベーターの前に私は立っていた。昼間の暑さから一転して、寒さが首元から背中をさらりとなぞっていく。フロアには私一人、とても静かだ。ハロウィンで往来は賑やかだろうに、ほの暗い空間でエレベーターのランプが点灯しているのが対照的に孤独感を強く演出している。
ほどなくしてエレベーターの扉が開くと先客が一人立っていた。
「あら、柴本さん。今帰るところ?」
「植田さん。いや、ちょっとコンビニで弁当買いに行くところです」
お疲れ様ですと社交辞令をしているのは、ティーンエイジャーの女性向け雑誌の企画や広報を担当している植田さんである。彼女はスマホをいじりながら、私が敷居に入るとボタンを押して扉を閉める。
「そうだ、植田さん。ジャック・オー・リッパーって奴が殺人予告を出したって聞いたんですけど、何か知ってます?」
「切り裂きジャック?いや、知らないかも」
「『ザ』じゃなくて『オー』らしいです」
若者受けしそうな話題なのに知らないなんて意外だ。植田さんはいかにも出来るオフィスレディ然とした見た目の割に、童心が常に居座っているような人だから耳ざとく知っているものだと思っていた。
「どこかのアングラサイトで噂になってるんですかね。SNSではそういった話は見当たらなかったんですけど」
軽く調べてもジャック・ザ・リッパーの記事ぐらいしか出でこなかった。
「ハロウィン見に行こうかと思っていたけどやめようかしら」
やはり見に行こうとしていたんだな。仕事が恋人ではなく、エンタメが恋人なだけはある。
そうこうしていうちに、足元が一瞬無重力になった。一階に着いたのだ。
ビルの入り口から出ると、「それでは、気をつけて」と私は言って、植田さんと別れた。
次の日の朝、私はブラインドから漏れた光で目が覚めた。机に突っ伏して寝ていたため、背骨を中心に背中が悲鳴を上げている。秋の少し張り詰めた空気の中に息を吐きながら首をぐるりと回して固まっている肩周りをほぐす。昨晩と変わらずここには私一人だ。
みんなが出社するまで一時間ほどある。私は疲れた目をこすりながらテレビを点けた。
『こちら、現場の付近の***駅周辺です。今朝未明、遺体は歩行者天国の脇にそれた路地で発見されました』
男性のアナウンサーが真剣な面持ちで話している右上のテロップにはこう書かれていた。
「ハロウィンの夜に仮装された遺体発見」
予告通りに殺害が行われたのだ。
アナウンサーの声だけが響き渡る。
モニターに映る青白い景色をただ眺めるくらいしか今の私にはできなかった。
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