第8話 緋色ひとひら 終章



 次の瞬間、龍郎はどこか地面の上に体をなげだされた。急速に水がひいていく。


 足元に何かが転がっている。血糊ちのりのような水を吐きだしながら、見ると、それは小人サイズの生首だ。武者や町人や男や女や、あきらかに鬼っぽいのや、リアルなミニチュアの生首が、あっちにもこっちにも散乱している。


 宿屋の中庭だ。椿の咲き乱れていた中庭に、自分は倒れているのだ。


 くくく——と、どこかで笑い声がした。


 龍郎は声のしたほうをあおぎみる。

 椿の木の枝に、女がすわっていた。どう見ても折れそうな細い枝に、まるで鳥のように足裏をつけて、しゃがみこんでいる。真紅の長襦袢ながじゅばんがたれさがり、鳥の翼のようにも見えた。


 宿の案内をした、あの能面のような古くさい顔立ちの女だ。だが、なぜだろうか? 女を見た瞬間、龍郎はそれが冴子だとわかった。


「冴子さん!」


 龍郎が呼びかけると、女は不思議そうな顔で見おろした。


「あんた、それ、さっきも言ってたね?」

「だって、冴子さんだろ? さっきは迷ったけど、今は断言できる。死んだんじゃなかったのか?」

「……変ねぇ。なんで、バレたんだろう? あたしの化身は完璧なのに」


 女の顔が変化する。

 龍郎の見ている前で、くりっと大きな瞳の現代風のおもてに変貌していった。しかし、冴子の姿だったのも一瞬だ。次の瞬間には、また別の姿へと移っていく。冴子に似ているが、さらに彫りの深い目鼻立ちと、褐色の肌、白い髪の美女だ。西洋人のようでもあり、東洋人のようでもある。


「冴子……さん?」

「それ、仮の姿だから。見てわかるでしょ? 別に名のる必要はないんだけどさ。あたし、けっこう、あんたのこと気に入ったのよね。だから、特別に教えてあげる。あたしは、ルリム。ほんとはもっと発音しにくいから、それでいいわ」

「なっ……まさか、あんたも悪魔だったのか?」


 ルリムは肉感的な唇を微笑の形にひきあげる。


「あたしはね。門の番人。だから、この子はもらっていく」


 いつのまにか、ルリムは青蘭を腕に抱いていた。青蘭の肌は死人のように青ざめ、ぐったりとして気を失っているようだ。


「青蘭!」


 龍郎の呼びかけに、ほんのり眉根をよせ、何事かつぶやくように口を動かした。


 生きてはいる。


 しかし、ほっとしたのも、つかのま、ルリムが枝の上につま先立ちになると、緋色の長襦袢が赤い翼に変わっていく。ルリムは青蘭をかかえたまま、翼を広げ、いずことも知れぬ暗闇へ飛びたった。


「青蘭! 青蘭ァーッ!」


 手を伸ばすが、その手は虚しく空をつかむ。


 ルリムは哄笑こうしょうをあげながら遠ざかり、やがて闇に溶けるように見えなくなった。


「青蘭……」


 気がつけば、龍郎は一人ぽつんと、温泉街のまんなかに立ちつくしていた。坂道を見つけたあたりだ。そこにあったはずの坂道は、どこにもない。


「青蘭……青蘭! どこにいったんだ? 青蘭!」


 龍郎は必死に温泉街のなかをかけまわり、青蘭の姿を探しもとめた。だが、どこにもいない。わかっている。青蘭はさらわれたのだ。深く暗い闇の底に。悪魔たちの手から奪いとり、ようやく光のなかへつれだしたのに、ふたたび暗闇へとつれさられてしまった。


(おれが……手を離したからだ。あのとき、どんなに苦しくても離すんじゃなかった。たとえ姿形が違って見えても、幻覚だったかもしれない。ルリムがおれをごまかすためにかけた魔法だったのかも。ずっと手をにぎっていれば……)


 悔やんでも悔やみきれない。

 龍郎が後悔と自己嫌悪に苛まれているとき、背後から声がした。


「龍郎くん。探したよ」


 フレデリック神父だ。

 今度こそ、本物のようだ。


「フレデリックさん……」

「まったく、君たちはしょっちゅう、あちこちに移動して困るよ。追いかける身にもなってくれ。ところで、青蘭は?」


 龍郎は弱りはてていたので、素直にさきほどの一件を打ち明けた。

 神父は端正な顔をしかめながら、黙って聞いていた。龍郎が話しおわると、ゆっくり口をひらく。


「地獄の風景。それに、門の番人……おそらく、それは魔界への入口を守る番人のことではないかと思う」

「そう……か。だから、いつもの結界とは違う感じがしたのか。あの世とこの世の境だと、青蘭は言っていた」


 神父は龍郎のおもてを見直し、問いつめる。


「青蘭をさらわれたんだな? 君は敵が逃げていくのを見送った」

「…………」


 しかし、あのとき、ほかにどうしようがあったというのだろう。不可抗力だったと思う。だが、反論はできなかった。青蘭を守りきれなかったのは事実だ。


(どんなことがあっても離さないと誓ったのに。どこにも行かないと……なのに、こんなすぐに青蘭を……)


 歯がみしていると、神父が刺すような語調で告げる。


「では、君には我らの一員になってもらおうか」

「えっ? なぜですか?」

「青蘭を助けに行きたいんだろう? 君には我々の組織の力が必要だ」


 そう言われると、まさしくそのとおりだ。龍郎個人の力では、どうにもできない。魔界へ行けばいいと言ったところで、その方法がわからない。


 しかし、彼らの組織がしつように龍郎や青蘭を誘うのには、おおっぴらには言えない目的があるはずだ。おそらくは賢者の石の所有権に関して。龍郎や青蘭から、それを譲りうけたいのだと考えられる。


「それは、断る。おれは青蘭が『うん』と言わなければ、同意しない」


 フレデリック神父は肩をすくめた。


「しかたない。では、とりあえず、我らのリーダーに会ってくれるね? 君がリーダーを説得できたら、組織の総力をつくして手助けしてやろう」

「わかった」


 そう言うしかなかった。

 とにかく、今、青蘭がいる場所まで行かないと。行って、約束を守らないと。


(青蘭。待っててくれ。必ず、必ず、君を助ける)


 龍郎は叫びだしたい衝動を抑えることができなかった。





 第三部 完

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