緑ノカタチ

小泉 作造

第1章 きっかけと綻び

川沿いを電車が駆け抜ける。その電車の窓からは、4、5年前と変わらない景色があった。なつかしく、どこかさみしいその景色は思い出の塊だった。

「ふう……」

ため息をついた。窓からはさわやかな風が入ってきた。4、5年ぶりに来たこの地に思いを馳せた。


1


土手を自転車で走る。右手には川、左手には線路があった。今、丁度私鉄が横をすり抜けていった。

7月中旬、夏がもう目の前まで迫っていた。日差しは8月程ではないが暑さは音を吐きそうなほど暑い。僕はだらりとだらしのない汗を垂らした。

「暑い……」

夏休みはあと2日と近付いていた。受験に向けて本腰入れて勉強しなくてはいけないがやる気にならない自分がいた。部活を引退して心の中に大きな穴を開けたまま夏を迎えていた。その穴を何で埋めようとすればよいのか分からなかった。

目の前からはJRの特急が警笛を鳴らしながら向かって来た。白いその車体は僕の目を眩ませた。それと一緒に吹いてきた風は夏の匂いがした。


2


空をながめた。昨日と似たような快晴。夏のような清々しい空色だった。教室では先生が教科書に向かって話していた。僕の机には真っ白なノートとシャーペンが転がっていた。

今日はこの数学の授業で帰ることができる。少し楽しみだった。まだ夏休みではなかったが気分はそれだった。

「こうなるから、解は……」

先生は教科書を置くとチョークで黒板に書いていった。僕はあわててノートに書き記した。


チャイムが鳴った。僕はノートや教科書をカバンに突っ込んだ。

「おっす、間広」

後ろを振り返ると佐倉井保信がいた。

「どうした?」

「これから予定あるか?」

「特にないけど……」

僕はそう言いながらカバンを背負った。

「ゲーム買いに行きたいんだけど、一緒に行かない?」

教室の時計は3時過ぎを指した。

「いいよ。なんか新しいの出たっけ?」

そんな他愛もないことを話しながら教室を出た。しばらくして。家が近くなると保信と別れて家へと向かった。カバンを置き、制服を着替えるといつものリュックサックを持ち家を出た。


駅にはもう、保信がいた。

「間広、早くしろよ。快速がもうくるぞ!」

軽く走ってきて息が上がった僕を保信は急かす。

「ちょ……ちょっと待ってよ!」

保信は僕の言葉を無視して改札に入った。それと同時に電車が入ってきた。あわてて改札を通ると、快速に飛び乗った。


3


保信がよく行くゲームショップはメジャーなものから、埃を被ったマイナーなものまで色々あった。保信は迷わず新作のコーナーに行った。僕も見ることにした。

この店には、すごく昔のゲームカセットもあった。触ったことのないゲーム機のカセットを見た。角が丸くなったその箱は時代を感じさせられた。

「間広、行こうぜ」

保信がそう声をかけると、僕はそれを丁寧に置いた。

外に出ると、空が赤く染まっていた。腕時計は5時前を指した。

「帰ろうぜ」

保信は駅へと向かった。僕もそれに続く。

「夏休み、どうする?」

保信が空を見ながら言った。実のところ、保信には彼女がいた。スポーツができて、勉強もそこそこ、容姿も悪くない彼にいたことは別に不思議ではなかった。むしろ、当然だった。春先に言われたらしく、そのことを他人事のように話してくれた。

「彼女はいいのかよ?」

聞いたところによると、かなり可愛いとの噂だった。僕には縁のない話であるが……

「あー……何も話してないや」

「彼女ほったらかしにしていいのかよ」

保信は何か言ったようだったが聞き取れなかった。僕は何も言わずに歩いた。


4


僕はガラス越しに外を見た。夏のような青々とした空だった。大きな太陽がコンクリートを灼いていて、ここからでも暑いのが分かる程だった。

「夏休みに入るわけだが……」

先生の話はまだだらだら続いていた。教室は少し薄暗く、先生の顔はよく見えなかった。僕はプリントに目を落とした。もう夏休みはすぐそこに来ている。やりたいこともたくさんある。でも、受験がある。夏こそは本腰を入れなくては……

