熟年殺意
Rain坊
熟年殺意
夫を殺して私も死のう。
とん、とジャガイモを包丁で切りながら思った。今日の夕飯は夫が好きな肉じゃがだった。薄めの味付け、箸でつまもうとするとほろほろと崩れ落ちるほど煮込んでおり、肉とジャガイモだけの言葉通りの肉じゃがだ。夫はにんじんや糸こんにゃくが入っているのが嫌いだった。夫曰く、味がぶれるとのことだった。私はどちらかというといろんな具材が入っているほうが好きだった。口の中でいろんな食材の感触や味がやってくるのは楽しいとすら感じる。特別私たち夫婦は仲が悪いというわけではない。結婚してかれこれ三十数年になる。子供は二人いるがそれぞれの家庭を持って私たちの元から離れてしまった。建てたときには最新の、しかし今ではどこかしらに不備を抱えた我が家に私と夫の二人で暮らしている。不満はないわけではないがあるというほど大きなものではないのだろう。少なくとも他人にはそう感じることだろう。仮に私が彼を殺したとしてご近所さんなんかがインタビューを受けたらきっと幸せそうな夫婦だったとか仲睦まじい二人だったとか人当たりのいい人だったのにとか言われるに違いない。私だって特別殺す気は本当のことを言えばないと思う。じゃあやらなければいいと言われるとまあそうなんだけどと答えるだろう。夫は最近口癖のように言うことがあった。『会社にいられなくなる』だ。あと一年ちょっとで彼が長年勤めてきた会社を定年になる。仕事が好きな人だった。私は働いている彼が好きだった。私と彼は職場恋愛だった。一目ぼれというわけではない。正直タイプだったのかと聞かれたらノーと答えるだろう。子供たちからもたまに聞かれる。お母さんは、どうしてお父さんと結婚したの? って。たまに私もそう思うことがある。どうして彼と結婚したのだろうか。私は他人と比べると幸いなことに容姿に恵まれているようだった。だからこれは自慢ではないのだけれど結構告白やデートのお誘いを受けた。その中で夫は私に対して積極的にアプローチをしてきたわけではない。むしろ逆でこちらがもどかしいほどだった。だから初デートの時も私から行くの行かないのどうするの! って怒って――なんだか思い出したら笑ってしまう。なんやかんやで付き合ってみると決して器用な人ではなかったけれど、それでも不器用なりに尽くしてくれたと思う。案外そういう感じだったから逆に気になったのかもしれない。だから私は今に至っているのだ。そう至ってしまったのだ。毎朝早めに起きて朝食と夫のお弁当を作り、子供ができてからは子供に身支度をさせながらそれらを行い、全員学校や仕事に出ていくと今度は掃除や洗濯をして晩御飯の献立を考えながら昼ご飯を適当に済ませてしまい、ちょっとした時間ができてもなんだか落ち着かなくて別に見たいわけでもないテレビや動画を見て、たまに昼寝をしたり、冷蔵庫の中身を見て足りないものや必要なものをリストアップして買い物に出かけ、時折子供の学校行事や手続きなどで市役所に行ったり、乾いた洗濯物をたたんでしまい、子供たちが帰ってきたら彼らの話や遊びに晩御飯の準備をしながら付き合ったり、たまに怒ったり、子供たちをお風呂に入れさせたり、たまに一人で入って一息ついて明日はあれをしないとなんて考えたり、夫の遅い帰りをうとうとしながら待ったり、急に晩御飯がいらないと電話がかかってきて頭にきたり、帰ってきたら弁当箱を洗って夫がお風呂に入っている間に冷めてしまった晩御飯を温めなおしたり、ちょっと話したいことがあっても疲れているから明日聞くって言って聞いてくれなかったり、トイレの便器の蓋を閉じてっていつも言っているのに閉じてくれなかったり、電気を点けっぱなしにしたり、知らないうちに自分の趣味のものを買っていたり、休みの日に子供と一緒に遊びに出かけて泥だらけで帰ってきたり、自分の物なのに碌に片付けもしないでいざというときにはあれどこいったって聞いてきたり、私の誕生日にはいつも花束を買ってきてくれたり、子供や私が夜中に具合が悪くなっても愚痴一つ言わず病院に連れて行ってくれたり、たまにはと言って唯一作れる絶品のナポリタンを作って作れたり、子供が巣立つ前日の夜に無性に悲しくなった私を何も言わずそっと抱きしめてくれたり、本当に色々なことがあった。