第22話赤の悔恨2

「蘇芳、いえルーファス様。セラビ公爵家より使いの者が来ております」




 神官長であるアマナ様が直接報せに来た時、蘇芳は短く返事をしただけだった。


 遂に呼び出されたと思っただけで驚きはない。


 彼女の後ろから、品の良さそうな家令らしき男が数人のお付きを従えて腰を折った。




「ルーファス様、兄上様がお呼びです。我々とお越し下さい」


「兄の容態は深刻か?」


「は………楽観視はできないかと。まずは直にお会いしてみた方が判るでしょう」


「そうか。では参ろう」




 蘇芳がぞんざいな口振りで言えば、彼らは皆目を見開いて動揺していた。


 口も碌に聞けずに人形のようだった自分が、まともに口を利いたこと、それだけで意外だったのか。




 フン、と鼻を鳴らそうとして、アマナ様の前であるのを思い出す。




「神官長様、行ってまいります」


「ええ」




 声を潜めたアマナ様が「神殿側から護衛をつけましょうか?」と問うのを、笑って断った。




「跡継ぎは僕しかいないのですから、今僕がいなくなれば困るのは彼らです。それなりには大事にしてもらえるでしょう」




 心配なのはリナのことだった。自分がいない間に、また皇太子がちょっかいを出さなければいいが。




「なるべく急いで帰ります」


「分かったわ」




 簡素な服のまま身一つで歩き、神殿の中庭に出る。公爵家の者達は後ろへ続いた。


 途中一度立ち止まり、リナの部屋の辺りに目を向けると、思った通り彼女が窓からこちらを見ていた。




 心配そうな顔で、胸の前で拳を作っている彼女に、蘇芳は声を出さずに笑った。




 自分を避けていた癖に、結局自分のことが気になるのだ。彼女は自己満足の為だと吐露したが、ならばなぜ、自らの力の及ばないことにまでそんな顔をするのか。




 心を晒け出したのは、やり過ぎたかもしれないが、結果的には『ルーファス』という存在をリナに強く知らしめることはできた。


 きっと一日中自分のことが頭から離れないだろう。だからこそ彼女は避けて、逃げるという行動を取っているのだ。




 今はそれでいい。


 リナへと優しく微笑んで見せると、肩を揺らして身じろぎをする様が動揺したようで、蘇芳は満足して再び歩き出した、




 *************


 神殿から東に一時間ほど馬車で向かった先に、彼の生家があった。


 公爵家の外観を、ルーファスは初めて目にした。神殿へと連れ出された時は真夜中で小雨まで降っていたし、彼自身がのんびり見る余裕もなかったからだ。




 館は、端から端まで頭を巡らせなければ確認できないぐらい大きくて広い。その館の青い屋根から裏手にある塔の先端が見えた。




 それを一瞥するだけで、館へとすんなり足を踏み入れる。


 かつて自分を見て見ぬふりをしていた館の者達が、真っ直ぐに前を見据えて歩くルーファスを、驚愕や恐れの表情で出迎えたが、彼は見向きもしなかった。




 部屋へと案内された彼は、ベッドに横になる兄の横へと立ち見下ろした。




 カーテンの閉めきられた薄暗く、空気の澱んだそこに、レクスは目を開いていて、弟の姿を映すと一度瞬きした。




「既にご存知かと思いますが、先日レクス様は外出の折り、馬車ごと崖に転落して重傷を負われました。背骨を折ってしまわれ、体の自由を喪い、今は目を動かせるだけで会話はできません」


「意識はあるようだが?」


「はい」




 説明をする家令が、肯定するが歯切れは悪い。




「目を合わせたりされるので、聴こえていらっしゃるでしょう。ですが食べ物を飲み下すのも難しくなり状態は思わしくなく衰弱してきています……………医師によれば、数日の内に呼吸もままならなくなると…………」




 最後の辺りは、ルーファスにだけ聴こえるぐらいの声で話をした。




「分かった。下がれ」




 言えば、少し躊躇していたが、家令は「部屋の外にいます」と告げて退出した。




「………………兄上」




 心身の傷を治療した自分は変わって見えているだろうか?


 こちらを見ている兄は、逆に痩せてくすんだ顔色をし、あんなに煩かった言葉は一言も発しない。


 腹を上下させて呼吸だけを懸命に繰り返している。




 ルーファスの心には、怒りも悲しみも湧かなかった。以前はあったが、既にそれらはリナの力によって消えていた。


 ただ、兄へと最期に向けるとするなら感謝でいいだろう。




「兄上、私を殺さずにいてくれて感謝します。そして気まぐれでもリナに会わせてくれたことで、私は変われた。私はもう貴方を恨んでいません。むしろ嬉しいのです」




 表情筋も動かせなくなった兄だが、ルーファスには愕然としているのが手に取るように感じられた。




 屈んで、兄の目に自らの顔を近付けて彼は囁いた。




「私は欲しいものができたのですが、今はまだ他の者の手の内にある。手に入れる為には、身分が必要だった。だが、もうすぐ貴方は私にそれを与えてくれるのでしょう?ありがとう、兄上」






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