「じゃあ、終わろう」

先生の言葉で委員長が号令をかける。

僕はゆっくりとプリントをカバンに突っ込んだ。

「なあ、間広」

その声のする方を向くと保信がいた。隣には、保信の彼女の加納沙織とその友人の野上縁がいた。

「これから遊び行かねえか?」

「この4人で?」

「ああ……」

保信の返事は、中身が詰まっていない、外見だけの言葉だった。昨日の保信といい、何かがおかしかった。少し疑問を残しながら4人で教室を去った。


5


親は共働きのせいで、 家のテーブルには昼食用のお金が置いてあった。それを取ると、着替えるために自室へ向かった。

いつも使っているリュックサックを手に取ると財布を入れて家を出た。昼食を買うためにコンビニに進路を向けた。


コンビニは、僕を冷気で迎えてくれた。外は灼熱地獄なので、ここは天国だった。ゆっくりと店内を回ると、加納がいた。

「あ、間広くん」

「よう、加納」

加納とは、あまり話さなかった。接点が友人の彼女しかないから、それ自体もなくなったらもう一生喋ることはなかったと思う。ここ数ヶ月で、かなり打ち解けてきたが保信いわく、あと一歩とのこと。お互い興味もないだろうし、今の距離感がぴったりだと思うのだが……

「最近、保信と上手くいっているのか?」

加納は少し考え込んだ。僕は目の前にあるおにぎりを取った。

「正直、上手くいっていないのかも。保信くんが初めてだからよく分からないけど……」

そう言うと彼女はうつむいた。僕はかける言葉がなかった。どうフォローすればよいのか分からなかった。

「何かあったら、相談してよ。答えられないかもしれないけど」

「うん!」

加納は笑顔で答えた。今まで見たことがなかったから、どこか新鮮で…… でも、好きになるには、まだ足りなかった。

コンビニを出ると、2人で駅へ向かった。初めの方は話題があったが駅に近付くにつれて口数は減っていった。


6


ガタンガタンと音を立てて電車は走る。段々と民家がなくなり田圃が増えてきた。僕達は殆ど話をしていなかった。とても気まずい。

「駅に着いたら何処に行こうか?」

保信は口を開いた。場を持たせようということなのだろうか。でも、彼の努力は実らずに結局、話は続かなかった。


7


「どうしたら、いいのかな?」

僕達は駅の中の雑貨屋に来ていた。男はあまり行かない場所だが僕と保信は興味がわいたのか、商品に見入っていた。

「どうしろと言われてもな……」

僕は加納の問いに必死に答えを探した。恋愛ゲームなら二択、三択で決まるのに、ここでは駄目だ。更に、男サイドではなく女サイドという…… 乙女ゲームを一切やったことがなかったから本当に分からなかった。

「2人で一緒にいてみたら?」

僕はそう答えると、加納はうなづき保信を探しに行った。自分は薄々保信が加納のことを好きではなくなっていると思った。彼女は、とても可愛く保信にぴったりだと思った。でも、その本人は興味も失いつつある。加納が保信に向けている好意のベクトルを彼はバッサリと切っている。2人にさせることは、正しかったのかと僕は思った。

「間広くん……」

声につられて振り返ると、縁がいた。

「どうしたの?」

「なんか、沙織ちゃんたちぎこちない……」

親友だからなのか自身のことじゃないのに悲しんでいるようだった。

「たぶん、保信はもう想っていないのかも……」

縁は僕の言葉を聞くと、より一層落ち込んで今にも泣きそうだった。

「だっ、大丈夫だ。僕が今、なんとかしてる」

彼女は顔を上げた。瞳はうるうると今にも涙がこぼれそうだった。

「ありがとう」

彼女はにこっと満点の笑顔をつくった。僕はどきっとして彼女から目をそらした。

思えばこの時から縁を意識し、想い始めていたのかも知れない。これが恋なのだろうか。僕の心の中のこのどうしようもない気持ちがおさえきれなくなっていた。


8


目が覚めた。あれからは4人とも話をせずに帰った。保信は多分、端から興味がなかったのだと思う。興味のないものを好きになれと言うなんてあまりにも酷だ。でも、加納がかわいそうだ。ぼーっとした頭を起こしながら立ち上がった。

