第7話 <寡黙な刃>

 それは月が影を纏った夜のことだった。

 海上都市中央地区にある都市公園『海楼かいろう園公園』。南北4km、東西2kmの広さを持つ、世界最大面積を誇る日本庭園である。公園内は自動車での通行が禁止されており、週末の昼間はジョギングやサイクリングをする人々で賑わい、芝生エリアなどではスポーツを楽しむ人も少なくない。


 しかしそれは仮の姿でしかない。

 夜の海楼園公園はARゲーマーの聖地と呼ばれる“プレイエリア”へと変貌する。公園“全域”がAR専用のフィールドとして扱われ、気軽にゲームを楽しむことができるようになるのだ。

 現在はゲームタイトルの人気の度合いによって土地フィールドの占有率が変化し、AWが最大の50%――『東エリア』南北2km、東西1kmを獲得し、FPS系統が40%、他が10%となっている。


 プレイエリアと一口に言っても公園に入った瞬間にゲームが始まるわけではない。プレイエリアは大きく分けて3種類の領域で構成されており、


 ウォッチングロード(WR)――これは公園の遊歩道のことであり、ユーザーが自分のやりたいゲームエリアまで移動するための道のことである。もしくはゲームに関係なく、ユーザーではない一般の通行人が遊歩道そのものとして使用するための道でもあるため、当然ながらゲームは禁止だ。

 

 コネクトルーム(CR)――ルームと言っても部屋があるわけではない。ウォッチングロードの外側、バトルエリアとの境界線を指す。<アーチ>とアーティファクトをコネクトする領域であり幅は5mほど。そこで安全装置アーティファクトを着てからバトルエリアに入ることができる。


 バトルエリア(BA)――その名の通り戦闘エリアのことだ。普段はスポーツを楽しむことができる芝生エリア等がゲームをする場所に一変する。実際にゲームを始めることができるのはこのエリアからとなる。


 簡単にまとめるとWRがロード画面、CRがゲームタイトル画面、BAがゲーム本編といったところだろう。ゲーマーの間ではウォッチングロードを歩くことをroadとloadingをかけて“loadロード中”と呼ぶこともある。

 と、まぁ、こうして3つに分けることでARゲームの安全性を高め、事故を防止しているわけだ。

 ARゲームに疎い人間だとウォッチングロードの必要性がこの時点ではわからないのだが、むしろプレイエリアで一番重要な領域がこれである。

 なぜなら、公園――ウォッチングロードに入った瞬間に己のアバターがランダムで生成され、プレイヤー全員が匿名状態になるからだ。これは個人情報保護を目的とした機能であり、一瞬にして自分をテーマパークの住人のような姿形にしてしまう。これでリアル割れを防ぎ、トラブル回避に一役買っているのだ。


 <アーチ>を外したり相手に外されたら終わりじゃね? と、思う人もいるかもしれないが、それは無駄な行為だ。海楼園公園という場所そのものが巨大な<アーチ>として機能し、人間の視覚情報に影響を与えるため個人の<アーチ>の有無は関係ない。

 これはAR公式大会で使用される強制エリアのことであり、個人情報保護領域(privacy protection field)通称PPFとも呼ばれている。

 俺のリアルが割れていないのはこれのおかげだ。


「あれが例の『辻斬り』一派か」


 遊歩道に据えられたベンチに、毛むくじゃらで何を描いたのかよくわからないアバターが座っていた。

 ……ま、俺なんだけど。イエティ……なのかなぁ……これ。ランダムアバターはコミカルな見た目の所為で元の原型がよくわからないんだよなぁ。


『そのようね。ロードから特定のアバターに目を付けて、エリアに入った瞬間にPvPを迫る』


 音声チャットから雪菜の声が聞こえる。

 『辻斬り』について話をしてから数日後。彼女から「今夜、『辻斬り』を行っているユーザーが現れるみたいだけど見に行く?」とチャットで誘われたのが今日の昼間、学食を食べている時のことだった。

