第三話 迷宮の扉
第3話 迷宮の扉 その一
「じゃあ、清美さん。留守番、頼みます」
「はーい。お二人が帰ってくるまでに、引っ越し業者さん呼んで、ダンボール移しときますねぇ」
三月のなかば。
龍郎は青蘭と二人、旅立った。
熊本までは例のごとく、軽自動車で。
問題は、そこからさきだ。
「薩南諸島の南東って、船がいるよね? もちろん、フェリーなんかは出てないんだろ?」
熊本城を観光して駐車場に帰ってくると、青蘭はさっそく、助手席に残しておいた、お気に入りのユニコーンのぬいぐるみをかかえる。
出会ったころにくらべたら、ずいぶん印象が子どもっぽくなった。
しかし、それも過去のトラウマによるものなのだろう。
この旅に出ると言いだしたころから、青蘭はユニコーンを抱いていないと寝られないようだ。
「フェリーどころか、今じゃ無人島ですよ。僕は十六まで、あの島にいたんです。そのあとは診療所も閉鎖させたし……」
「ちょっと待って。その島って、青蘭が子どものころに住んでた屋敷があった場所なんだろ?」
「そうですよ。そのあと、怪我をした僕のために、祖父が診療所を建てたんです。きっと、僕を島の外に出したくなかったんですね。だから、僕は義務教育も受けたことがないんだ。教科ごとに雇われた家庭教師が教えてくれた。祖父が死んだときに、僕はやっと島から出ることができた。初めて、世界は広いんだと知った」
淡々と青蘭は語るものの、それはかなり特殊な生い立ちだ。青蘭が島に帰ることを嫌がるのには、そのへんにも原因があるのかもしれない。
龍郎は青蘭を気づかって、言ってみた。
「青蘭。どうしてもツライなら、おれだけで行ってみようか? おれも賢者の石が体内にあるんだ。きっと、その場所に何かがあるのなら、反応すると思うんだ」
が、青蘭は首をふる。
「あの場所で、僕はいつも一人でふるえていた。でも、今は一人じゃないよ。そうでしょ? 龍郎さん」
まただ。また、心臓をわしづかみにされた。青蘭の甘えるように潤んだ瞳に見つめられるだけで、龍郎の心臓はとろけてしまう。目があうたびに毎回これでは、身がもたない。
「……ああ。ずっと、いっしょだよ」
車のなかでキスをしていると、とつぜん、コツコツと窓を叩かれた。助手席側の窓だ。
いいところで誰だよ。駐車違反じゃないぞ——と思いながら目をあけると、窓の外に男が立っている。年齢は三十前後。やけに若白髪が目立つくせに童顔だ。すごくイケメンというわけではないが、妙に人なつっこく見える。
見ず知らずの人だ。
制服を着ているわけでもないし、ポリスマンではない。
龍郎は痴漢だろうと思った。
こんな人目のあるところで、クレオパトラより数段、美しく妖艶な青蘭とくちづけをかわしていたのだから、じろじろ見られてもしかたない。
龍郎はそのままエンジンをふかして発車させようとした。しかし、そのとき、青蘭のようすに気づいた。青蘭はなんだか青い顔をして、がくぜんとしている。
童顔の男は笑いながら、何やら話している。窓をしめているので、よく聞こえないが、青蘭の名前を呼んでいるようだ。
「青蘭。知りあい?」
たずねると、妙にさぐるような目つきで、青蘭は龍郎をながめる。それはまるで、青蘭の心のなかで、遠い過去と現在の重みを天秤にかけているかのようだ。陽光のなかで瑠璃色に透ける青蘭の瞳に、悠久の時の流れがたゆたっている。
「……僕を診てくれていた、先生の一人です」
医者か。それなら、痴漢というわけではない。
しかたないので、龍郎はパワーウィンドウのスイッチを押して、助手席側の窓をおろした。
男はニコニコ笑いながら、なかを覗きこんでくる。
「やっぱり、青蘭だ。ひさしぶりだね。まさか君がこんなところにいるとは思わないから、自分の目を疑ったよ」
「
「やだな。昔みたいに、
「…………」
青蘭はうつむく。
すると、男の目が急にキラッと光った。龍郎は油断のならないものを、その目の色に見た。
「そっちのが、新しい彼? これまでのなかで一番イケメンなんじゃないか? でも、青蘭のこと、ほんとに知ってるの?」
バカにするような視線をなげてくる。
もう間違いない。
これは、青蘭の昔の男だ。
友人にはお人よしだと言われる龍郎だが、こうライバル視されたんじゃ、いい人ではいられない。
「悪いけど、急いでいますので、ご用がなければ失礼します」
窓をあげようとすると、青蘭がさえぎった。
「待って。龍郎さん。ちょっと、最上先生と話したいんだ」
青蘭はユニコーンを座席に置くと、外に出ていった。少し離れた場所にある桜の木の下にまで、最上と二人で歩いていく。まだ
見ているかぎりでは、青蘭は困っているようだ。最上が一方的に復縁を迫っているように見える。
(待てよ。青蘭は十六まで診療所にいたと言ってたよな? そのころにつきあってたってことか? なら、青蘭はまだ未成年だ。未成年に手を出したのか? あの男)
それはまあ、青蘭が十五、六のころなら、ものすごい美少年だったろう。今だって、そこらの美女なんて足元にも及ばない美形だが、成育途上の未発達な青蘭は、まごうかたなき妖精のような美貌だったに違いない。
誰だって惹かれる気持ちはわかる。だからと言って、未成年に性的関係を迫るのは犯罪だ。
そんなことを考えていたせいか、妙にイライラする。いや、妬いてるなという自覚は、龍郎にもあったのだが。
車内からながめていると、青蘭がこっちにむかって、ひきかえしてくる。その手を最上がつかんだ。そして、抗うそぶりを見せる青蘭を抱きとめ、唇をかさねた。
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