親はいなくテーブルには1枚の札が置いてあった。父母共に今日は始発で行ったらしい。「今が大事な時なんだ」と2人とも意気込んで仕事に行っている。2人とも尊敬しているし、将来の目標でもあった。

「コンビニでも行くか……」

意外にも空腹だったのか僕の腹はへこんでいた。札を取るとそのままコンビニへ向かった。

歩きながら眠っている頭を醒ました。


コンビニに入ると縁がいた。

「あ、おはよう、間広くん」

「うん、おはよう」

答えると、僕はおにぎりを2つとった。

「私もそれにする」

縁はそう言うと笑った。

「おそろいか」

「そうだね」

昨日よりは明るくなっていて僕は内心ほっとしていた。

「沙織ちゃんたち、今日2人でデートだって!」

僕は少しおどろいた。恋人同士だから、当たり前のことなのだが……

「僕等は1人ということか」

紙パックのお茶を取るとレジへ向かった。


9


僕と縁は、コンビニの近くの公園に行った。

「にしても暑いな」

僕はふくろからおにぎりを出してほおばった。縁も同じようにほおばった。

「保信たち、大丈夫かな……」

縁は頭をかしげた。

「沙織ちゃんたちは大丈夫だよ!」

そう答えてくれた。僕はほっとした。

ピピピ……

「悪い、電話だ」

携帯をとると、耳にあてた。ディスプレイには保信と点いていた。

「もしもし……」

「ああ、間広」

すごいくらい声が聞こえた。

「どうしたんだ?」

向こうからは、保信の息が伝わった。

「別れることにする」

僕はさほど驚かなかった。やはり、もう好きではなくなっていたのだ。自分の心のどこかでは、加納のことをかわいそうだと思った。

「どうしたの……」

縁が聞いてきた。僕はごまかしてベンチに座った。


10


蝉の音が鳴り響き、日向では太陽がアスファルトを灼いていた。太陽は南中していて、暑さもそれに続いて迎えてきた。

僕らのいる木陰は日向よりも幾分か涼しかったが、汗がべったりと滲んできた。

「暑くなってきたな」

縁はこくりと頷いた。僕は額から垂れてきた汗を拭うと携帯が鳴った。

「ごめん、ちょっと待ってて」

縁は不思議そうな顔をしていた。僕は気にせずに立ち上がり、7、8メートル程歩いた。

「加納、どうしたんだ?」

縁に聞こえないようにマイクに近付いて、小さく話した。

「保信くんとなんとか、やっていけそう」

「そうか、よかった」

保信の「別れたい」という意思を知っていたが僕は伝えなかった。これから加納が振られるのだと思うと胸がチクリと痛んだ。

「大丈夫?」

いつのまにか縁が近くに来ていた。僕は小さく頷いた。

「よかった」

縁はやさしく微笑んだ。その笑顔は僕の罪を償ってくれるかのようだった。


11


平日だからか、ファミレスはそれほど混んでなかった。店のすみに座ったからか、客は向かいにいる1人のサラリーマンしか確認できない。

僕はコーラを口に運んだ。冷たさと甘みが僕の口の中を満たした。

「冷たくて、おいしいね」

縁はあの細長いスプーンを使ってパフェを食べていた。僕はそれを眺めながら、もう一口コーラを飲んだ。

「間広くんは、彼女とかいないの?」

いきなりのことだったから、僕は縁の目を見たまま固まってしまった。

「うん、あいにくね」

そう答えると、僕は縁から視線を外した。

「そっか、私と一緒だね」

縁はかすかに笑うと、またスプーンを口に運んだ。


僕は彼女がいなかった。勉強にやる気が起きない今、「彼女をつくる」ということは少し興味があった。2人には悪いが、ここ数日、保信たちのことをフォローしていて、新鮮で楽しかった。だから、自分も欲しいと思っていた。