 視線の先には初心者らしき足取りのアバターが1人と、距離をとりつつ追いかける3人のアバターがいた。


「ストーカーみたいだな」

『ほんとね、ロード中にアバターを追う行為はご法度なのに、非常識なユーザーだわ』

「……」

『あら? どうしたのかしらご主人様? そんな「どの口が言ってんの?」みたいな顔をして』

「顔は見えないだろ」

『私がご主人様の顔が見えない位置にいるわけないじゃない』

「あ、はい」


(そこまでするなら音声チャットじゃなくて隣に来て話せばいいのに……大会前はAR内でもよく会ってたし)


 そうなことを考えながら初心者さんのスライムアバターを眺める。

 あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、どうやってARゲームをやればいいのかわからないのだろう。ひょろ長に伸びたスライムがくねくねと動き回っては、時折バトルエリアを確認するように覗き込んでいる。中のプレイヤーが首を傾げている姿が容易に想像できてとても可愛らしかった。


「……このままじゃ『辻斬り』じゃなくてただの初心者狩りじゃないか?」

『それを狙っているのかもしれないわ。“鬼”が姿を現すまで狩るのをやめない――ってね』

「ん~釣られる理由にはならないなぁ……あ」

『コネクトルームに入ってしまったわね』


 初心者スライムがずるずるとロードの外へ消えていく。

 コネクトルームにいる間はユーザーの姿が見えなくなる。アナザーワールド専用のアバターに変身するところを他のユーザーに見られないようにするためだ。

 もちろん、入った位置から直線状に進みバトルエリアに出てしまえば――


「あの銀色の妖狐アバターが初心者スライムの人か」


 簡単に割り出せてしまう。

 初心者がやりがちなミスだ。


(とは言っても気にしないユーザーがほとんどだし、こだわって出る位置を変える人はあまりいないけどな)


 しかし、今回のように初心者狩りにロード中に追われていた場合は致命的だ。

 案の定、妖狐アバターを追うようにぞろぞろと厳つい格好をした男たちが出てくる。いかにも悪役ヴィランといった出で立ちのチームだ。そういうロールプレイなのだろう。

 だが、アナザーワールドでは熟練者によるPKはあまりお勧めできない。なぜなら、まず大前提としてPKそのものにメリットがないこと。さらに相手が初心者だった場合はペナルティーまで課せられてしまい何の得にもならない。自己満足に等しい行為だからだ。しかも、初心者の基準はプレイ期間やプレイヤーのレベルではなく、運営独自が定めた基準に準ずるためプレイヤー個人では判断ができない。1週間で初心者マークが消えた人もいれば1カ月かかった人もいる。

 

「……やっぱりすぐに斬りかかるわけじゃないか。話をしてるみたいだし……雪菜、あいつらの会話って拾えるか?」


 ではなぜ、そんなアナザーワールドにも初心者狩りという言葉が存在するのか。それは――


『御明察のとおりよ。練習と称してPvPを提案しているわ』

「ペナルティーなしで狩るならそれしかないからな」


 PvP方式ならば両者の同意のもとで行われる決闘なのでペナルティーなどは存在しない。初心者を相手に楽しみたいのなら騙すしかないということだ。


「ま、嫌な思いはするかもしれないがこれも経験だと思ってもらおう。安易にPvPは受けるべきではないってね」

『あら? 助けに行かないの?』

「俺は正義の味方でもなんでもない、ただの“鬼”だよ。女の子が男3人に囲まれてる絵面は見ていて不愉快だが、これはゲーム。中身が見た目通りとは限らないし、よっぽど酷いことは起こらない。それに今は<アーチ>による監視社会の時代だ。犯罪につながる可能性もほぼゼロ。AW運営スタッフも常駐しているし、トラブルがあっても対処してくれる。赤の他人のために俺が介入する必要なんてないさ」

『心配ないって言う割には饒舌じょうぜつなのね』

「……」

『ご主人様のそういうわかりやすいところ、好きよ』

「恥ずかしいからやめてください」

『ふふ、わかりました』


 でも――と雪菜は続ける。


『あの銀狐ちゃん。ご主人様がこの前出会った黒髪美人さんよ?』

「……――は?」


 この前出会った黒髪美人さん……? って、あれか? アーティファクトを買いたいけど文字が読めなくて困ってた帰国子女(仮)さんのことか?

