第6話 ラビリンス その十一
(あいつだ! あいつが手術室でナースを切り刻んだんだ!)
龍郎は急いで走っていった。が、相手に気づかれた。ハッとしたように立ち止まった男は逆方向へ引き返し、龍郎の視界から消える。影の映ったところまで行ったときには、本体はどこにも見えなくなっていた。
「青蘭。見たか? さっきのヤツ。あいつがやったんだ」
「うん。メス持ってた」
どうやら、この封鎖空間に、人を殺して歩く殺人鬼が徘徊しているらしい。
それが十五歳の青蘭の願望が生みだした産物なのか、じっさいの人殺しなのかはわからないが。
「あいつ、あっちのほうに行ったよな?」と、龍郎が廊下のさきへ向かおうとすると、フレデリック神父が止めた。
「待て。むやみと危険にとびこんでいくのは、よしたほうがいい。要するに、この空間から脱出できればいいんだろう?」
「まあ……そうですね」
正論なので、なおさらカチンとくる。
そうじゃない。ただ、神父がライバルだとわかったから、言われることすべてに苛立つだけなのだ。それは自覚している。
まあ、むやみと殺人鬼にむかっていくことが良策でないのは、龍郎にも理解できた。しかたなく、玄関ホールへむかっていく。
それにしても、妙に廊下が長い。
こんなに長い廊下がおさまるほど大きな建物だっただろうか?
外から見た感じでは、最新式ではあったが、決して大きくはなかった。二階建ての二十メートル四方くらいの建築物だ。
(おかしい。こんな長い廊下、絶対、あの建物に入りきらないぞ?)
やはり、魔術で構成された世界だ。現実とは間取りが違う。
ようやくナースステーションにたどりついた。しかし、そこでも惨劇が待っていた。看護師が二人、死んでいる。カウンターの上に一人、もう一人は床に倒れている。二人とも口を左右にかき切られていた。凄惨な死にざまではあるが、さっきの死体にくらべたら、まだしも人間らしさが残っている。
青蘭がつぶやく。
「……山藤と、荻野目だ」
山藤。荻野目。その二人は、青蘭の記憶を通して見た人たちのなかでも、強い印象の持ちぬしだ。青蘭に人間の心の醜さを見せつけた人物である。
血だらけで大きな傷があるのでわかりにくいが、たしかによく見れば、その二人だ。
「あれ? でも、二人は青蘭がクビにしたんじゃなかったか? ここにはいないはずだろ?」
「うん。そのはずなんだけど」
では、やはり、ここはもう青蘭の記憶の世界ではない。ここからさきは何が起こるかわからないということだ。
「誰が二人を殺したんだろう? さっきの手術室の死体も、たぶん、同一人物の仕業だよな?」
「そうだろうね。このなかに人殺しが何人もウロついてるんじゃないかぎり」
神父が肩をすくめて、玄関を指さした。
「あれが出口なんじゃないか?」
シャクだが、逃亡よりリスクの少ない手立ては他にない。龍郎は青蘭の手をひいて、玄関へ向かう。
歩きながら、青蘭は首をかしげた。
「もしかして、手術室の死体が日下部かな? あの三人に対しては、とくに強い恨みがあったしね。他のナースや医師も大差はないけど。みんな、陰では好き勝手を言ってた。僕の悪口を一度も言わなかったヤツなんて、いなかった」
龍郎は神父の手前、言葉をにごして聞いてみた。
「職員のなかで、誰が……アレだか見当はついてた?」
「男だってことはわかるけど」
「医者って何人くらいいたの?」
「医者だけじゃないよ。看護師にも男がいたし、清掃職員とか、コックとかもいたし」
「ああ。そうか。男の職員は何人?」
「僕がクビにしたりして、入れかわりが激しかったから。でも、最初から最後まで、ずっといたのは一人だけ……」
青蘭が言いかける途中で、玄関のドア前についた。龍郎は片手で自動ドアの横の鉄の扉に手をかける。鍵はかかっていない。キッと音を立てて、ドアはひらいた。
(ここを出たら、結界の外——ならいいんだけど)
外の景色は暗くて見えない。星一つない空だ。こんな濃密な夜を、龍郎は経験したことがない。実家は山奥だから、夜になれば街灯の明かりもない暗闇だが、それでも夜は澄んだ藍色だった。
思いきって、ドアをあけたあとの四角い空間へ足をふみだす。固い感触が足元にある。島は岩盤の地面だから固いのだろう。なんだか、やけに平らだが。
数歩、進んだときだ。
急に龍郎の手をにぎる青蘭の力が強くなる。見ると、ふるえている。
「青蘭?」
「ここ、外じゃない」
「えっ?」
「柵が」
青蘭の指し示すほうをよく見ると、たしかに鉄の金網のフェンスが周囲をかこっている。建物から出たわけじゃなかった。診療所の屋上だ。青蘭にとっては、失意に打ちひしがれた悲しい思い出の場所である。
「なんで、屋上に?」
「空間が歪んでるんだ」
とつぜん、近くで「うわあッ」と悲鳴があがった。屋上には貯水タンクがある。その陰になったあたりからだ。走っていくと、争う人影が見えた。男が二人。一人がメスをふりかざし、もう一人を襲っている。殺人鬼に人が殺されかけているのだ。
「やめろッ!」
龍郎は叫んで、殺人鬼にとびかかっていった。
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