第3話 危ない友人

 異世界『アリアストラ』。

 それは俺たちが住むこの世界――惑星ステラをもじり『テラ』と名付けられた“こっちの世界”とは異なる“あっちの世界”。

 アリアストラには魔法があった。

 大気中のいたるところにマナと呼ばれる魔法の源がただよい、生物や環境に影響を与えて独自の進化・発展を促した。テラが機械文明社会であるならばアリアストラは魔法文明社会である。

 2つの世界が邂逅を果たしたのは西暦2025年半ばのこと。突如、日本海域300m上空に黒い球体――後に“門”と呼ばれる世界と世界を繋ぐ橋が出現した。

 そこから異世界人がやってきて何やかんやと10数年。今では異世界に留学できるほど交流が盛んになっている。ちなみに“門”を中心に建造されたのが海上都市『ヴェレンティア』であり、その気になれば俺でも片道30分ほどで異世界に渡界とかいできてしまうほど身近な世界だ。

 

「ハ・ル・マ・君、おはようございます」

「……おはよう、ユカナ」


 海上都市は地方レベルの超巨大都市なため学園も数多く存在する。

 その中でも成績優秀校と名高いアリア第一高等学園が俺たち兄妹が通っている学校だ。

 海上都市の中央地区にあり、異世界人の留学生が最も多い学校でもある。ざっと教室を見回しても獣人の少年少女、見た目はこっちテラの人間と別段変わらないが魔法が使えるアリアストラ人、そして俺が教室に入った瞬間に目の前に現れた――


「ふふ、どうしたの? 私の角に熱い視線を送って……触りたいの?」

「いや別に……」

「遠慮しないで。ハルマ君になら私、どこを触られても嬉しいもの」

「ホント、勘違いされるようなこと言わないでください」


 妖艶な少女が耳の上に生えた立派な双角を見せつけてくる。

 ユカナ・ズナイト。

 雫がお世話になった先輩であり俺の同級生。

 有角族ゆうかくぞく、または“ツノあり”と呼ばれる異世界人の1人だ。

 その名称通り角が生えている人間である。それ以外に違いはない。ただ、ユカナは「悪魔のような尻尾でも生えてたらサキュバスだったろうに……」と学園中――特に男子生徒に噂されるほどの美貌と色気を兼ね備えた女生徒だった。その抜群のプロポーションで迫られれば落ちない男はいないだろう……一部は除いて、と恐れられるほどだ。

 だが、俺はこの少女が苦手――は失礼か、あまり得意ではない――って言い方もしたくないな……二学年に進学した今でもどう接すればいいかわからない、うん、これがいいな。

 これでいこう。

 