 どうして“あの娘”と出会ったことを知ってるんだ、と問い詰めたとしても雪菜に対してそれは愚問だ。俺も彼女のハッキング能力に頼っているの手前、責めるつもりもない。

 だが、聞くべきことはある。


「根拠は?」


 ロード中のランダムアバターでは中身がわからない。あの娘が銀色妖狐の女性アバターをアナザーワールドで使用しているという情報もない。

 なぜ、雪菜は黒髪美人と妖狐アバターを結び付けたのか。それがわからなかった。


『だって、口癖なのか「クー」って可愛く鳴いてるし、それ以前に声がそのままよ。私たちと同じで変声してない』


 私たちって……そこは建前でも「ご主人様と同じ」と誤魔化すところだろう。ほんと、隠そうとしないよなユカナ。


『……ふふ、急に立ち上がってどうしたの?』

「愚問だ。助けに行く」

『助けるのは知り合いか友達だけってお話でしたね』

「彼女は……」


 思い出す。出会ったばかりの俺に友達だと言われて口元を静かに綻ばした彼女のことを。

 あんな笑顔を貰ってしまった以上、あの娘と俺の間に友人以外の関係性なんてあるわけがない。


「彼女とは……これからはゲーマー仲間にもなるだろうな」

『城の中が少し賑やかになりそう』


 マイホームに招くことができるのはフレンドとギルドメンバーのみ。どちらの意味で雪菜はそう口にしたのか。彼女のその言葉は俺たちの未来さきを見通しているような言い方だった。

 だから俺は無言で頷き、そのままコネクトルームに進入した。


「コネクト」


 腰――ではなく“背中に背負った刀の柄を握る”ような動作。

 授業用とは異なる、ARアナザーワールド専用のアーティファクト起動キーだ。

 一瞬にして安全装置であるパワードスーツがアーティファクトによって形成され、俺の身体を包み込む。そしてそれを上書きするように<アーチ>がAR拡張現実化させる。VR版と同じ普通の忍び装束。

 だが、これでは駄目だ。


「コール、アシストキャラ・ナンバー01、氷菓」


 先日買ったばかりの拡張コンテンツを使用すると、ポンという可愛らしい音と共にデフォルメされた三頭身の手の平サイズ氷菓が俺の目の前に現れた。


(初めて使ってみたけど可愛いな、これ。しかもゲーム中だけじゃなくて日常生活でも使用可能。暇なときは話し相手にでもなってもらおう……)


「お呼びでしょうか、御館様」

「サポートしてくれ」


 VRの住人をARとはいえ現実世界に持ち込む機能。そんな日々の進歩に驚きつつも感動している時間はない。


「現在の防具を装備マイセットの02番防具に変更。俺の大会出場データを参照して倉庫から対人戦専用アイテムをピックアップ。俺の【袋】に入れておいてくれ」

「かしこまりました」

『や~ん、私もご主人様のお着換えをお手伝いした~い』

「雪菜、自重してください。ゲーム内では貴女の出る幕はありません」


 音声チャットへの介入にツッコミまでできるなんて最高だ。俺だけではツッコミが追い付かないからな。後で買ってよかったとレビューしておこう。

 そんなことを考えている間にも、浮遊した氷菓が俺の周囲をくるくると回り、【脚】【腰】【胴】【腕】と順々に触れていく。

 すると真新しかった忍び装束が使い古したようにぼろく傷み、おどろおどろしい姿形へと変貌していく。氷菓が腐らせているわけではない。俺が先程まで装備していた防具の一段階手前・・・・・の物と交換しているのだ。

