Section 12. リングにて。

Scene 65. 露呈と、実戦。

ランニングとストレッチのウォームアップを終えてエントランスに戻ると、待っていたのは黒のTシャツとハーフパンツ姿のヴァースだった。靴もしっかりトレーニング用のものに履き替えている。


「おおっ、気合い十分っすね!先輩!!」


ロブソンが駆け寄って、はしゃいで声をかける。


「さっきの格好じゃ流石に動きづらいからな。適当なやつが売ってて助かった。行くぞ。こっちだ。」


どうやらエントランスの横にあるショップでウェアは購入したらしい。言いながら身を翻し、ヴァースが向かったのは出入り口のゲートだった。


「え、ジムの外出るんすか?」


意外な行動に怯みながらも、ロブソンはその背中を追う。ミィヤとマイクもその後に続いた。



「何処行くんすか?先輩。」

「まぁ、黙ってついて来てみろ。後悔はさせん。」

「先輩!俺先輩と一緒なら、何処でも後悔なんかしないっす!!」

「そうか。」


愛の告白紛いのセリフを思い切り吐いたロブソンに、聞いていたミィヤとマイクの方が赤面したが、言われたヴァースは対して動じずに笑って返した。どうしてそんな恥ずかしい事を堂々と言えるのかと叫びたかったのはマイクで、ミィヤは何故だか訳の分からない焦りを感じている。


「お前ら今日は休みか?」

「はいっ!」

「どうだ?新しい生活は」

「いやぁ、あはは……」


先に立って歩き、振り返りながら聞いてきたヴァースに、一番近くを歩いていたロブソンは言葉を濁した。正直に言ってしまったら退屈で居眠りばかりなのだから、流石に憚られたらしい。代わりにマイクが答える。


「まだ訓練自体は始まっていないんです。毎日説明を受けてばかりですよ。」

「そうか、母艦に来たのも初めてならそうだろうな。」

「座ってばかりで身体が鈍ってしょうがないっすよー。」

「そう言っていられるのも今のうちさ。そのうち嫌でもこき使われる事になる。今のうちに羽を伸ばしておいたほうがいいが……」


ヴァースは立ち止まる。ジムのゲートを出て、数分歩いたところだ。あるドアの横にある認証用スキャナに片手を当てる。


「適度な運動は必要だからな。」


緑の線がスキャンを終えると、ぴ、と音がしてドアが開いた。


「俺も丁度カンを取り戻したいと思っていた所だ。お前ら少し付き合え。」


三人の方に向き直って、ニヤリと笑ってそう言ってから、ヴァースは室内に入って行った。



三人はその後に着いて、おずおずと扉をくぐる。ここにはミィヤも足を踏み入れたことはない。明かりがゆっくりと灯った室内は存外に広く、まず視界に飛び込んできた大きな金網の囲いに、三人は目を剥いた。


囲いの底は一段高くなっている。どう見ても、これは格闘技のリングの類だ。ただし、HAPCOの様に大掛かりな機材も無ければ、別々にホログラムに立ち向かうためにリングが分かれているわけでもない。


「ここは新しいジムが出来る前に使われていた古い施設でな。」


いつのまにか壁際に移動し、ショーウィンドウのように並んだ透明なロッカーから何やら取り出しながら、ヴァースが説明した。


「血の気の多いやつらのために、本格的に鍛えて対戦もできるような施設を作ったみたいなんだがな、無茶する奴らもいて怪我人が絶えなかったらしい。ホログラムの対戦設備が流行ってからは、推奨されなかった。」


ヴァースがロッカーから取り出したのはグラブだった。指の先が開いているタイプの、青いクッション付きの装着具を両手にはめ終わると、手のひらに別の手の拳をパスンと何回か打ち付ける。


「新しいジムも完成したからな。見ての通り、今じゃ殆ど忘れ去られていて、使うやつもいない。そのうち取り壊される運命だ。」


そう言って三人に視線を戻し、まだ状況を飲み込めておらず呆けている様子を見てまた笑ってから、ヴァースは金網のリングに向かった。その前で立ち止まると、振り向いてその逞しい腕を組み、三人に向かって軽く言う。


「さて、誰からやる?」

『!!』



たっぷり数秒の沈黙の後に、最初に口を開いたのはロブソンだった。声が裏返っている。


「……てっ、ちょっ、直接手合わせしてくれるんすかっ!?」

「……直接も何も、お前ら『全員』経験者だろう?実際やり合える相手がいるなら、その方がゲームなんかよりよっぽど手応えあるだろうが。」



ざ、と全身の血の気が引く音がした気がして、ミィヤは危うく意識を手放しそうになった。


そうか、訓練員名簿……。


ありとあらゆる経歴を記録して上官に公開されているファイルを思い出して、ミィヤはとんでもない事をしでかしてしまったことがばれた時のような感覚を覚える。そうだ……そもそももう知られてたんだ……。しかも先輩覚えてる……。


もういっそのこと、気を失ってしまいたい。



「確か、レスリングとボクシング、カンフーに……、」


ロブソンとマイクをそれぞれ一瞥しながら言って、ヴァースは最後にミィヤと視線を合わせた。精悍な顔つきの鋭い目が、何故だか柔らかく細められる。


「テコンドー、だったか。」


ミィヤは、慈愛に満ちた、とでも言えそうな表情で見つめられて湧いてくる熱と、自分の勇ましい特性を知られてしまった羞恥で引いていく熱とを、両方いっぺんに感じていた。それらは対極な感情である気がするのに、どういうわけか打ち消しあってはくれないらしく、これでもかと苛むように身体中を駆け巡っている。


隠さなきゃ、とずっと懸念していた訳ではない。むしろ今までそんな所に考えが至らなかった。それでも出来れば触れて欲しくない部分が憧れの人に晒された。どうにもできないのは明らかなのに、頭の中は絶え間無い「どうしよう」の一言で埋まる。目が回る気がする。脇の下にジワリと吹き出した汗を感じた。


「それぞれ幼い頃からの経験者だろう?入賞経験もあったな。実地訓練では発散できるところがなくて持て余してたんじゃないのか。」


何処か楽しそうにヴァースが言っているのは、ついこの間まで、6ヶ月に渡って続いた訓練校の最終訓練の期間の事だ。母艦と地上の行き来をしていたものの、宇宙での長期ミッションを仮定した生活に慣れる訓練でもあったため、地上に戻った時でも外出は制限がされていた。その上、生活の場となった連絡船内部には小さなジムしかなく、のびのびと身体を動かせる場所は無かったのだ。



「どうだ?それとも、俺が相手では役不足か。」


自信たっぷりな微笑みを浮かべて上げて言われたヴァースの言葉は、本気でそう疑っていないのが明らかで、三人の意識には別の言葉になって届く。


まさか、断るつもりじゃないだろうな?と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る