突風
増田朋美
第一章
突風
第一章
蘭は、買い物に行くため、静岡に出かけていた。富士に比べて静岡には有名な百貨店もあり、ずいぶんにぎやかな町である。と、いうことは、人が集まるわけだから、いろんな人がいるということになる。金持ちの人、貧乏な人、重い人軽い人と人はいろいろ。そんな人たちの思いが交錯して、町という物が出来るのだ。
静岡の町もずいぶん変わった。大規模な百貨店はいつの間にか撤退し、代わりに庶民的な物を売っている、ショッピングモールばかりが並ぶようになっていた。商店街を形成していた、小さな老舗の店たちは衰退し、それを押し付けるように、大きなショッピングモールが建設されていたのであった。
「さて、帰るか。」
と、蘭は、静岡駅に向かった。富士駅と違って、静岡駅は、本当に人が多い。絶えず、人が流れている。
蘭は、その中をかき分けるように、東海道線乗りばに向かった。先ず、スイカを口にくわえて改札口をとおり、車いすエレベーターに向かう。そして、一苦労してエレベーターに乗り込み、ホームへ突入する。之だけ人の多い駅なのに、なぜかみな、せかせかとしていて、蘭を何とかしようとしてくれる人は誰もいない。都会になると、みんな自分の事ばかりになってしまうのだろうか。それではいけないと偉い人が何度も呼びかけても、そうなってしまうようなのだ。
蘭は、駅員さんにお願いして、次の電車に乗りたいので、渡坂を用意してくれと頼んだ。駅員はぶすっとした顔をして、はい、わかりましたよと言った。まるで電車に乗らないでくれと言っているような感じの顔だった。全く、都会の駅は、どうしてみんな嫌そうな顔をしているのだろう。そうじゃなくて、笑顔で対応出来ない物だろうか。富士駅であれば、少なくとも、穏やかな笑顔で向かえてくれる筈なのだが。
「どちらまで乗っていきます?」
駅員がそう聞いてきた。
「はい。富士まで。」
蘭が要点を言うと、
「わかりました。」
と、駅員は、車いすのお客様が一名乗車すると、無線で連絡を始めた。こういうネットワークがしっかりしているのだけは、ありがたいかもしれないが。
数分後。電車がやってきた。三両編成の熱海行きの電車。之なら確実に蘭を富士まで連れていってくれる。
駅員は車いす渡坂を用意してくれて、蘭は電車に乗った。電車はすごく混んでいた。蘭がはいると、おしくらまんじゅうだ。そのような電車のなか、こいつがいなくなってくれたら、もうちょっと沢山の人が乗れるのによ、と、言いたげな顔をしている人も少なくない。なので蘭はいつも首を垂れて、申し訳なさそうな顔をしている。
「本日、車いすのお客様がご乗車いたしました関係で、発車時刻を二分ほど遅れて運転いたして降ります。お急ぎのところ、たいへんご迷惑をおかけいたします、、、。」
何て車内アナウンスが鳴った。蘭はまたがっかりと落ち込む。二分何て、そんなに大した遅れじゃないじゃないかと思うのだが、こうやって謝罪のアナウンスを流すのか。外国ではこのようなアナウンスはしないと、聞かされたこともよくあるが、全く、なんでおくれたのを、僕のせいにするんだろう。と、困ってしまう時もある。
何よりほかの乗客たちが、きつい目つきでにらみつけるのが蘭は嫌だった。二分遅れるだけなのに、こいつ!電車を遅らせやがって!みたいな顔をして、にらみつけてくるのだから。
本当に、日本の社会は、蘭のような歩けない人間に対し、冷たいというか、排除してしまう傾向にあるようだ。其れはやっぱり、働かざる者食うべからず的な風潮が、しっかり支配しているためだろう。どうしても、働いている人を偉い人として、働いていない障害者を、馬鹿な人としてしまう傾向があるようである。
「まもなく富士駅に到着いたします。御降りのお客様はお仕度をお願いいたします。本日は障碍のあるお客様がご乗車いたしました関係で、二分ほど遅れて到着いいたします。お急ぎの所、お客様にはたいへんご迷惑をおかけいたしました。」
最後の一文だけ余分だよ。と、蘭は思いながら、一つため息をついた。
大勢の乗客を乗せた電車は、今日も疲れた顔をして富士駅のホームへ止まる。
「富士、富士です。御降りの方はお忘れ物のないよう、ご注意ください。」
富士駅のホームには、駅員が車いす渡坂をもって待機していた。今回は、余りにも人が乗ってい過ぎたせいで、駅員のにこやかな顔がよく見えなかった。
ドアが開いて、蘭は降り口に対して自分はお尻を、向けていることに気が付いた。それではと、車いすを方向転換しなければならないのであるが、この混雑ぶりでは其れは出来なかった。
「すみません。ちょっと、車いすのお客様を出したいので、何にんかの方は一度出ていただけないでしょうか。」