 まるで落ち武者ならぬ落ち忍びのようなこの格好こそ、俺がARで使用する装備であり、テレビで見た“鬼”と同じ装備だ。


「……」


 氷菓に防具を任せている間、俺は手元に出していた武器倉庫の表示枠をスクロール。

 目当ての得物【鬼狂きぐるい野太刀】を見つけ、『装備しますか?』という選択肢に対し左手で『はい』を押す。するとさらに『本当によろしいですか?』という普通の武器・・・・・には出てこない、プレイヤーのミスを防ぐ選択肢が表れた。俺は慣れた手つきでまた『はい』と押した。

 その瞬間――


「――っ」


 ずっと背中に回していた右手が、急に誰かに掴まれたかのように固定され、動かなくなった。そしてアーティファクトからは自分が武器を握っているという感触が伝わる。

 これで準備は整った。後は……、


「御館様」


 最後に付ける【頭】防具――赤い鬼をかたどった総面を氷菓から手渡される。


「御武運を」

「あぁ、ありがとな」


 白い風を纏いながら収縮するように氷菓が消えていく。残ったのは細氷さいひょうのような氷のきらめき。

 それを横目に俺はバトルエリアへと向かい歩き出した。

 総面を付けようとするとまた『装備しますか?』の文字。しかし両手が塞がっているため選択肢を物理的に押すことはできない。それを認識したゲームプログラムが選択肢ではなく『装備する場合は仮面を顔に押し付けてください』という指示を改めて表示した。そしてまた『本当によろしいですか?』という警告。

 俺は迷うことなく総面を顔に押しつけ続ける。

 すると、『あなたは――』という見慣れた通知が表れたが、確認する必要もないため最後まで文字は読まなかった。


「今日は沼地か」


 総面に手を当てたままコネクトルームを出てバトルエリアへ。視界に広がったのは薄暗い湿地帯フィールド。肌寒さを感じさせる風が吹き、禿はげた地面にかすかに残っている草木を揺らす。泥濘ぬかるみとなっている足元は酷く歩きづらく、歩くたびに泥が跳ねていた。

 

「彼女は……あれか」


 銀色の妖狐アバターは目立つのですぐに見つけることができた。

 決闘が始まってしまうと他のプレイヤーは邪魔することができないため、急いでコネクトしたんだが……どうやら間に合ったらしい。まだ戦う様子はない。

 だが、安心することはできない。

 初心者狩りチームはまだ彼女と話をしているみたいだし、いつ狩られてしまうのかわかったものではない。それに他のプレイヤーの眼もある。


(……早速注目されてるな。こんな奇抜な装備は他にいないだろうし、よっぽどの物好きかコスプレ……もしくは本人・・だと思われてるのかもな)


 めっちゃ指差されてるし、仲間内で俺が何者なのか話し合っているのだろう。

 あまりのんびりしている時間はなさそうだ。

 本当は目立たずにPKできたらいいんだけど、今回は抜刀するには近すぎてどうしようもない。

 俺は静かに右腕に力を込め、引き千切るように・・・・・・・・抜刀を始めた。すると――


『ギィエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!』


 刀から鬼が発狂したような叫び声とともにブチブチという肉が裂けるような気色の悪い音が耳元で鳴り響いた。

 当然、これはゲームでありMMOだ。叫び声は周囲のプレイヤーの耳にも届き、何事かと辺りを見回すことで俺の存在に気付くことになる。


(これなぁ……普通に抜刀すると毎回叫ぶんだよなぁ……恥ずかしい)


 俺が愛用している妖刀【鬼狂い野太刀】には、無銘だった野太刀が鬼を斬り、殺した鬼の魂が憑依した――という設定・武器ストーリーがある。だから抜刀するたびに斬られた鬼が痛みを思い出すため、刀が叫び声を上げるのだとか。

 ……うん、いい迷惑である。

 ただ、今回はそれが功を成した。

 あまりにも気持ち悪い悲鳴がフィールドに轟いたため銀狐と初心者狩りも会話を中断して俺の方を見詰めている。

 初心者狩りたちは俺の姿に見覚えでもあるのか、驚きと好奇の色が瞳に浮かんでいた。

 逆にあの娘――銀狐はちょっと怖がっているのか、びっくりしたように頭の上ある狐耳を抑えていた。


(……これ、助けに行くのはいいけど逃げられたりして)


