第2生 蓮華
そして知らない神が目前に存在していた。
「蓮華か」
神は口を開いた。蓮華は驚きのあまり頷く事しかできなかった。
「あたしの名は、
「……燕泓様」
蓮華のかしこまった口調に、燕泓は手をひらひらと振って答えた。苦笑しているようである。
「蓮華よ、畏まらなくとも良い。
それよりも悲しい知らせがある」
蓮華は首をかしげた。なかなかに可愛らしい様子である。燕泓はそれを見てどことなく悲しみを覚えた。
「当の蓮葉なのだがな……あやつは、人間へと転生した。
お前がこのまま輪廻の渦に入るというのであれば、おそらくそう簡単に巡り会う事はないだろう」
衝撃的な言葉であった。蓮華は確かに入水自殺を図り、それは叶えられた。そして来世で蓮葉と結ばれようと思ったのだ。だがそれは叶う事はないだろう。
何故ならもはや何の力もない二人には、互いを引き寄せる事ができないのだ。もはやもう一度、巡り会う事は絶望的であるといえた。
「そんな顔は、なさんな。
いい事を提案してあげようと思ったんだ。
――お前、神になる気はないか?」
燕泓の誘いを受けてから何十年も経った。蓮華という名はそのままに、彼女は神になった。何十年も神が転生した人間を待ち続けた。そして遂に、知ったのだ。
蓮葉の転生した人間が生まれる事を。
そして彼が十七になった時、二人は再び出逢った。
「あなた様に逢えて嬉しいわ。蓮葉――いえ、
「そなたは……誰だ?」
蓮華は覚悟していたが、やはり少し辛かった。彼がこちらを覚えていないのは仕方がない事だ。輪廻の渦に入ってしまえば、転生後にそれ以前の記憶を持ち続ける事は許されない事なのだから。
「妾は、蓮華」
「れん……ほ、あ」
何かを思い出しかけたのだろうか。そう蓮華は訝しむが、そういうわけではなかったようだ。紅緋は全く思い出せないと謝ってきた。相変わらず悲しい事に変わりはなかったが、それでも再び相見える事ができただけでも幸せだと思っていた。
しかしその幸せは長くは続かなかった。
まだ十七であるが、紅緋は名の知れた武将だったのだ。紅緋は度々戦へと出かけてゆき、良い結果をもたらして帰ってくる。武将として戦に勝ち続ける彼を、蓮華は誇りに思うと同時に心配をしていた。いつ命が尽きるか分からないのが戦である。自分の与り知らぬ場所で他者に殺されるなど、到底耐えられそうになかった。
その心配はおおよそ現実のものとなり、とうとう紅緋は負傷して帰ってきたのだ。その傷は深く、そして酷かった。誰しもその傷を見ればもう長くはないと思っただろう。
「紅緋……」
本当は動けないはずの紅緋が禁池へと姿を現した。蓮華はその痛々しい姿に涙を見せた。
「蓮華殿に、伝え……たい事が」
力なくほほえむ姿は以前彼が神だった時に見せた物と同じだった。紅緋はゆっくりと言葉を紡いでゆく。
「余は、このような……死を迎える、事に後悔はしていない。
だが……そなたを、残してゆくのは正直、辛いと……感じるのだ。
例え、死が我らを別つとも、そなたとまた……こうした時間を、味わいたい」
立場が逆だった頃、同じような事を言われた。それを思い出した蓮華はますます泣き止む事を忘れてしまった。
「蓮華、短い間ではあったが余は……そなたを慕っている。
ほら……泣くでない。その姿も美しいが、やはり笑っている方が――余は好きだ」
「紅緋」
紅緋は蓮華の涙を自由に動くほうの手で優しく拭った。そして神に向けて、皇子は言った。
「余が死んだら……
そなたの住む池へ、沈めてはくれまいか?」
かつての自分が考えた事と同じ事を考えたらしい。彼の頼みに、神は静かに首を縦に振った。それを見た紅緋は微笑んだ。
「死しても、余はそなたと共に在ることを誓おう――」
「妾も、以前より……そしてこれからもあなた様と共に」
神は涙を溜めて、微笑もうとした。うまくは笑えなかったかもしれないが、皇子は満足そうな顔をした。それきり、彼が何かを言うことはなかった。灯火が、潰えたのだ。
「妾は……神という存在が何と苦しいものかを今知った。
蓮葉は、この苦しみに耐えられなかったのだな……
妾も耐えられぬかもしれぬ」
皇子が息絶えてから神は約束を果たし、その後神としての力を失った。それは彼女の意思ではなかったが、悲しみに明け暮れた神には良い事だったかもしれない。
能力の喪失によって、今更ながらに蓮華へ老いと死が訪れる事となった。
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