にこやかな顔をした駅員が、そう言ったのであるが、
「何だ、また遅れることになるじゃないか。」
と、不機嫌な顔をして、一人の乗客が言った。ほかの乗客も、嫌そうな顔をして彼のことを見つめている。一人がなにか言うと、ほかの客も一緒に嫌そうな顔をしてしまう。その中で笑ったりすれば、たちまち非国民とされてしまうのが日本社会だ。
「すみません。すぐに出しますので、そとへ出ていただけないでしょうか。」
駅員がもう一回言うと、ちぇっと言って、何人かの客が外へ出た。駅員は手ばやく車いす用渡坂を電車とホームの隙間に敷く。すると、蘭の車いすを誰かが掴んだ。誰だろうと、蘭は後を振り向こうとするが、そのまえに車いすは、うしろへ動き、電車のそとへ出てしまった。それを、駅員が、受け取って、車いす渡坂のうえをバックで移動させ、ホームの上に立たせる。そして、あの嫌そうにしていた乗客たちが、全員電車に乗り込むと、電車はじゃあまたね!と言いたげに走り出してしまった。
「いや、困りますなあ。本当に、二分か三分遅れたっていいのにねえ。なんであんな言いかたしかしないんですかねえ。」
あれ、何だか聞き覚えのある声色だった。ちょっと発音こそ違うけれど、たしかに聞き覚えのある声である。
「ああしてたいへんご迷惑をおかけしました何ていう言い方するから、みんなが迷惑とおもっちゃうんですよ。まあ、行ってみれば、一種の洗脳教育ですねえ。」
彼がまたいうので、蘭は、あらためて後を振り向いた。
「あれれ、、、?」
どこか見覚えのある顔である。
「あ、あれえ、どっかで見たことのある顔だと思ったが、やっぱりお前だな。」
その人物も蘭がだれであるのかわかったらしい。
「ほら、覚えていないかい?小学校で同じクラスだっただろう?みんなからマーシーマーシーと呼ばれていた、正志だよ、高野正志。」
と、彼は言った。
「高野正志?」
蘭は、一生懸命思い出そうとした。たしかに高野正志という生徒が、小学校時代いたことは覚えている。しかし、ここにいる男性は、蘭が、覚えている高野正志とは全く違っていた。小学校時代の高野正志は、早くから髪を染めたり、ネイルをしたりして、よく教師から問題児として、よく話題に上っていた。保護者会でも、早く転校でもさせろと、保護者から、よく言われていた。たしかに金髪は問題であったが、家が貧しいために他の生徒からからかわれるのを防ぐため、見栄を張って髪を染めている、という理由もちゃんとあった。秋山先生は、頭ごなしに叱って、時には丸坊主にしたこともあったけど。
そんな高野正志と、この男性はぜんぜん違う。でもたしかに、声の感じから判断すると、高野正志の声。
蘭は、面食らってしまった。
「あら、蘭さんとマーシー、お友達だったのか。そうか、其れなら話は早いよな。全く、すべてこっちが悪い何ていう言い方をしないとね、もう変なことをいう客が多いんですよ。ほんとに、すみませんね。」
手伝ってくれたのは駅長さんで、富士駅でも、優しいことで有名な人物であった。杉三が何回も、お世話になっている事で、蘭は非常に困ってしまったこともあった。その駅長さんにも、彼はマーシーというニックネームで知られているらしい。
「おう、むかしの古い知り合いなんだ。小学校時代、同じクラスだったんだよ。あのころは、すごい不良少年として知られていたから、蘭も更生した後の事は、覚えてないだろうね。」
と、マーシーは、にこやかに笑って、駅員に言った。
「更生どころか、今のマーシーは、そうやって人助けが出来るほどの、いい男になっちゃったじゃないか、今時の若い奴らとは、比べ物にならないぞ。」
ははは、と笑う駅長に、蘭は何か違和感を覚える。
「駅長さん、ここに誰かが忘れてったみたい。傘が置いてあるんですが。」
ふいに、一人の女性が、駅長さんに声をかけた。
「じゃあ、蘭さんは、僕が上の階に連れていきます。駅長さんは、早く忘れ物を取りに行ってください。」
マーシーがそういうので、じゃあ頼むよ、と駅長さんは、その女性と一緒に忘れ物を取りに行く。
「じゃあ、蘭、ある程度人が行ってからのほうが、安全だろうな。よし、そしたら、車いすエレベーターで、改札口へ行こうか。」
そういうマーシーの言葉には、どこにも不良のような言葉は全くなく、普通の人間とほとんど変わらなかった。駅長が、更生したというのもよくわかる。
蘭は、本当にこの人がマーシーなのかわからなくなってしまったほどだった。まさしく蘭にとっては、大きな突風が吹いた位の驚きであった。
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