 銀狐と俺による鬼ごっこが始まってしまうのではないか。そんな危惧も抱いたが、今はPKを狙うことに専念する。

 【鬼狂い】を鞘から振り切ると悲鳴が止み、今度は鞘が青く燃え尽き俺の左手へと纏わり付く。【鬼火の鞘】と名付けられた異形の手。青い炎は武器であり盾、そして鞘としての役割を担っている。

 これで準備完了。後は斬るだけだ。


「――!? おい! 嘘だろ!?」


 初心者狩りの3人組の1人。中央にいたリーダーらしき男が驚いたように声を上げた。

 今までは遠くて彼らの声は聞こえなかった。だけどさすがに、一瞬で距離を詰めればそれも関係ない。


「……え?」


 俺はそのまま隣にいたデブアバターに飛びかかり、頭を鷲掴みにしてそのまま逆立ちする。そして彼の首筋に狙いを定め【鬼狂い】を突き刺し、一気に身体を斬り裂くように地面へと着地した。


「……うえ!? 僕、もう死んだの?」


 AR版アナザーワールドのPK版デスペナルティーは【行動制限】のみ。VR版の場合はマイルームに戻されるだけなのだが、AR版はゲーム内ではないためそうもいかない。ARプレイヤーは基本的に死んだ地点から半径3メートルまでしか移動できず、攻撃行動をしても反映されない。そして自分の<アーチ>が示す【回帰の道】という特別に移動できるルートを辿って最寄りのコネクトルームへ徒歩で戻らないといけないのだ。これは地味だがなかなかに面倒臭い。しかもその後に3分間のインターバルも設けられてしまう。


「てめぇ! 急になにしやが――」


 飛び掛かってきたチビアバターの攻撃を刀でいなし、そのまま武器を弾き飛ばす。

 短剣が宙を舞い、男は呆けたようにそれを目で追っていた。


(隙だらけだぞ)


 そんな指摘を心の中でつぶやきつつ、首を一閃。素肌を晒している部分には防具による防御力上昇効果はつかない。そのためフルアーマーでもない限り首は弱点となる。彼もまた一撃でHPが0になってしまったようだ。


「あ、あ、あぁ!? ふざけんなよ! おい!!」


 一瞬で倒されて怒り狂ったのか、チビアバターの人は死んでもなお俺に飛びかかろうとしてきた。

 それはかなり悪手だからやめた方が――


「やめろ馬鹿野郎!」

「あ、う、リーダー……」

「死んだんだろ? 【行動制限】中に他のプレイヤーを妨害してみろ。何週間謹慎になると思ってんだ。下手すりゃBANだぞ」

「す、すいやせん」

「大人しく【道】に従って帰れ。後は俺がやる」

「う、うっす」


 すごすごとチビとデブのアバターがルームに帰っていく。デブリーダーチビとなんて絵にかいたような悪役だろうか。堂に入ったロールプレイだ。


「悪かったな<ノーネーム>さんよ。まさか俺たちが狩られる側になるとは思いもしなかったからビビっちまってさ。仲間が粗相をするところだったぜ」

「……」

「でもあんたも悪いんだぜ? PKなんてメリットもねえことをいきなりやってきて、俺たちを脅かすんだからよ」


 俺の様子を窺うようにリーダーの男は漆黒のコートの内側から双剣を引き抜く。

 ……どっかでみたことのある戦闘スタイルだな。その格好をするなら正義の味方を演じてほしいところだ。


「だんまりかい。それとも大会の後に名付けられた二つ名で呼んだ方がいいのかな? 初代ブレイブ優勝者<寡黙な刃>さんよ」


(恥ずかしいからやめて)


 とは口に出せない。

 それに俺が喋らないから二つ名に“寡黙”とついた――わけではない、と否定するのも面倒だ。


「喋らないってのはあれか? 身バレ防止の変声を忘れてたってやつか? ……まぁどうでもいいけどよ。『辻斬り』にも飽きていたところだ。まさか『初心者狩り』をすればに本物に会えるなんて思いもしなかったよ」

