「FUKUMIMI」

日々人

「FUKUMIMI」

ずっと愛用してきた「歩調器ほちょうき」が壊れたみたい。


いつものように目覚めて直ぐ、耳元にセットして起動してみたのだけれど反応がない。


とりあえず制服に着替えてみるものの、怖くて自分の部屋から出られない。あせる。


歩調器はなかなか高額な機器だというのに、国内では着用率が90%を超えているそうで今や生活になくてはならないものの一つだ。


最近、14歳になったばかりのあたしだけれど、物心がつくころにはこの機器を耳に着けていた。


今回壊れたものが2台目。


なのに、なぜか前回の買い替えの時のことをすっかり忘れてしまっている。


壊れたから買い替えてもらったのか、それともなくしたりでもしたのだろうか。


歩調器が手元にないからといって、今のようなパニックとなった記憶がないのは、大人がいう「多感たかんで迷い悩む時期」とかいう年ごろじゃなかったからかもしれない。





 ー ー ー ー





「歩調器」というこの耳に装着する機械の呼び名。


実は、この製品の正式名ではない。


ほんとうは「FUKUMIMIふくみみ」という製品名がある。


でも、皆が皆、そう呼ぶとは限らない。


その耳の内に向かって着用する形から、かつて難聴者なんちょうしゃ向けの製品にあった補聴器ほちょうきと似ているということもあるし、発売当初の広告コピーでうたった「歩調ほちょう」という言葉に反応した人がいたからだろうと言われている。


そんな歩調器が開発されたのは、あたしが生まれるよりもずっと前のことだ。


はじめは他国語を母国語へと瞬時しゅんじに変換するといった、まったく違う用途ようとで販売された。


世界中の人と人との間を取り持つ、まったく新たなツールとして企業側は期待したが、そこでは日の目をみることはなかった。


ところが幾度の改良を経て、そこにこれまでにない一つの機能が追加された瞬間、一躍いちやく注目されるようになった。


数多あまたの消費者の心をつかむことに成功したその機能とは、外界から入ってくる音や言葉を、着用している人の気持ちにりそうようにして変換してくれるというものだ。


例えば学校で、どんなに強い口調で他人からめられようとも、これさえ着けていれば、すんなりと受け入れやすい言葉に変換して耳に届けてくれる。


苛立いらだちついでにこぼれ出たあたしの愚痴ぐちですら、歩調器は優しく拾ってくれて、綺麗な言葉をあたしの耳へと返すのだ。


言葉足らずな説明やニュアンスで相手が話しかけてきたとしても、機器同士がその意味をみ取ってくれるので、誤解ごかい勘違かんちがいといった問題が起きることが少なく、意思の疎通そつうがとても快適になるため、企業から家庭、個々に至るまで、さまざまな人間関係のトラブルを解消してくれているのだという。





 ー ー ー ー





そんな誰もが当たり前のようにして使っているものが、今朝、あたしの手元にない。


いざ突然壊れてしまうととても不安で、わたしは家の外へ簡単には出られなくなってしまった。


学校に行って、そこで飛び交う言葉がもしもがた噂話うわさばなしや悪口だったら、無防備なわたしはきっと耐えきれないだろう。


それをおかあさんに相談すると、学校近くのショップで新しいものを買って行きなさいとお金を渡してくれた。


学校には遅刻していくという連絡をおかあさんがしてくれた。


あたしが自分で学校へ連絡したときに、先生から返ってくる言葉が怖かったから頼んだのだ。


どうしてそれほどにおびえているのかというと、世間ではこの機器の出現によって、あまりにも自己に正直で率直そっちょくな言葉がはびこるようになってしまったという認識があるからだ。


