それもまた日常
ごもじもじ/呉文子
第1話 竜の歌
それもまた日常
1.竜の歌
私の部屋に竜がやって来るようになったのは、7月上旬頃からだったように思う。
冷房のない私の部屋では、毎年の夏の暑さを網戸でやり過ごすより他に方法がない。
帰ってきて窓を開けて、さあ網戸にするぞと手をかけた瞬間、するりと私の部屋に入り込んできた。以来、竜は毎晩のように私の部屋を訪れている。今日もまた。
「―――いずれ、汝が余の言葉に耳を傾けるであろうことは明白だ。その折には、余は汝の盾ともなり、鉾ともなろう」
私の狭い六畳半をさらに塞ぐように、竜は部屋に長々と横たわっている。そして、また今日も竜は語りだした。
「余は数多の世界を平らげてきた。今、汝が力を欲していないことはよく分かる。しかし人間は変わるものだ。特に、自らが強大な力を手にした、と確信したときには」
今日の竜はやや機嫌が良さそうに見える。
「汝の欲望に忠実になれ。汝は今、大いなる力を目前にしているのだ。余が力を与えた者たちは、皆それぞれに自らの願いを叶えてきた。幸運なる者よ。汝もまた、その一人に連なるのだ」
なんのことはない。要は、なにがしかの力をやるから、自分に協力しろ、もしくは契約しろ、という話なのだろう。
しかし、私は疲れている。本当に疲れているのだ。
何かを真面目に聞く気力もなければ、他人の話に耳を傾ける根気もない。
私は毎日、竜の話に対して、聞いているふりをするだけで精いっぱいなのだ。
服を部屋着にするのすら億劫だ。私は竜と平行に、ベッドに横たわる。竜はそんな私の不調法を咎めない。なにかしら、都合よく解釈してくれているのだと思う。竜の語る幸運より、むしろそちらを幸運と思う。
「以前、ケレスのアウレイノスの話をした。奴は余の訪れを自らの力とし、ケレスのみならずカリアズやトイアンをも手中に収めた。ちょうど汝と同じ歳の頃の話だ。その後、アウレイノスの勢力は海を超え、ジェドン大陸に到達し―――」
知らない単語が山のように出てくる竜の語りは、潮騒のようだ。遠く、近く、私の耳をくすぐるように話は続いていく。
竜の体は鱗で覆われている。深い赤の鱗は、手で撫でるとひいやりとして気持ちがいい。撫でられると竜も目を細めるので、まんざら嫌ではないのかもしれない。
竜の鱗をなでながら、竜の声を聞いていると、徐々に私のまぶたが重くなってくる。抗えないぐらいに強い力だ。
竜はいつまでやって来るのだろう。冬にはいなくなってしまうだろうか。
穏やかさと平安の中で、私は毎日、ゆっくりと意識を手放す。
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