「……ク~? 初心者、がり? わたしのことですか?」


 今まで黙っていた妖狐アバターの彼女が疑問を口にする。どうやら言葉の意味は分からなかったようだが、リーダーの視線が自分に向いたことで、なんとなく渦中であると把握できたのだろう。


「おう、嬢ちゃんありがとな。おかげで俺は“鬼”とエンカウントできた」

「おに……」

「こいつはあんたが俺らに倒される前に助けに来たってことだ」

「クー……」

「あーホント何も知んねぇ初心者ちゃんだな。この俺でもちょっと心配になるぞ……」


 俺も不安だ。

 というかアナザーワールドは基本的に最初はVRでレベルを上げて遊び、さらに新しい世界を求めるためにARをやるのだ。順番が間違っている。AR初心者どころではなくアナザーワールド初心者では荷が重すぎる。

 最初に教えておけばよかったなぁ……と絶賛後悔中だ。


「まあいい、ここまできたら受けるだろ? チャンピオン」


 俺の目の前に【決闘】の申込状が表示された。

 報酬も制限もない。ただ相手と戦いたい、というだけの申し込み。

 どうやら彼は俺と戦うために『辻斬り』などをやっていたようだ。

 ――さて、どうしたものか。


「その【決闘】を受ければ俺たち3人は今後一切『辻斬り』――自分からのPKや初心者狩りはやらないと誓う」


 俺がすぐに動かなかったからか、そんな条件を提示してきた。


「もちろん、今後アナザーワールドでPKをする価値が出てきたら約束はすぐに反故にしちまうけどな。そんなことありえないだろうけど」


 口約束か……ただまぁどちらにしろ受ける受けないにしても倒す必要があるし、ここはそれに乗ったていで動くことにしよう。

 ポチっと『了承』ボタンを押す。


「へっへっへ、話がわかるねぇ」


 沼地フィールドのバトルログ――フィールドにいる全ユーザーが戦闘が行われた形跡を確認・閲覧ができるウインドウに『【決闘】<黒のクロス>VS<寡黙な刃> 開戦まで残り30秒』のログが流れる。

 その瞬間、あちこちで悲鳴に近い歓声や驚きの声が上がり、一気に注目度が増してしまった。

 俺の二つ名はこれで確定なのね……しかも何気に相手も二つ名持ちか。油断するつもりはなかったけど、さらに気を引き締めないと駄目だな。


「危ないから下がってて」

「……! はい!」


 妖狐アバター……名前がわからないから銀狐さんでいいか。

 銀狐さんにだけ聞こえる声で後ろに下がらせ、【決闘】の場所を確保する。<アーチ>を通して映し出される半径15メートルの円形の赤いライン。それがゲームが用意した簡易の【決闘場】であり、他のプレイヤーは入ることができない。

 他のプレイヤーにとっては邪魔でいい迷惑でしかない【決闘場】。その発生には制限があり、同じフィールド内では6個以上作ることができない設定となっている。『辻斬り』が迷惑がられていたのも、この【決闘場】を利用することが多かったためでもある。

 普段は「勘弁してくれ」と煙たがられる【決闘】だが、今回は観客が多い。耳を澄ましてみると俺の戦いを間近で見られてラッキーだのなんだのと和気藹々とした意見が多いようだ。

 

「……」


 やっぱり、もうこの姿でARゲームをするのは難しいな。

 二つ名も定着しちゃったし、装備も覚えられてしまった。

 次の賞金が出る大会がはっきりするまでは、大人しくしていよう。


『5』


 そんなことを考えている間にカウントダウンが空中に表示された。観客も乗りがいいのかそれに合わせて合唱している。そして『4』『3』『2』『1』と時が進み、


『始め!』


 【決闘】という名のPvPが始まった。

 先に動いたのはリーダー改め<黒のクロス>だ。


「――ッシ」


 二刀流による連撃。

 格好をつけているだけではない舞うような剣戟は、さすが二つ名持ちといったところだろう。俺はそれを【鬼狂い】で弾き、【鬼火の鞘】で受け流し、身を翻すことで全てをなす。

