第119話

 街並みが夕陽に染まり始める頃まで街の案内をしてきた俺達は、手頃価格で料理を提供してくれる飲食店で晩飯を済ませると、エルアが利用しているという宿屋の近くまでやって来ていた。


「九条さん、マホさん、ありがとうございます。夕食をご馳走になってしまった上にこちらまで送って頂いて……」


「いえいえ、お気になさらないで下さい!」


「あぁ、俺達がやりたくてやってるだけの事だからな。それにまだ何かをしたって訳じゃあないけど一応は師弟関係になったんだし、今日ぐらいは甘えとけば良いさ。」


「あ、はい……あ、ありがとうございます……」


 まだ緊張しているのか少しだけ頬を赤らめながらお礼を言ってきたエルアの様子を伺っていた俺は、何の気なしに周囲を見渡してちょっとした懐かしさを感じていた。


「いやぁ、それにしてもここら辺に来るのは随分と久しぶりだよな。」


「はい、そうですね。おじさんがお家を買ってから来てませんでしたもんねぇ。」


「えっ、九条さんとマホさんも宿屋で暮らしていた時期があるんですか?」


「あぁ、この街に来てからしばらくの間だけだけどな。ほら、そっちの方に見えてる宿屋を使ってたんだよ。」


「えへへ、何だか当時を思い出しちゃいますねぇ……」


 確かに思い出すなぁ……妖精の姿だったマホに覗かないで下さいねっ!とか失礼な事を言われたり、初めてやった討伐クエストの報酬でお祝いのケーキを買ったり……いやはや、あの頃から考えると俺を取り巻く環境ってのは随分と変わったもんだな。


 最初の頃はいきなり異世界に来る事になってどうなっちまうのかって不安もあったけど、何事も為せば成るってもんらしい。


「なるほど、もし良かったらその当時の事を聞かせて下さい。」


「えぇ、良いですよ!って、そう言えばエルアさんはどちらの宿屋をご利用になっているんですか?あっ、もしかして私達と同じ所を?」


「あぁいえ、僕が泊まっているのは……あちらにある宿屋になります。」


「ふーん、あっちにあるやど、や……?」


「……ほぇ?」


 エルアが苦笑いをしながら指差した方向に目を向けた俺とマホは、この辺りにある宿屋とは明らかに格が違うのが分かるレベルの建物をジッと見つめたまま思わず絶句してしまうのだった……


「すみません、僕みたいなただの学生が使っている宿屋としてはどう考えても不釣り合いですよね……」


「いや、別にそんな事は無いと……は、言えなくも無いのかもしれないけれども……それじゃあ、何だってあんなに見た目からして凄い宿屋に泊まってるんだ?」


「あの宿屋さんって結構なお値段しますよね?私達は利用した事が無いので噂ぐらいしか聞いた事が無いんですけど……」


「……その、実は今回の件を母さんに伝えたら長期の外泊を認める代わりに1つだけ条件を言われまして……それが……」


「あの宿屋を利用する事……だったのか?」


「は、はい……きちんと利用者の安全が確保されている宿屋で無いとトリアルに行くのは認めないと……」


「あー……まぁ、親としては最低限そこら辺の事がシッカリしてないと安心出来ないもんな……って事は宿泊費は親御さんが出してくれてるのか?」


「えぇ、何とか説得して出してもらいました。」


「そうか……だったら俺達から特に言う事はねぇな。」


「ですね、事情は分かりました!素敵なご両親なんですね!」


「……えぇ……」


 マホの一言に対して表情が少しだけ曇った様に見えたエルアだったが、知り合ったばかりの俺が詳しく何かを聞き出すのはどうかと思って俺は話題を変える為に片手に持っていた紙袋の中から1冊の本を取り出した。


「あぁ、そうだエルア。実はお前に渡したかった本があるんだが、コレを受け取ってくれるか?」


「えっ?この本は……お料理の本、ですか?」


「おう、トリアルに居る間ずっと外食ってのもアレかと思って料理に慣れてなくても真似が出来そうな簡単なレシピが載ってるのを選んでみたんだけど……アレだけ凄い宿屋だったら料理ぐらい提供してくれるよな。悪い、やっぱり忘れてくれ」


「あっ、いえ!頂きます!僕が泊まっている部屋にはキッチンも備え付けてあるのでソレを使って料理します!」


「いや、別に気を遣ってくれなくても」


「おじさん、エルアさんがこう言ってくれているんですから渡してあげたら良いじゃないですか!それに何時かお料理を作ってくれる日がくるかもしれませんよ!」


「あはは、初心者の腕で作った料理で良ければ!ご指導して頂くお礼として手料理を振舞わせて下さい。」


「……分かった、それじゃあその日が来るのを期待しながら待たせて貰うよ。」


「はい、頑張ります!っと、そろそろ暗くなってきましたね。九条さん、マホさん、今日は本当にありがとうございました!選んで頂いたお勧めの本もちゃんと読ませてもらいますね。」


「はいよ。あぁそうだ、明日は10時前後になったら家に来てくれるか。流石に今日ぐらい早いとアレだからさ。」


「分かりました!それでは今日はこれで、失礼します。」


 丁寧にお辞儀をしてきてくれたエルアが宿屋に戻って行くのを見送ってから俺達は2人揃って家路につくのだった。

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