Section 5. 車の中で。

Scene 19. ブランケットと、羞恥。

空気が重い。


包まっているブランケットも、ふかふかのシートも、肩に乗せられた手も、触れ合う腿から伝わる温もりも、手に持つココアから伝わってくる熱もこれ以上ない程心地良いのに、ミィヤは全くそれらを味わえずにいた。



ヴァースはさっきから、自分の膝に片肘をついて、その手に顔を埋めたまま動かない。時たま、深いため息を吐く。



特にヴァースの周りの空気だけ、ずぅんと重かった。




自家用車の後部座席に乗り込んで家を後にした後に、ヴァースは近くのドライブスルーのカフェでココアとチョコレートを買ってくれて、後は車が自動運転でミィヤの家にたどり着くまでのんびりできる状態だった。フロントガラスには、ミィヤの家までの経路が浮かび上がっている。ミィヤはヴァースの家が、港を挟んで自分の家とは反対側の、南の端に位置することを知った。


車に乗り込む際にふわふわのブランケットを持ち込んだヴァースは、それを自分とミィヤに被せると、物凄く自然にミィヤを抱き寄せて、冷えてしまっていた肩をさすった。


「ゆっくり出来なくてすまないな。」

「いえ……」


もちろんミィヤは心臓が口から出そうなほど驚いて、暖かい大きな手の温もりに戸惑ったが、先ほどの家の中での騒動からの混乱とヴァースの様子がおかしいのとで、素直に驚きと喜びに浸れずにいる。



ミィヤは静かにココアをすする。ヴァースは何回目かの長いため息をついた。


「すまない……」


再度そう言うヴァースに居たたまれなくなって、ミィヤは意を決して、ヴァースへ向き直って声をかけた。


「あの、気にしないでください。これで十分暖かいですし。」


車内の空調は効いていたし、何より寄り添った体温が暖かい。ミィヤの震えは、随分前に止まっていた。


「ドライブも、楽しいですよ?」



と、言うか、こんなにくっつけるならむしろラッキーです!


とは、口にはしなかった。




微笑んで語りかけたミィヤを見て、ヴァースも少し困ったような表情のまま笑った。ミィヤの肩に回した手はそのままに、どさりと背もたれに寄りかかる。


「本当に取り乱したりして申し訳なかった……あいつは、その、家にいた男だが、」


ヴァースは歯切れの悪い話し方で説明し始めた。


「ティーチと言うんだが、数年前に知り合ってな。まぁ、あれで色々と世話になったやつで……前から俺の家に入り浸ってはいたんだが、訓練期間中は家に住んでいて貰ったんだ。長い間誰もいないのも防犯上良くないし。まぁ、見ての通り遠慮のないやつで、ガールフレンドを連れ込んだりと好き放題やってるわけだが。」


ヴァースはそこで頭をガシガシとかいた。ミィヤは、ヴァースがプライベートの事情を話すのに、じっと聞き入ってしまう。


「俺の着任後も、まぁどうせ言っても出て行ってくれそうもないだろうから、あのまま家を任せようとは思っているんだが。くそっ、あいつ次は家賃払わせてやるっ。」


苛立ちを隠せずに、最後は独り言でティーチを罵ったヴァースに、ミィヤは笑ってしまった。それを聞いて、ヴァースもまた微笑んだ。


「みっともないところを見せてしまったな……全く。」


背もたれに頭を預けて、やれやれ、と言った調子でまた頭をかいた。ヴァースの笑顔を見て、ミィヤは少なからず安心する。


座り直して、背もたれに寄りかかる。ブランケットの内側で、ヴァースの腕が首に触れる。ミィヤは、また少しココアを啜った。





外は暗くなりかけていて、地平線の近くはオレンジ色に染まっている。


家に着いてしまえば、2人きりの時間は終わってしまう。


そう気づいて急に切なくなる。この時間がもっと続けばいいのにと思うと同時に、ミィヤはまだ聞けていなかった質問のことを思い出した。


聞けるとしたら、家に着くまでの間しかない。


しかし、ヴァースは「誰もいない」間の防犯を考えて、ティーチに住んで貰っていた、と言った。と、言うことはあの家には彼とそのガールフレンドしか居ないはずだ。もう、奥さんとは別れてしまったって、そう確定してしまって良いのだろうか。でも、だとしたらどうして?


一緒にジェットに乗って、湖のほとりで寝転がって、こうやって並んで座ってドライブをして。わたしはそれを、素直に喜んでいいの?この先を期待して良いの?




ミィヤが、ヴァースの最もプライベートな事に関する真相を聞くべきなのかどうか考えていた時、



「嫌われたんじゃないのか、俺は。」



と、ヴァースが不意に言った。



ミィヤはヴァースが、何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。ヴァースを見上げたが、視線を合わせようとしない。


「嫌われる?」


ヴァースのことを嫌いになるなんて想像出来なくて、ミィヤはおかしな事を聞く人だ、と思ってしまう。


「その、みっともないことを知られて。」

「みっともない事?」


どちらかというとみっともない状態だったのは、服を着ていなかったティーチという男性だった気がする。それがヴァースに何の関係があるのか?そういう人と住んでいるから、わたしが軽蔑するとでも?それとも、ほんの少し取り乱した事を?


わたしはそんな事気にする人間じゃありませんよ?


と、ヴァースに見くびられていた気がして反論しようと思ったが、




気の毒な事に、ミィヤはティーチの言っていた言葉を思い出してしまった。




(こいつに……教えてやったんは、俺だぜ。)


「あ、タバコと……?」


いや、お酒はPMJで飲んでるの見たし、タバコは、そりゃ意外だけどそこまで気にする事じゃ……


(……タバコと女教えてやったんは……)


「……女?」


思い起こして言葉に出てしまったが、言ったと同時にミィヤは固まった。



女。



ヴァースはまた、片手に顔を埋めて深く項垂れた。

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