 そして連撃が終わった隙を突き、物のついでのように回し蹴りを放つ。すると<黒のクロス>が勢いよく吹き飛んでいき元の位置へと戻っていった。


「ははっ、マジかよ! お前マジかよ!! 俺の補正付ほせいつきの連撃を全部ノーダメージで受けきるとかやべぇよ!」


 受け身をとった<クロス>が興奮したように叫ぶ。それに引っ張られるように観客たちは歓声を上げた。

 俺自身も、大会で得られたあの時の熱を思い出し、プレイヤーとしてこの状況を楽しんでしまいそうになった。だが、目的はあくまで銀狐だということを忘れてはいけない。


「……」


 横目で確認すると、彼女は心配そうな目でじっと俺のことを見ていた。彼女からしてみれば初心者狩りに突然【決闘】を申し込まれたところに、よくわからない鬼の総面をかぶった男が乱入してきた――という謎の展開だ。誰が敵で味方かもわからない状況で、俺を心配する理由はないはずなのだが……、


「おいおい! <寡黙>さんよぉ! さっさと戦おうぜ!」


 <クロス>は随分と好戦的な性格らしい。

 アイテムなどを使用する素振りすら見せず、その双剣のみで俺へと立ち向かってくる。

 俺はそれに合わせてカウンター気味に疾走し、


「――なに!?」


 彼が腕を振りかぶる前にがら空きの胴体目掛けて【鬼狂い】を横に薙いだ。刀身――攻撃エフェクトが<クロス>の身体をすり抜けるように流れ、彼のHPを6割以上ごっそりと抉っていく。


「ダメージがああああ! 半分どころじゃねえええええ!?」


 鎧の上からでも致命傷のその威力は対人戦ではありえない数値だ。周囲も「えげつねぇ」「まるであれだな……」「チーターやん」など好き好きに呟いている。だが彼らも1人のプレイヤー。本気で俺をチーターだと疑っているわけではない。俺の化物みたいな火力のカラクリを彼らは知っている。


「――すげぇな、お前」


 そして目の前の彼も同様だ。


「アナザーワールドの“呪いの装備”を使いこなすやつなんて初めて見たぞ俺は。噂は本当だったんだな」

「……」


 呪いの装備。

 RPGなどでは定番の装備したら外れなくなったり状態異常が付加されたりするアレである。バッドステータスが付随する代わりにトップアイテム以上の性能を発揮するロマン装備。

 MMORPGを謳っているアナザーワールドにおいても数々の呪いの装備が存在するが、その扱いにくい性能はプレイヤーの頭を悩ませ、一種のネタ装備と揶揄されることしかなかった。

 普通のプレイヤーなら普通に強い武器を使った方が強い。

 なら、普通じゃないプレイヤーであればどうか?


「お前が装備している防具、知ってるぞ。【彦夜城ひこやじょう】にいる【鬼斬りの宗政】がドロップする忍び装備。物理攻撃力を爆上げする代わりに魔法攻撃力・・・・・をゴミみてーにさげる産廃だ」


 彼が言う通りこの防具を装備すると魔法攻撃力がほぼ無に等しくなる。でも俺には関係ない。最初から魔法攻撃力――魔力が0・・・・の俺には関係のない話だ。


「防御力は見た目通りの紙装甲。脳筋御用達の装備の癖に接近戦には向いてない。魔力が下がった分だけ他のステータスにも悪影響を与える。「誰が使うんだこの装備」って最初は思ったぜ」