この玄関先でも、車がクラクションをあちこちで鳴らし合っているのが聞こえてくる。


いつもなら、ノイズあつかいされてなにも聞こえないはずだ。


ショップまでの道のりを何事もないようにと祈りながら、恐る恐る家を出る。


ところが、やっぱり最寄り駅までの道でもたくさんの嫌な目にあった。


笑顔ですれ違ったとでも相手は思ったのだろうか。


あたしの顔はずっと引きつっていた。


あたしにたいする大人の男の発した言葉は、今すぐ記憶から消したいほどに嫌悪感けんおかんがわいてくるものだった。


2人並んで歩く友人同士と思われるおばさんの会話内容は、お互いをひたすらののしり合っていた。


適当にげんはじきながら大きく音程を外して歌い続ける若い男の人、大きな稼働音かどうおんの響く工場の脇で、のどかに腰を下ろし会話を交わす年老いた夫婦。


あたし達は歩調器の恩恵おんけいにあやかることでしか、もうこの先の未来を生きられないのだろうか。


受け入れたい、自分ごのみな音だけを耳にし、甘く優しい言葉に頼りきってきたせいで、この真実の世界を自力で乗り越えては行けそうにないなと感じて。


急に目の前に広がる社会のあるがままの姿に打ちのめされたような気がして。


あたしは突如とつじょ、迷い子のような気持ちになり、じんわりと涙が目にうかんできた。


逃げるようにして走り出す。


自分の息を切らす音さえ生々なまなましいと感じてしまう。


浮かんでくる嫌なイメージを振り払い、なんとか電車にけ込んだ。


いつもよりも車体がきしみ揺れる音、車輪のはずむ音が大きく聞こえてきて、事故にでもあうんじゃないかと不安になるが、まわりの乗客は静かに身をまかせ揺られている。


通っている学校は駅に近く、その最寄り駅の近くにあたしの目指すショップはある。


その最寄り駅までは残り二駅だ。


あともう少しの辛抱だ、大丈夫だと自分に言い聞かせる。




しかし突然、一つの音を耳が拾った。


それは、赤ん坊の大きな泣き声だった。


ベビーカーに寄りそう母親の耳には歩調器がみえる。


この子の母親は笑顔であやしている。


お気に入りの曲でも耳にしているかのような穏やかな表情で、赤ん坊をみつめている。


まわりの乗客の耳にも歩調器。何も聞こえていないのだろう。


過剰かじょうな反応をする人も、妙に様子をうかがったり、苛立いらだちを我慢するような人も全くみられない。


赤ん坊はぜんぜん泣き止まないのに。


あの母親は、もしも歩調器がなかったら同じような顔をしていられるのだろうか。




「あたしだったら…」


 ねぇ、おかあさん?」



何をどう考えて受け取ったらいいのか、あたしは何を耳にして、感じてこれまでを生きてきたのだろう。


本物の赤ん坊の泣き声はとても起伏きふくが激しい。


小さな体から振り絞ってあげる声はとてもたくましく、それでいてはかなげにも感じられて、傍にいるあたしは依然としてはらはらとしてしまい、その場に立ち尽くしたまましきりに周りの反応を気にしてしまう。


そんなあたしの異様さに気付いた母親は、眉を上げて顔をかしげた。


一瞬反応に困ったけど、今のあたしはみんなとは別の世界にいるんだと思うと、安静を少し取り戻したような気がした。


誰に向けるでもなく、あたしと赤ん坊だけが締め出された世界で、あたしは素直に思った言葉を発して、それをちゃんと自分の耳でとらえる。




「ねぇ、あたしも赤ちゃんのころは、そうやって人目をはばからず、大きな声で泣きわめいていたのかなぁ」




電車の扉が開くと、反響する数多あまたの音があたしをつつみこんだ。


駅のホームはごった返していて、混沌こんとんとしたやかましい世界がまちかまえていた。


いつも歩くはずの道を感じられない。


雑踏の中、あたしは自分の名前を思い切り叫んでみた。


そんなあたしをやっぱり誰も振り返らない。







ー 妄想話でした ー

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「FUKUMIMI」 日々人 @fudepen

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