こんなことを考えていると、縁はもう食べ終わっていた。半分くらいコーラの入ったコップは多量の汗をかいていた。僕はコーラを一気に飲み込んだ。

「もう少しいる?」

ファミレスの小さな時計は1時半を指していた。

「もう、行く」

縁の答えを聞くと、僕は伝票を持ってレジへ向かった。


12


日はすっかり落ち、辺りは真っ暗に染まっている。それでもなお、日中の暑い熱気はまだ感じられた。

僕はまたコンビニに来ていた。少しいるだけで汗ばんでしまう外とは打って変わって店内は肌寒かった。

レジへ向かおうとすると、コンビニの外に保信がいた。こちらに気付いたようで店内に入ってきた。

「間広、また親が遅いのか?」

「うん」

「自分で作るとかしろよな」

頷きながら僕は財布を開けた。


結局、保信は何も買わずに店を出た。

「こんな時間にどうして外にいたの?」

「いや、ちょっとな」

保信にとっては聞かれたくないことだったのか、言葉を濁した。

「今日は言えなかった」

しばらく歩いて、そう保信は口を開いた。

「もう一度、やり直せそうか?」

「分からない。けれど、少し難しい」

僕は黙った。保信は続ける。

「好きじゃなくなった訳じゃないんだ」

僕はうつむいた。

「でも、疲れたんだ」


13


昨日は4時近くまでゲームをやっていて、起きたのは昨日と同じ昼前だった。

ぼーっとした頭を起こしつつ僕は外へと出た。

「あっちい……」

外は全く風がなかった。追い抜いていった自転車を見て、自分も乗っていけばよかったと公開した。


「涼しいな」

スーパーはとても涼しかった。冷凍食品売り場なんか寒いくらいだ。

僕は迷ったあげく、温めて食べるスパゲッティを買った。それを店にある電子レンジで温めると見覚えのある人、なんと縁がいた。

「あ、間広くんだ」

縁の手にはここで買ったのだろうか、少し商品が入ったレジ袋を持っていた。

「今日はコンビニじゃないんだね」

手に持っているレジ袋を見ながら聞いてきた。

「いつもコンビニ飯だと飽きてくるし」

「それもそうだね」

電子レンジがまだ回っていたが、僕は構わず取り出してまた元入っていた袋に入れた。

「このあと予定ある?」

歩きながら縁は聞いてきた。

「特にはないかな」

縁は少し前に行って、僕の方を向いた。

「じゃあ、うちに来る?」

その言葉と共に、開いた自動扉から蒸し暑い夏の風が入ってきた。

僕は頷いた。縁もにっこりと笑っていた。


14


縁の家は意外にも、僕の家から近いところにあった。

「いいよ、座って」

縁の両親は僕と同様に共働きだった。だから、ここには僕と縁意外、誰もいない。

テーブルに袋を置くとスパゲッティを取った。公園で食べようと温めたので、ここまで来るうちに冷めていると思ったが、さほど冷たくなっていなかった。

僕は近くにあった椅子を引いて腰をかけた。

「沙織ちゃん、昨日楽しかったって言ってたよ」

「そうか、それは良かった」

縁はうれしそうな顔をしていた。

僕等は黙った。僕は気まずくなり、スパゲッティを口に運んだ。横目で見ると、縁は何か言いたいような顔をしていた。

「どうしたの?」

僕は聞いた。縁は首を横に振った。


「送っていくよ」

携帯は1時過ぎを指していた。

「ありがとう」

僕はそう答えた。外はいつものように太陽がギラギラとコンクリートを灼いていた。

僕等は黙ったままだった。僕は縁と歩幅を合わせることに集中していた。

気が付くと家に着いていた。

「ありがとう」

僕はそう言いながら振り返ると、縁は小さく手を振っていた。


15


「考えが変わった」

それは突然だった。携帯からするノイズ混じりの加納の声に僕は耳を澄ませた。

「もう、私は保信くんのことが好きじゃなくなった」

すっと頭の中が真っ白になった。

「今までありがとう」

加納はそう言うと通話を切った。

僕の頭は混乱していた。どうして加納は冷めてしまったのか、保信の真の気持ちに気付いてしまったのか。謎が謎を呼び、僕の頭の中でそれがぐるぐると回っていた。

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