第2話 空家の怪 その三



 荷物を持ってひきかえしてきたとき、すでに日は暮れていた。

 前庭に軽自動車を停めると、黒くシルエットになった平屋建ての家屋が、巨大な黒猫のようによこたわっていた。

 建物そのものは、ただの物質にすぎない。それはわかっている。

 だが、まるでそれじたいが生き物であるかのような気配があった。見あげる龍郎たちを、ジロリと黒猫がにらんでいる——そんな感じだ。


 清美がゴクリと息をのむ。

「迫力……ですね」

「そうだね。悪魔は確実にいるから、気をつけて。青蘭のお墨付きだ」

「悪魔の住む家って、なんかホラー映画で見た気がします。わたし、オバケ屋敷になんか住みたくないんですが」

「退治できればいいわけだよね?」

「うーん、まあ、いなくなったとわかればアリですね」

「じゃあ、今夜一晩、ガマンしてみようか」

「あの、わたし、必要ありました?」

「えっ? えーと……どうだろう?」


 そう言われると、必ずしも清美がここにいる必要はなかった。龍郎が一人で泊まりこんで、一人で悪魔退治すればいいだけの話だ。


「……ごめん。清美さん、車の運転できるなら、これに乗って帰ってくれてもいいよ? 明日の朝に迎えに来てくれれば」

「わたし、ペーパードライバーなんですよね。教習所の先生に、路上で六十三回ブレーキふまれました。スゴイでしょ? 教習所始まって以来の新記録だって言われたんですよ?」

「えっと……たぶん、それ、褒め言葉じゃない」

「そうなんですか?」


 清美を一人では帰せない。

 電車は一時間に二本。バス停は探すのが大変なほど希少で、その停留所にバスが停まるのは一時間に一本という地方だ。社会人なら自家用車は必須。たとえ中古の軽でも大切な生活の足だ。むざむざと廃車にさせるわけにはいかなかった。


「今から清美さんを送って、また帰ってくると往復一時間かかるなぁ」

「いいですよ。肝試ししましょう。怖くなったら、さっきの動画見て癒されますから」

「……その動画、消してくれないかな?」

「ダメぇっ。わたしの人生の栄養素なんですよぉ」


 マズイ人にマズイ弱味をにぎられてしまった。まさかと思うが、SNSにアップしたりしないだろうかと不安になる。


 ともかく、二人で空き家のなかへ入っていった。真っ暗闇だ。懐中電灯をつけると、清美の言う肝試し感は申しぶんない。細い光が、いかにも頼りない。


「……清美さん。おれは一人でも寝れると思うけど、清美さんは大丈夫? やっぱり部屋は別々のほうがいいと思うんだけど。いちおう、男女だし」

「ええッ? すっごいムチャぶりしますね。このオバケ屋敷のなかで一人で寝ろと……」

「ごめん。やっぱムリか」


 宇宙の始まりから闇に包まれていたかのような暗黒のなかで、女性に一人でいろと言うのは、かえって残酷だろう。それに、こう言ってはなんだが、おそらく清美相手では、龍郎が色っぽい気持ちになることは生涯かけてない。

 しかたないので、龍郎は屋敷の中心の八畳間に、清美と二人、寝袋をならべた。枕元にはランプを置き、多少は視界が明るくなる。


 腕時計を見ると、まだ九時すぎだ。

 ここに来る前にファミレスで夕食はとってきた。だから空腹ではないのだが、大学卒業仕立ての新社会人に九時に寝ろというのは酷な話だ。


「清美さん。家のなか調べてみようか?」

「えっ? そんな、マジで肝試ししちゃいますか?」

「でも、ここに住みたいわけだよね?」

「ええ、まあ」

「なら、ちゃんと調べて安心したほうがいいよね?」

「……ええ、まあ」


 返事は心もとないが、とにかく寝袋を這いだして立ちあがる。


「えーと、端っこの部屋から調べたほうがわかりやすいかな」

「そうなんですけど、龍郎さん」

「うん。何?」

「さっきから、なんか変な音がしませんか?」

「そうかな?」


 耳をすましてみるが、よくわからない。かすかに梢のゆれる音が届く。


「わからないなぁ」

「なんか、カタカタ言うんですけど」

「どうだろう?」


 懐中電灯を片手に廊下へふみだす。

 左右を見渡すが、とくに変わったものは見えない。


 とりあえず、玄関から調べてみることにした。古い家なので玄関も立派だ。玄関だけで三畳ていどのスペースは優にある。三和土の敷石だけでも一畳ぶん。


 玄関をあがると、広い板の間。板の間の奥が廊下に続いている。右手に四畳半の小さな客間。ここには家具がないので客が泊まるときの寝室だろう。押入れがついていて、なかはカラだった。さすがに布団は捨てたようだ。

 とくに異変もないので、客間を出る。


 隣室は物置になっていた。ごちゃごちゃと古い道具がなげこんである。ここも、とくに変わったことはない。


 そのとなりが、龍郎たちが寝袋をならべていた八畳の和室だ。そこから先は廊下が直角に折れる。家全体はLの字を時計まわりに九十度たおした形になっている。


 廊下のまがりかどの部分は、そのさきが土間になっていて、昔風の厨房になっている。勝手口があり、裏庭に離れがあった。三宮に貰った見取り図によれば、離れは風呂場とトイレだ。


 今のところは外へは出ず、玄関横の左手の部屋へ戻る。

 玄関の左手には十畳、十二畳の広間が二つ。親類縁者など大人数が集まるときには、あいだの襖をとりはらって、大広間にすることができる部屋だとわかった。玄関横の縁側に通じていて、家から花嫁が出ていくときや、死者を送りだすときなどに使う。龍郎の実家にもそういう目的の広間があった。

 けやきの見事な座卓が一つあるだけで、ここにも異変はない。


 天袋一つあけるにも、清美はキャアキャア言っていたが、ちょっと落ちついてきたようだ。


「龍郎さん。なんか、わたしのせいで、すいません」


 急に謝ってくるので、龍郎はそっちに懐中電灯の光をなげた。


「いや、まあ、おれも早くあのダンボールはなんとかしたいから。でも、ここなら三人でも暮らせる広さだね」


 龍郎が言うと、清美はなにやら、まごついた。

「三人? そ、そんなの、パラダイスじゃないですか! イチャイチャ見放題!」


 龍郎は苦笑いだ。

「清美さん。勘違いしてるけど、おれたち、つきあってないからね」

「ええッ! 今さら、そんな隠さなくても……」

「いや、ほんとだよ? おれは青蘭を好きだけど、青蘭はそうじゃないと思う」

「……なるほど。切ないパターンですね。応援しますよ! がんばってください!」


 ははは——と龍郎は苦笑いして、廊下をまがる。

 折れまがった部分には六畳間が二つ続き、一方には床の間がある。その床の間に懐中電灯の光があたったとき、龍郎は何か違和感をおぼえた。


(うん? なんだ? 今、変なものが見えたような?)


 ゆっくりと、光の輪をそっちに戻す。

 とたんに、それに気づいて、ギョッとした。

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