 ……わからないのだ。


「今朝のサプライズはお気に召して貰えたかしら?」

「……あれな」


 俺が他のクラスメイトたちに挨拶をしながら自分の席に着くと、当然のようにユカナはその後ろの席に腰を下ろした。一年の頃から変わらない・・・・・彼女の定位置である。


「妹と2人っきりで朝食を食べるなんて久しぶりだったから……まぁ、嬉しかったよ」

「ハルマ君が喜んでくれて私も嬉しいわ。でも少し歯切れが悪いのね。何か問題が?」

「そりゃ……ユカナさん、問題だらけですよ」

「?」


 にこやかな笑みで首を傾げるユカナ。

 これは全部理解した上でとぼけている顔だ。俺が困惑する姿を眺め、楽しむつもりらしい。

 俺は周囲に聞こえないように声を潜めた。


「――どうやって俺の部屋の鍵を手に入れたんだ?」

「秘密」

「もしかして俺が知らない間に侵入とかしてないよな?」

「ハルマ君が嫌がることはしないわ」

「報酬は?」

「え?」

「見返りもなく妹にスパイ道具を貸したわけじゃないだろ?」

「……ふふふ」


 ユカナが蠱惑こわくな眼差しを俺に向ける。

 対価が存在したことを隠すこともせず、むしろこれから伝える内容で俺がどういった反応を示すのか楽しむような余裕すら感じた。

 して、その対価とは――


「写真よ」

「……写真」

「ハルマ君の寝顔をいーっぱい撮って、ベストショットを私に頂戴って妹さんにお願いしたの」


 そっか……写真か……それぐらいなら今更・・だし別にいいか。


「俺の寝顔なんて眺めても楽しくないだろ」

「至高よ。これでまたハルマ君メモリアルが増えたわ」

「……そうですか」


 戸惑う俺を余所に、目を細めて笑顔を絶やすことないユカナ。その視線はずっと俺を捉えて離さない。

 ユカナは別に俺の彼女と言うわけではない。俺がこの学園に編入学した際、クラスが一緒になっただけの同級生に過ぎない。

 友人――と、呼べる存在ではあるのだが、それ以上に彼女には最も適した呼び方がある。


「なになに? 相変わらずユカナちゃんは周藤くんをストーキングしてるの?」


 同級生の女生徒(異世界人)が直球を投げつけてきた。

 ネコ系獣人なため耳聡いのか、はたまた学園の名物になりつつある――というか、もうすでになっている俺たちに注目していたのか、会話に割って入ってきた。


「ふふ、そうよ。妹さんに頼んで写真を撮ってもらったの」

「少しは否定しろよ」


 楽しげに肯定するユカナの精神が俺にはわからない。


「うわー……はは、すごーい」

「お前は茶化して来たくせにドン引きするな」

「だって家族まで利用してるのはレベル高いって」

「それはまぁ、うん……」


 クラスの人間であれば誰もが知っている。それどころか学園の生徒であれば一度は耳にする噂。

 “ユカナ・ズナイトは周藤遥真のストーカーである”という話。

 そしてそれは紛れもない事実である。

 入学当初は俺も気さくな友人だと思っていた。編入したばかりの俺に最初に話しかけてきてくれた同級生、それがユカナだった。いつのなにか仲良くなり、友達だと意識するのにそう時間はかからなかった。最初は周囲も「付き合ってんのー?」と揶揄うぐらいの間柄だったのだ。

 そして、「ユカナはヤバい」――と周囲が気付き始めたの半年ほど経過した後だ。

 切っ掛けは些末なことだった。

 クラスで席替えが行われるたびに、必ず俺の後ろの席にはユカナがいた。それだけだ。

 だが、席替えはあくまで担任が用意したくじによる抽選。ランダムだ。

 二回目までは「また同じかー偶然だなー」と笑うことができた。三回目は「マジかよ」と俺も周囲も首を傾げ、四回目になると「……え、おかしくね? 操作されてね?」という疑いが掛かった。

 

 その疑惑が確信へと変わったのは、同級生の1人が担任に俺たちの引力について冗談半分で質問をしたときのこと。いつもは生徒の質問に笑顔で応えていた担任がその問いに対しては途端に挙動不審になりユカナの顔色を窺うようにしどろもどろになってしまったのだ。

 俺もみんなもわかってしまった。


「ああ、これ、先生も巻き込まれてるな」と。


 ユカナも明け透けな性格をしているためか、すんなりとストーキングをしていることを本人の目の前で自白。当時の何とも言えない空気は今でも忘れない。

 だけど俺はユカナの行為を不快だとは感じたことがないし、彼女には“大きな借り”もあるため邪険にすることもない。

 ストーキングといっても先程のように毎朝いの一番に俺に挨拶をしてくるぐらい――毎回、俺が教室に到着する瞬間がわかっている――行動を把握されているだけだ。だけっていうのもおかしいが、妹に告げた通り慣れてしまったのだ。仕方がない。


 それに普段のユカナはとても礼儀正しく、頼りがいもある。

 先程も気を利かせて「妹さんに頼んで・・・写真を撮ってもらったの」と小さな嘘を言っていた。正確にはユカナが雫を利用したわけではなく、雫がユカナを頼っただけだ。それにも関わらずユカナは否定しようとはせず、言い訳もしなかった。