 俺だよ。

 俺の場合は下がる魔力もなかったから他のステータスには無事だったけどな。後は<師匠>とひたすら攻撃をさばく練習あるのみだ。


「……」

「――喋りすぎちまったようだな、いいぜ。決着をつけようじゃねーか」


 俺が刀を構えなおすと<クロス>も剣を構えた。

 ……正直、彼の戦い方はよくわからない。俺のことを調べてあるなら遠距離から魔法を放つなどをして責めればいい。大会の対戦相手もほとんどがそんな感じだった。


(決勝の<覇王>はちょっと違ったけど)


 なんとなく<クロス>は剣だけで戦いたがっているように思えた。

 それが舐めプなのかどうかは俺にはわからないが、その戦い方に応えた方が後腐れ無く引いてくれそうな気がしたので俺もアイテムなどは使用しないことにした。

 そして――先に動いたのは俺だった。


「……」


 相手に対し一直線に突進。

 敵が振った剣を弾き返し、がら空きとなった懐に掌底を打ち込む。前屈みになりながら後退していく<クロス>に追い打ちをかけるため、俺は一度、刀を納刀――しようとしてやめた。


「……ち、【技】を使うほど強くねぇってか」


 舌打ちが聞こえ、すぐ後に剣が飛んできた。

 作戦か八つ当たりか。俺には判断できなかったが丁度いいタイミングだったのでそのまま弾道を見切り、【鬼火の鞘】を纏った手で掴み取り投げ返した。


「ウソだろ――」


 飛び道具と化した<クロス>の剣が彼の額に突き刺さる。

 その瞬間、HPはゼロとなり決闘はあっけなく終了した。空中には『勝者<寡黙な刃>』の文字が浮遊し、勝利のファンファーレが鳴り響いている。

 ……ま、こんなもんかな。


「――ちくしょう、完敗だ」


 頭に剣を突き刺したままのシュールな絵面で<クロス>は悔しがっていた。

 ここで笑ったら敗者を煽ったようになってしまうので、俺は堪えるのに必死だ。勘弁してほしい。

 左手の親指と人差し指の先をくっつけ鯉口を作る。それが【鬼火の鞘】の1つの機能であり、【鬼狂い】を納刀するための動作だ。

 

「一回ぐらい戦闘中に・・・・納刀させたかったんだけどなぁ……」


 刀を仕舞う動作を眺めながら<クロス>はそんなことを呟いた。

 どうでもいいけど、そろそろ帰っていいですかね。俺は喋るつもりはないんで何か言ってほしい。何もないなら俺は自分の用事をすませるだけなんだが……。


「……あーどこまでも“寡黙”なんだな、あんた。俺的には物足りねーがチャンピオンと戦えてよかったよ」

「……」


 無反応――というわけにもいかず、とりあえず頷いておいた。


「約束通り、『辻斬り』はやめるぜ。俺らは、な。ただ俺以外にもあんたに興味があるユーザーは沢山いるだろうからよ、<寡黙な刃>の名で声明でも出しとくといいかもな」


 迷惑な話だ。

 こっちは妹が学園に進学したばかりで忙しかったばかりだというのに……はぁ、とりあえず今日は銀狐さんと話して、VR版をオススメしてから帰ろう。


「……」


 また無言で頷き、踵を返す。


「ク~かっこよかったです。おにーさん?」


 待っていたのは銀狐さんの労いの言葉だった。

 “おに”が間延びし別の単語になりかけていたが、意味は大体同じ・・・・なので俺的には何の問題もない。


「?」


 手元を操作し、個別チャットにメッセージを送る。

 内容は『ゲームについて話したいことがあるのでついてきてくれませんか』というもの。我ながら怪しすぎる。普通なら薄気味悪くて断られること必須の状況だが、


「よろしくお願いします」


 と、あの時と同じ笑顔で手を差し出された。

 自分で誘っておきながら初対面の人間を疑わない彼女に少しだけ不安を覚える。しかも、この手は何だろうか? 手を握ってエスコートしていいの? マジかよ……大胆。


『ご主人様、もたついていると囲まれてしまうわ』


 試合が終わったため音声チャットから雪菜の声が聞こえてきた。

 どうやら時間もないらしい。

 俺は差し出された彼女の手を握り、プレイヤーの間を抜けるように走り出した。

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