Act7, 廃墟のホテル

「今着いたところ。うん、タクシーは待たせてるわ……大丈夫、危ないことはしないから」


 スマホで好恵と話しながら、刹那は廃墟になったホテルの中を懐中電灯の明かりを頼りに進んで行った。


 ここは亜矢が最初に怪現象にあった撮影現場だ、すでに夜の一〇時を過ぎている。


 物心つく前から刹那は霊を視ている。言い方を変えればお化けを見慣れているわけだが、それでもこの廃墟は気味が悪い。


 霊感があるせいで、刹那はむしろ論理的に物事を考えるようになった。霊現象は彼女にとって超常現象ではなく自然現象だからだ。


 それでも足下がよく見えず誰が潜んでいるか判らない暗闇は、二二歳の刹那には危険極まりないのだ。もちろん恐いのは足場が悪いための事故と生身の人間だ。


 それで現状報告も兼ねて気を紛らわせるために、好恵に電話をかけながらここへ入ってきたのだ。


「あ、おばさん、天井が落ちてる場所に着いたから切るね、これから聞き込みを始めるわ」


 そう言うと刹那は電話を切った。


 さすがに電話をしながら聞き込みはできない。


 どうやら生者はいない、いるのは肉体を持たない人間が一人。


 視たところ三十代前半の男性だ。


「あの~すみません」


 話しかけると、霊が刹那の方にわずかに顔を向けた。


「ちょっと聞いていいですか?」


 生者に比べて死者は反応が鈍い場合が多い、Y字路の霊が珍しいのだ。


 しばらくして廃墟の霊はかすかにうなづいた。


「あの天井が崩れたとき、あなたはここにいましたか?」


 三分ほどって、再びうなづいた。


「その時、何かおかしなモノを見ませんでした?」


 霊はまた固まったように動かなくなり、今度は五分ほどしてからボソリと呟いた。


『女……』


「怪しい女性がいたんですね」


 Y字路の霊と亜矢が目撃したという人物か。


「その女性の特徴とか判りますか?」


「……………………」


 今度は一〇分近く待ったが霊は何も答えなかった、Y字路の霊と同じ物を見ていたなら彼自身もよく判らないはずだ。


 刹那は話しを切り上げることに決めた。


「ところで、あなたは誰かを待っているんですか?」


 霊はコクリとうなづいた。今までで一番反応が早かった。


「やっぱり……。気づいていますか?」


 刹那は霊が理解できるよう、一旦間を取ってからゆっくりと話した。


「あなたはすでに亡くなっているんです。だから、もう待たなくてもいいんですよ」


 今まで感情の変化を一切示さなかったが、己の死を告げられるとわずかに驚いたような顔をした。


 恐らく彼にとって、これが最大限の表情の変化なのだろう。


 時間の感覚が無くなり自身の死を自覚できない者が、地縛霊となりその場所に留まっている事が多い。


 彼はこのホテルで誰かと待ち合わせとしていたが、会う前に生命いのちを失ったのだろう。死の間際、一番気にしたのがその事だったに違いない。


 恋人か妻か、とにかくこの場所に執着があり、ここに彼は留まっていた。何年も何年も。


『そう……ですか……』


「ごめんなさい、あたしには事実を伝えることしかできないんです」


 Y字路の霊もそうだったが、霊に己の死を自覚させる時、刹那はいつも胸に痛みを感じる。


『会いたかった……』


 寂しげに霊は呟くと、そこからスッといなくなった。


 これが成仏ならいいと思う。


 刹那は改めて天井が落ちた現場を懐中電灯で照らしてみた。


 何かを期待したわけではないが、特に不審な点も見つからず出口に向かった。


「ん?」


 ホテルを出ようとして何か違和感を覚えた。


 出入りに使ったのはホテルの正面にある、はめごろしの窓だ。今はガラスが割られていて、亜矢たちが撮影に入る際にもここを使ったらしい。


 刹那は足下に懐中電灯を向けた。


 そこにはガラスやタイルの破片が散らばっていた。恐らく、はめごろしの窓ガラスと、もともとこの場所を覆っていたタイルががれた物だろう。


 足でそれをどけてみると出入り口に使った窓の前が、土がむき出しになっている。


  これって……


 刹那は大きめのタイルの破片を見つけて土を掘り返してみた。


 予想通り土は柔らかく、小さなはこが埋まっていた。


 思わず溜め息が出た。


 とにかく自宅に戻りひとまず寝よう、後の事はそれからじっくり考えよう。


 霊との会話は体力を使う。いや体力と言うより精神力かも知れないが、要は凄く疲れるのだ。


 それに加えて、今回の依頼は想像していたより遙かにやっかいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る