 俺からしてみれば、ユカナという少女はあえて・・・ストーカーという枠組みに自分を当てはめてほしいから過激な発言をおおやけにしているように見えた。

 もちろん、ストーカーであることに変わりはないが……。


「……」

「やだ……熱い視線……身体が火照ってしまいそう」


 もじもじと身を擦り、頬を朱に染める。

 どこからどこまでが本気なのかわかりゃしない。

 なんで俺なんだろうな~とは常々考えている。


「ほんと好きだよね~ユカナちゃんは周藤くんのこと」

「ええ」

「付き合っちゃえばいいのに」


 あ、バカ、それは禁句――


「それは遠慮しておくわ」


 ぴしゃり、といつもの笑顔でユカナが即答する。

 獣人少女にとってその返事は意外だったのか目を丸くしていた。

 ……って、ああそうか。一年の時に同じクラスだったら知っていてもおかしくないが、彼女とは別のクラスだったか。学年が上がって日も浅いし、俺もまだクラスメイトの名前を覚えてない。


「……え、でも今、好きって」

「好きよ。でも恋愛ではないの」


 何回、聞いたことだろうか。友人からの又聞きもあれば直接本人からも教えてもらったユカナの言い分。


「私はハルマ君という存在が好きなの。例えば彼が女の子だったとしても同じように好きになってたわ」

「へ~不思議。うちにはよくわからないにゃ~。じゃあ、周藤くんのどこが気に入ってるの?」

「強いて挙げるなら顔ね」

「顔……意外に面食い……でも、イケメンなら他にいっぱいいるよ?」


 おい、失礼だぞ。

 自信があるわけじゃないが本人を前にして遠慮なしかお前。


「特にハルマ君の変顔が好きなの」

「理解が遠のいたにゃ……」


 大丈夫。誰も理解できていないから気にするな。俺もユカナとは一年以上の付き合いだが未だによくわからないからな。変顔が好き、なんてユカナは口にするがそんな恥ずかしい姿は雫にすら見せたことがない。……ないよな?