言い出したらキリがない。大きな波があったかと言われるそうではないのだけれど、そこには確かに波が立って大きな海と繋がっている。何でもない日常はなかった。今ではそう思える。だからこそ、これからが私にはひどく怖い。今まで続けてきた夫のお弁当作りも定年と同時に終えてしまう。私が今まで継続してきたものが無くなってしまうのだ。夫が感じている喪失感、それらに近い感覚を私も抱いているのだ。どうなっていくのだろうか。昔であれば不安があっても若さという未来があった。だからまあどうにかなるかと楽観的になることもあったのだが今はそれがない。確実に着実に老いを実感している。未来が閉じてきている。これから私と夫は何をして過ごせばいいのだろうか。夫は仕事、私は家事。その二つのレールを逸れることなく迷いなく進んできた私たちはどうすればいいのだろうか。少なくとも真っ直ぐ進めば大きな間違いはなかった。何も考えていない――わけではなかったが、考えることを少なくすることができた。だがこれからはそれがない。暗闇を手伝いに歩いていかなければならない。この歳になって、いやこの歳になってすら。その事実に私は恐怖すら覚える。絶望といってもいい。
夫には不満がない――わけではない。だけれどあるとも言えない。だから本当に些細なことなのだ。他人から見ればなんてこともないこと。だからといってそれが毎日、毎週、毎月、毎年、積り積もっていけば本当にそれは大したことでないのだろうか。私はそうは思わない。だから今から恐怖の道を歩いていかなければいけない身の上で、果たしてこの人と一緒になっていけるのだろうかと思ってしまった。彼は何をやってくれるのだろうか。彼にとってこれからのことはきっと触れたことのない領域になることだろう。もしかすると自分にはできないと鼻から諦めてしまい何もやってくれないかもしれない。なんてマイナスなことを考えてしまう。思えば恋人の時以来ではないだろうか、二人きりの空間を過ごすことになるのは。どうやって過ごしてきていたのか、もう昔のことで思い出せない。恋人の隣に寄り添っていたときの感情もさすがに今の歳になれば薄れていることだろう。もしかすると愛という言葉は私の中から抜け落ちてしまっているかもしれない。でも勘違いしてほしくないのが別れたいわけではない。嫌いになったわけではないのだから。まあ要するにどういうことなのか。何を求めているのかと言えば言葉にするのが難しいのだけれど。
何かしてほしいわけではない、でも何もしないでいてほしいわけでもない。
結局、そういうことだ。
玄関が開く音がした。夫が帰ってきた。靴を脱いで家に上がる。ずっと聞いてきた音だから振り向かなくても誰が帰ってきた音かわかる。勿論、子供が出て行ってから帰ってくるものは一人しかいないのだけれど。きっと台所にくるだろう。鞄からお弁当箱を出してお風呂に入るのだろう。いつも通りだ。何も変わらない毎日がくるのだろう。台所の扉が開いた。私は包丁を握りしめる。今日はおかえりとは言わない。永遠のお別れをするからだ。終止符を打つのだ。緊張はなかった。恐らく私は何の迷いもなく普段魚のはらわたを取り除くときみたいに夫に包丁を突き立てることができるだろう。なんてだめな妻なんだろう、私は。夫がお弁当箱を机に置く。箸がかちゃりと揺れる音がした。それがなんだか徒競走のスターターピストルのような強い衝撃に感じた。これが合図なんだと思った。私は勢いよく振り返り包丁は夫目掛け――、
「弁当、うまかったよ」
夫はそう言うといつものように風呂場に向かった。私はため息をつくと、
「まったく」
包丁を置くと、弁当箱を洗い出した。
今日も私は夫を殺せなかった。
熟年殺意 Rain坊 @rainbou
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