「とりあえず、その話はそこまでにしてもらっていいか? 告白したわけでもないのにフラれるという公開処刑に俺はそろそろ耐えられそうにない」

「にゃはは、ごめんごめん。実はユカナちゃんに恋人がいないかリサーチしてほしいって頼まれててさ」


 そういうことだったのか。

 だがそれは言って良いことだったのか? これからユカナに告白したいやつがいると暗にバラしているだけだよな、それ。

 ユカナも同じ考えに思い至ったのか、「あら? そうだったの?」と涼しげな顔で首を傾げ、


「だったらその人に伝えてあげて。私はハルマ君がいれば他に誰もいらないから、恋人はこれからもずっといないわよ……って」


 それは天然なのか? 狙って言ってるのか? 私はフリーですって言いながらもあなたには興味ないですって答えてるよね。あと俺を巻き込まないで。


「にゃー……脈なんて最初から無かったって伝えとくにゃ」


 あぁ、ユカナを見る同級生の顔が「この娘ヤベー」と気後れしている。

 でも、実はこんなもんじゃないんだぞ? 俺だって現実だけ・・・・ならまだいいか、と諦めた時もあったがこの娘のヤバさはこの程度じゃないんだ。教えるつもりはないけど。


「そういえば沖名……雫ちゃんだっけ? 新入生の」

「妹がどうした?」

「周藤くんの妹……でいいんだよね?」


 ネコ少女は自分の気持ちを悟られないように頑張っているのか、世間話を装うように何気なく質問してきた。

 困っているのはバレバレだが、こちらへの気遣いは感じた。

 だから俺も彼女との関係を理解してもらうため、口を開く。


「雫と俺は同じ養護施設の出身で“家族”として育ったからな。血のつながりも法的関係もないけど、俺は雫のことを義妹いもうとだって思ってるよ」


 同級生相手ならこれぐらいの説明で十分だろ。

 俺たちの境遇はどうしても明るい話題にすることは難しいので長々と話す気はない。周囲には俺と雫が兄妹だと認識してもらえればそれでいい。


「そっかそっか、やっぱりあの子が妹だったんだね。大人しくて可愛い子がいるって話題になったからさ」

「大人しい……? いや、妹は意外と人見知りなところがあるから、編入したばかりでまだ馴染めてないのかもしれないな……」

「そうにゃの? じゃあ、うちにも一個下の妹がいるから話しかけてみーって言っとくー」

「助かる」

「お礼を言われるようなことはしてないにゃー……ってか、にゃふふ。良いお兄ちゃんだね周藤くん。心配そうな顔が全然隠せてない」

「そんなことはないさ、普通だよ」


 俺の中ではこれが普通だ。


「あ、なんならうちの幼馴染にも妹ちゃん紹介しちゃう? あいつあの子も可愛いなとか――」

「ハハハハハハハ」

「冗談にゃ、冗談だから真顔で笑わないでほしいにゃ……めっちゃ怖いにゃ」


 その幼馴染あれだろ。ユカナに恋人がいないか確認させたやつだろ? 冗談でも願い下げだぜ。


「ちゃんとあいつには追加で釘を刺しとくにゃ。妹ちゃんに手を出したら“お兄ちゃんが鬼の形相で切りかかってくるぞ”って」

「……っくふ、ふふふ」


 途中から黙っていたユカナが急に笑い出した。

 言った本人は「ど、どうして笑うにゃ?」と困惑しているようだが、俺はノーコメント。とりあえず、


「オヤジギャグだと思われたんじゃないか?」

「へ? ……あーにゃるほど」


 俺が適当に理由をでっちあげると、納得したのか頬を赤く染め頷いた。どうやら無意識の洒落だったらしい。良いセンスだと思うよ、俺は。


「――ふふ、そういえば“鬼”で思い出したけど、ニィナちゃんはブレイブっていうeスポーツの大会は知ってる?」

「今朝、ニュースでやってたね。アナザーワールドのやつでしょ?」

「……」


 おいおい、せっかく俺が無反応に徹してたってのに蒸し返すつもりか。なにを考えてるんだユカナのやつ……同級生の名前がニィナってことがわかったのはありがたいけど。


「初大会初優勝を果たしたプレイヤー<ノーネーム>。今では別の二つ名が定着しそうなんだけど……それは一先ず横に置いて、彼がここ海上都市の住人で学生なんじゃないかって噂が広まってるの」

「へ~すごいにゃ~誰なんだろう」

「ねー誰なのかしらねー」


 うーわ、わざとらしい。

 わざとらしいですよ。この娘。

 お前は俺と同じくらい詳しいはず・・だろ?


「それを知りたがっているプレイヤーのごく一部が“鬼”を探すために『辻斬り』をしているらしいわ」

「……は?」


 なんだそれ? 初耳だ。


「『辻斬り』? なんか物騒な名前にゃ。VRの方の話?」

「いいえ、ARよ。もちろんゲームの話だから犯罪とかではないわ。ただ、少し強引なPvPを迫られるから『辻斬り』なんて呼ばれ始めたの」

「……」

「迷惑な話にゃ……ってどうした周藤くん、深刻そうな顔して」

「――え? ああ、いや。ちょっと考え事を、な」

「にゃ~」


 妹が入学して以来、ここ一カ月ほどAWゲームを控えていたのだが、その間に随分と面倒なことになっていたんだな。


(……久しぶりにVRの方にログインしてみるか)


 というか「ログインして」とそれとなくお願いされたようなものだ。

 とりあえず今日はeスポーツのAR授業があるから、その時にもう少し詳しくユカナから話を聞いてみるとしよう。

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